2022年2月11日金曜日

ピアレビューが過ぎて・文献紹介『科学を育む査読の技法』(2月度活動報告)

 

 例の記事の後、21年内に納品は完了しています。諸々気がかりなことはありますが、無事出版されることを祈るばかりです。

 後で知ったのですが、どうやら9月後半(20日~24日)「ピアレビュー・ウィーク2021」で、査読について考える時期だったようです。こちらの「エディテージ・インサイト」というサイトでは研究者の活動に役立つコンテンツが提供されていますが、ピアレビューウィークに絡んで査読について考えを深める良い記事がいろいろ読めます。リアルタイムでこの波には乗れませんでしたが、もう少し査読について自分なりに考えてみようと思います。

 

 とりあえず、今回わたしが受けた査読の流れを改めて細かく整理してみます。あくまで「今回の実績」です。

  1. エディターから査読依頼着弾
  2. 規定・ガイドラインの確認
  3. 引用箇所の確認
  4. 関連文献の収集 
  5. 本文の論理性・構造の妥当性・ルールへの適合性の確認
  6. 用語・表現・図表・体裁など細部の確認 
  7. 引用箇所の再確認
  8. シート記入
  9. エディターへ流す

 

 「分類学は文献学」などという言葉を耳にすることもありますが、今回はかなり基本に忠実に文献情報の取り扱いまで確認しました。大枠のロジックに突っ込み所がなかったから細部に取りついた、というわけでもなく、単純に原稿をパッと見た時におかしい点が散見されたのと、今回の被査読論文と同じ著者が携わった過去の仕事で残念な点がいろいろ見受けられていたからです。もちろん、新しく設立されたタクソンの妥当性を補強するよう求めるなど、大枠に関わる部分も疎かにしたわけではありません。そんな感じで取り組みました。


 さて、これもまたエディターへの納品を済ませた後の話ですが、Amazonが『科学を育む査読の技法』(以下、水島 2021)を提案してきました。どうやら Google で「査読」「Peer review」などと検索しまくった影響が多少のタイムラグで反映されてきたようです。遅いよ。 とりあえず読みます。

 

 

水島 (2021) を読む 


 本書は三部構成になっていて、「実験医学」の連載を元に再構成された第一部と、それを踏まえた4人の現役研究者の座談会の様子が記された第二部、および具体的なシチュエーションごとに査読の例文がまとめられた第三部からなります。ここでは主に第一部を読んだ雑感を述べます。

 のっけから 

”通常,査読者は2~4名と少数である.「あなたの動物実験はn数が少ないのでもっと増やすように」などと査読者は指摘してくるが,その一方で査読者のn数は明らかに少ない” 

 などとぶちかます、とんでもない本です。他にも1ページごとに2,3個の至言が転がっていて、読み進めるごとに背筋が伸びる思いがします。

 基本的には大学所属の研究者を読み手に想定しているようですが、コンパクトかつシンプルな文章で非常に読みやすいです。わたしは本書に頻出する「PI」という語すらよく知らないド素人ですが(主任研究員の意とのこと)、豊富な経験に裏打ちされた査読に対する姿勢、ひいては科学者としての物腰に大きな共感と尊敬の念を感じざるを得ませんでした。

 

  査読にあたっての心構えから細かな作業上の工夫まで、階層の異なる様々な事柄が網羅的に論じられています。査読初心者にとっては全てが新鮮なのですが、特に「付けてはいけないコメント」が挙げられているのを読む中で、理解して実施していたこともあれば、おっかなびっくりでやっていて実は良くなかった点も多々ありました。反省。そして同時に、翻ってエディターや査読者にやさしい論文づくりについても知見を深めることができました。

 

 既存の査読システムが多くの問題を抱えていることが、部をまたいで繰り返し指摘されています。そして、それに対する新しいシステムの中身や良い点悪い点が簡潔に紹介されています。生命科学そのものの命運に関わる重たい問題提起ではありますが、感情論や綺麗事が介入してこない、科学者特有のドライな語り口が非常に読みやすいです。折しも「Talor & Francis」が出版までの納期を選べる新しいサービスを立ち上げたとのニュースも耳にして(これはシステムの見直しというより力業のようですが)、様々な問題意識に対してジャーナルが試行錯誤をしている時代の空気が肌で感じられたりもしました。


 全体を通じて、筆者・エディター・査読者の責任分担の重要性と、査読システムの不完全さによってそれぞれが浪費する時間を嘆くメッセージが強く感じられます。そして何といっても第三部の例文の充実度合い。じつは全3部の中で一番ページ数が多いのです。初心者の教科書というよりアンチョコと評するのが適当な気がします。


 

 水島 (2021) を通読して、今回の仕事で査読者として職責を全うできたのか、最後まで答えが出ませんでした。

 特にかなりの時間を割いた引用漏れや表記の適正さの確認は、単純に著者の責任だったのでは、という気がしてきました。「間違いが多いから探して直しといて」ぐらいのコメントで事足りたのかもしれません。

 ただ、わたし自身が件の記載論文で、引用文献の漏れや誤字脱字の類などわざわざエディターや査読者の手を煩わすまでもないくだらないミスに自力で気づけず、査読者から山ほど指摘を貰った身としては、「そんなもん完全に仕上げてきて当然だろ」というように偉そうなことは言えない立場です。特に、標本の体サイズ表記の誤記など、セルフチェックでしか見つけられないミスもあり、冷や汗が出ました。せいぜい「お互い気を付けましょう」みたいなセリフが関の山です。

 そういう意味では著者の責任は極めて重く、査読者は論文の根幹部分に対する新規性・論理性などの確認のみに専念して、ケアレスミスは必要以上に掘り起こさず掲載して恥を晒すスタンスも潔い気がします。ただ、論文が出版されればその著作権は出版社に帰属するため、恥も出版社に帰属する恐れがあります。エディターとは事前に役割分担の意思疎通をしておくべき、ということでしょう。


 そして、自らの文献収集力の低さ。

 これまでも、見かけた論文のリファレンスから読みたいと思ったもの、ブログを書くために集めようとしたもの、そういった時に文献が手に入らないことはありました。そして今回も、1割くらいの文献は入手できませんでした。野良研究者としてやっていく上でこういった不具合は織り込み済でしたが、結果としてムラのあるレビューをエディターへ提出することになりました。今回は論理の根幹には必ずしも関わらない部分でしたが、手に入る文献に制限があるということは、職責を果たせない場面も起こり得るということです。

 そんな中、また時すでに遅しなのですが、ヨーロッパの図書館にしか無いようなレア文献を、現地の人にスキャンしてもらえるというネ申サービスがあることを後から知りました。今回間に合わなかった文献もこのサービスで手に入ることがわかりました。詳細は来月の記事にてご案内する予定です。

 


 

 

<参考文献>

— 水島昇 2021. 『科学を育む査読の技法 +リアルな例文765』. 羊土社, 東京. 164pp.

 

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