ヨコエビの解剖・観察において染色が有効であることは,すでに述べた通りです.
ドイツのヨコエビ研究者である C. O. Coleman氏 は,分類研究におけるコストである描画作業を簡単にする方法として,組織染色を提唱しています.すなわち,染色したヨコエビの付属肢をスライドグラス上にマウントし,撮影した顕微鏡写真を電子データとして取り込み,それをコンピュータ上でトレースしてベクタ画を描くことで,線画作成の時短を図るとのことです.Coleman (2005) が示した手順はこんな感じです.
- 標本の筋肉を酵素で分解する(3mLホウ酸ナトリウムを7mL蒸留水に溶解し,0.1gのトリプシンを加える等).酵素によく馴染むよう,標本は水に浸して固定液を抜いておく.
- 溶解液と標本をバイアルへ入れてホットプレートにかけ,40~45℃で1~6時間加温する.
- 筋肉を分解した標本を70%エタノール水溶液へ入れ,水酸化カリウムと,乾燥防止のためわずかにグリセリンを加える.
- 50~60℃で2~3時間加温して組織を溶かした後,標本をグリセリンに浸漬する.
- 標本を再び70%エタノール水溶液に入れ,脱石灰化する.
- 70%エタノールにリグニンピンク(Azophloxine)の結晶とわずかにグリセリンを加え,ホットプレートで加温する。適度に染色されたら,標本をグリセリンに戻して完了.
めんどくさすぎるよ!
あと,これ,遺伝子解析用サンプルを別にしておかないと,絶対にデータ採れないよね?
※ちなみに,全く違う手法ですが,遺伝子解析用のバッファにタンパク質を反応させ,内部を溶かすこともできます.これなら遺伝子も外骨格も得られます.
ホットプレートや特殊な試薬など,野良研究者には敷居の高い方法です.
例えば,上記方法ではなく,シンプルにローズベンガルあたりを使うとします.これもそのへんに売っているような代物ではありません.そして,その染色剤の元を入手できても,希釈・調合すると1ロット500Lくらいになってしまうようで,丁度いい量での販売はしておらず・・・
そんな中,このような未確認情報が・・・
「魚の鱗の輪紋を観察するのに紅生姜の汁に漬けると見やすい by 林公義先生」
・・・なんですと!?
さっそくやってみました.
漬け物
<Materials>
- 70%エタノール液浸ヨコエビ標本(Pontogeneia sp.)
- Rose bengal 染色液
- 紅生姜(液)*1
- 福神漬け(液)*2
- マイクロチューブ
福神漬けと紅生姜の漬け汁(F液,B液). |
*1 Beni Shoga: ginger pickled in umezu (mixture of rice vinegar and salt which used to make pickles of Prunus mume). Also pigmented by red Perilla leaves.
*2 Fukushin Dzuke: salt pickled 7 kinds of vegetables (Japanese white radish, cucumber, lotus root, Japanese egg plant, etc.) are chopped and pickled in mixture of soy souse and sweet sake.
| ||
<Method>
- 同じロットのヨコエビ標本から大きさが同じくらいの3個体を選ぶ.
- マイクロチューブに1個体ずつヨコエビ標本を入れ,染色液を注ぐ.
- 室温で6時間放置.
- ヨコエビ標本を70%エタノールに戻して保管.定着具合を確認.
B: 紅生姜, F: 福神漬け, R: Rose bengal. |
まず,Rose bengal は当然ショッキングピンクなのに対して,B液とF液は色が薄くて何となく染まらなさそうですね.まあ実際漬かってる食品(植物組織)は染まってるので,これがどうヨコエビに反応してくれるかという・・・.
ちなみに,それぞれの漬け材料はこのような感じ.
F液(福神漬け)は3種の合成着色料を含むようです.
Tartrazine(黄色4号),New Coccine(赤色102号),Acid Red(赤色106号)は,いずれもナフサを原料としたタール色素で,ローズベンガルと同系統です.期待できそうです.
B液(紅生姜)はまさに「天然成分」ですね.優しいですね.
「野菜色素」とありますが,恐らく紫蘇 Perilla frutescens var. crispa で染めているのでしょう.だとすると,つまり色素は Cyanidin なので,ブルーベリージャムなどでもpHの調整により同様の反応になると思われます.
もっとチープなやつは合成着色料が入っていたかもしれませんが・・・(これもかなり安かったのですが店にこれしか無かったので)
<Result>
では,こちらが6時間後のヨコエビです.
B: 紅生姜, F: 福神漬け, R: Rose bengal. |
驚くほど染め分けられてます.
F液にはタートラジンが効いているのか,かなり黄色みが出ています.
しかし,ここで気になることが・・・
触角がなくなってる?!
F液に入れた個体は第2触角の鞭部が片方ないものでしたが,F液から揚げると両方の鞭部がなくなっていました.
また,B液の個体を確認すると,第4胸脚などがもろくなっておりました.
よく分かりませんが,だいたい酸性に寄っていると思われる液性の問題でしょうか・・・?
やはりヨコエビは繊細ということですかね.
もう少し工夫してみます.
食紅
既往研究の論文を探したところ,中島 (2005) は酢酸ニューコクシンについて,酢酸オルセインおよび酢酸カーミンと対比する形でタマネギ細胞に対する染色能力を検証し,細胞質までよく染まることを報告しています.
なるほど,食紅ね・・・
<Materials 2>
- 70%エタノール液浸ヨコエビ標本(Pontogeneia sp.)
- 食紅(New Coccine 15%)
- 99%エタノール
- お湯
<Method 2>
- 食紅0.1gを15mLの熱湯に溶解させる.
- 食紅水溶液を35mLの99%エタノールと混合し,70%エタノール水溶液50mLとする(N液).
- N液にヨコエビ標本を入れ,6時間ほど室温で静置する.
70%エタノール-ニューコクシン水溶液.この状態ではかなり赤い. |
食品に用いる場合,食紅のラベルに記載された使用量は0.03~0.07%程度とされています.N液の調整に際しては,中島 (2005) を参考に,食品用濃度の10倍程度にあたる1%とした上で,普段使用する保存液になじむようエタノールを含む水溶液としました.ちなみに,これらは食紅瓶に付属の匙やらキッチン用品やらで計量しており,有効数字などあったものではないのでそのへんはご了承下さい.
向こうがほぼ見えない赤色となり,半日ほど置いておくと粒が見えてくるので,飽和したと思われます.なお,この状態で半年くらい室温に放置していますが,濁りや褪色など何ら気になる異常は見られません.
分取したN液.B液よりF液に近く黄色っぽい感じに見える. R液のようなビビッドカラーではない. |
N液中の染色成分ニューコクシンの濃度としては 300μg/mL(3%)となり,染色成分の濃度としてはローズベンガルのおよそ10倍です.
中島 (2005) は1%のニューコクシンを含有した酢酸ニューコクシン水溶液を,更に2~4%に希釈して使用し,良好な結果を得ています.前回の実験で酸との相性に不安があるため,今回は酢酸は添加しません.
ちなみに,食紅は5.5gで150円だったので,N液の単価はローズベンガルと同じ60円/Lとなります.中島 (2005) のように低濃度で染色されることが分かれば,ローズベンガルとコスパ・染色能をめぐって競い合うことが可能ではないでしょうか.
今のところ,入手しやすさやロットの扱いやすさでは食紅に軍配が上がっています.
より低濃度で染まるということであれば,価格面でも食紅が勝ることになりますが,果たして・・・
N液で染めた Pontogeneia sp. |
6時間でこの効果!遜色ありませんね.ローズベンガルの場合,染色後にエタノールやグリセリンに馴染ませて液に色が移らないか様子を見るのですが,グリセリン中に入れてもなぜか色が滲出しないようです.ローズベンガルほどのがっつり感はないですが,解剖するにあたってはあまり問題ないです.
しかし,写真の通り,胸脚が破断しています.F液と同様にサンプルを破損する効果がありそうです.保存液も染色液もエタノール70%のはずなのに・・・
結論として,食紅2g/L 濃度の染色液は,入手しやすさと染色能が優れていることがわかりました.しかし,サンプルの付属肢が破損するのは確実なようです.よりタフなヨコエビでは状況は変わってくるかもしれませんが,液性を中和するなど別の操作も試したいところです.
ここでまた新たな情報が.
今年のプランクトン・ベントス学会では,ルゴール液(ヨウ素ヨウ化カリウム水溶液)を使用したプランクトンの固定・保存方法に関する発表がありました (佐野ほか 2020).どうやら既往研究では,昆虫やカイアシ類においてホルマリンと比較して組織の収縮が緩慢で,サンプルの硬化による破損リスクを回避できるようです.また,形態だけでなく遺伝子や同位体等の保存能も高いようです.効果が失われるにつれ液の色が薄まるので,品質管理しやすいのも嬉しいです.発表の中ではサンプルの着色が忌避されるような雰囲気がありましたが,こちらとしてはむしろ染色剤として考えています.なお,ルゴール液は自作を推奨されていましたが,Amazonでは100mL入りで5000円程度で売ってます.
ヨウ素から連想されるのは,同様に殺菌スペクトルが広いとされるアズレン(アズレンスルホン酸ナトリウム水和物)で,サンプルを青く染められそうな感じがします.実は以前に保存液として検討したことがあるのですが,遺伝子に多少の影響を与える代物のようで躊躇しています.
これらはいずれ試してみたいと思います.
<参考文献>
— Coleman, C. O. 2005. Speeding up scientific illustrations. A method to avoid time consuming pencil drawings particularly in arthropods. NDLTD Union Catalog.
— 中島憲 2005. 食用色素102号(食紅)による核と細胞質染色-スーパーで購入できる安価で安全性の高い試薬としての有効性について-. 北海道理科教育センター研究紀要, 17: 61–62.
— 佐野雅美・
真壁竜介・黒沢則夫・茂木正人・小達恒夫 2020. P30 エタノールに代わる分子生物学的解析のための動物プランクトン固定方法. 2020年 日本プランクトン学会・日本ベントス学会合同大会 講演要旨集.
-----
・一部書式設定変更。
0 件のコメント:
コメントを投稿