2021年8月27日金曜日

ピアレビューは突然に(8月度活動報告)

 

 起床後、いつものようにジーメールを立ち上げる。

 生命科学分野の連絡に使っているアドレスを開くと、学術誌共有サイトが今日も論文を勧めてきた。何かの文献をタダで入手する代償として登録したサイトで、今後のことも考えてまだそのままにしているが、勧めてくるタイトルの多くは求めるものではないか、すでに目を通したものばかりだ。

 その中に、ただならぬメールを見つけた。

 差出人は学生の頃からのお付き合いになる端脚類研究者。その内容は驚くべきことに、分類学論文の査読依頼だった。

 

 

 大学卒業後、どこぞの学術誌から研究室宛てに論文の査読依頼があったという話を思い出した。何らかの伝手からヨコエビ研究者が在籍しているとの噂を聞きつけたそうだが、一足違いで該当者はアカデミーの世界を去っていた。今回はそのリベンジになるような気がした。

 投稿準備中の原稿を抱えてはいたが、記載の核心を書き換える可能性がある材料を追加する予定で、それが入手できるまで少し時間があった。そして何より、投稿先の候補の一つとしていた学術誌であった。

 2秒ほど悩んでから引き受けることを決めた。 

 

 

 実際のところ、責任著者として、共著者として、それぞれ1度しか査読受けたことがない。ほとんどの学術誌に対するスタンスを一読者として貫いてきたヨコエビ愛好家としては、未知の領域といわざるを得ない。それでも、新しい知見があるたぴ論文を買い漁り、時に「物足りない」「詰めが甘い」などと悪態をつきながら、主に分類学や系統分類学の分野では最新の情報をアップデートしてきたつもりだ。その結果はウィキペディアの記事、あるいはブログに反映してきた。査読する立場になることは正直考えたこともなかったが、これだけ知的資源を消費しておきながら、今さら戦線の遥か後方でガヤを飛ばすのが本分、などと言うのも白々しい気がする。

 

 査読に際して有象無象のウェブサイトを読み漁ったが、もちろん真理を突いていそうなものは見当たらず、従って本記事もその有象無象に伍することになるわけだが、備忘録的に経緯や流れを記しておく。

 

  1. 査読依頼(突然来る)
  2. 規定の確認(※1)
  3. 査読実施(※2)
  4. 編集部へ流す(まだ提出してないのでこの先はよくわからん)

 

※1・・・投稿規定への適合性や文章として成立するか等は、大枠として編集部が確認して受け取るかどうかをジャッジするのが普通のはず。査読者は専用の文書(チェックシートやガイドライン)、そして動物分類学の場合は命名規約(ICZN)およびその改訂履歴を把握しながら査読を進める。

※2・・・分野や論文の長さにもよろうが、査読に費やす期間は1か月とか2か月とかだろう(過去に受けた時は4か月くらいかかった気がするが)。 編集部のチェックを差し引くと査読者の持ち時間は更に短くなり、今回提示された納期もやはりそんな感じであった。自分の論文がそろそろ次の動きに入る可能性もあるためあまりダラダラとやってはいられないという至極手前勝手な事情もあり、数週間で片をつけるように動いた。

 

 

 査読は匿名という固定観念があったが、過去に受けた時に署名らしきものが見受けられたのと、今回も査読者が希望すれば名前を明かすシステムになっていた。わたしが産まれる前からヨコエビと戦っているような超大先輩の原稿に対しかなり厳しめにコメントを付けたので、名前を明かす勇気がなく、今回は匿名希望としたい。

 思えば、匿名査読者がどの論文をレビューしたかを知るのは編集部だけである。どれだけ頑張って査読しても、その努力を知る者はごく僅か。これぞ縁の下の力持ち、人類の叡智の研鑽に勤しむ知のアスリート達の究極の社会貢献の姿ではなかろうか。

  

 なればこそ、そのシステムの維持に払われるコストに、強い関心を抱かざるを得ない。

 被査読者すなわち学術論文を書く側は、原則的にその仕事ぶりが衆目に晒され、個人の実績として積み上がっていくシステムになっている。しかしその学術論文が学術論文たることを担保する重要な要素こそ人知れず行われることが多い「査読」であり、その過程はその妥当性の担保も含めて全てが表沙汰になるわけではない。しかし、査読そのものの質が担保されていなければ、それを拠り所としている学術論文そのものの品質が問われる事態とならないか。査読者を複数選んでそれぞれにレビューさせるのはそのためかと思われるが、それによって各々の査読の質が底上げされるわけではない。

 分類学では、その手法そのものがありふれたものであっても、該当する分類学にそれなりに詳しくなければ妥当性を判断できないことが多いと考えている。特定の分類群に携わる人間は潤沢に存在するとは限らず、わたしの処女記載論文の例を引くまでもなく、論文の執筆にあたって同じ土俵にいる人間に声を掛け過ぎると必然的に査読者不足を招く。マイナー分類群の呼び声高いヨコエビはそういうことが日常的に起きやすい気もするが、そういった層の薄さが査読の質を下げることはあっても上げることは稀だとすれば、マイナー分類群の抱える問題の根深さが浮き彫りとなろう。


(つづく?)