ヨコエビの夏も終わりを迎え、ヨコエビの秋が始まろうとしています。
この夏、伊豆や鳥羽でヒメハマトビムシ的なヨコエビを採った話を書きましたが、どうやらそれが一種ではないらしく、普通種の時点で既に奥深さが半端ない魔界の入り口に立った気がしたため、入門の御挨拶をまとめてみることにしました。
ハマトビムシ科概論 Outline of Talitridae
和名: ハマトビムシ科
学名: Family Talitridae Rafinesque, 1815
●種数
世界: 約250種,日本: 24種
ちなみにこの数は -毎年世界各地で種や属の記載が相次いで行われていることを考えると- たぶん今後数十年にわたって毎年数種ずつ増えていくと思われます。
●上位分類
亜目: Senticaudata Lowry & Myers, 2013 (6下目)
下目: Talitrida Rafinesque, 1815 (1小目)
小目: Talitridra Rafinesque, 1815 (3上科)
上科: Talitroidea Rafinesque, 1815 (9科)
このハマトビムシ上科はヨコエビ亜目が1つだった頃から親しまれてきた枠組みで、モクズヨコエビ類,ミノガサヨコエビ,コンブノネクイムシなどを含みます。
●生態
ハマトビムシ上科には海藻に依存した種が多く、ハマトビムシ科も主に打ち上がった海藻を食べます。遊泳よりも歩行・付着を得意とする傾向があります。
●形態
ハマトビムシ上科において尾節板は分厚い形をしており、ヨコエビ類の中では特徴的な形質であるとされています。その他の特徴として、水中の有機物を選別するのに使われるとされる大顎髭が退化傾向にあること,水中で梶として使われる尾肢のうち第三尾肢が退化傾向にあることなどが挙げられ、ハマトビムシ科においてその傾向はかなり際立っています。
ミノガサヨコエビ Iphiplateia whiteleggei Stebbing 1899 |
コンブノネクイムシCeinina japinica Stephensen, 1933 |
ハマトビムシ科の最も大きな特徴は、陸上で活動できることで、他のヨコエビ類には今のところこのようなグループは発見されておりません。形態的には第1触角と比較して明らかに第2触角が長く、これによってよく似たモクズヨコエビ類と識別が可能です。
咬脚に性的二型があるかどうかによって、ハマトビムシ科は大きく2つのグループに分けられます。
Talitrusグループ
No sexual dimorphism in this group. |
性的二形:なし
地中海を中心に繁栄しているほか、オーストラリアやタスマニアでも分化を遂げています。日本から報告があるのは今のところダイトウイワヤトビムシとツメオカトビムシの2種のみで、なかなか見る機会のないグループです。
咬脚は雌雄でおおむね同じ形状をしています。オス同士の争いでは触角でのチャンバラや頭突きをするらしいです(Lowry & Coleman, 2012)。 ヨーロッパ圏で最も有名なハマトビムシ科と考えられるのがこのグループに属するTalitrus saltatorで、地中海からイギリスまでの砂浜に広く生息しています。
Orchestiaグループ
Sexual dimorphic 2nd gnathopods in Male of this group. |
性的二形:あり
オスの第二咬脚がメスと全く違う形に発達する点で、Talitrusグループとは異なります。グループを構成する属のうち、Talorchestia属(約30種),Floresorchestia属(約30種),Platorchestia属(約20種)の3つが最も大きく、それ以外はほとんどが1~数種の小さな属です。
日本の最普通種は「ヒメハマトビムシ」と呼ばれるヨコエビで、全国のそれこそ津々浦々から見つかっているのですが、複数種が混同されている可能性が高く、厳密にはヒメハマトビムシ種群Platorchestia spp.と表記すべきと考えています。後に詳述します。
Serejo & Lowry (2008)はオーストラリアから、このグループに含まれる3属7種を記載しています。この文献はバラエティ豊かな属を撮影したSEM(電子顕微鏡)画像が惜しげもなく使われているネ申論文にも関わらずタダで読めるのでかなりオススメです。
ハマトビムシ科は線画で見てもビジュアル的にほとんど個性がなく、パッと見で印象に残る種はほぼありませんが、アフリカの大西洋岸に分布する属などは肢がめちゃ長く背中がトゲトゲしてたりしてかっこいいです (Lowry & Coleman, 2011)。
Serejo & Lowry (2008)はオーストラリアから、このグループに含まれる3属7種を記載しています。この文献はバラエティ豊かな属を撮影したSEM(電子顕微鏡)画像が惜しげもなく使われているネ申論文にも関わらずタダで読めるのでかなりオススメです。
ハマトビムシ科は線画で見てもビジュアル的にほとんど個性がなく、パッと見で印象に残る種はほぼありませんが、アフリカの大西洋岸に分布する属などは肢がめちゃ長く背中がトゲトゲしてたりしてかっこいいです (Lowry & Coleman, 2011)。
Africorchestia skoogi (Stebbing, 1922) |
アメリカ西海岸には long-horned beach hopperとかCalifornia beach hopperなどと呼ばれる、触角が非常に発達したハマトビムシ類がいます。まさにアメリカンサイズと呼びたくなる20mm越えの大型種も含まれます。日本のヒゲナガハマトビムシもなかなか立派なのですがその比ではありません。色もなんとなくアメリカンだし (Chapman, 2007)。
ハマトビムシ科の多様性は形態のみならずその生活様式にも見出すことができます。そのため、生息場所によってグループ分けをする場合も多々あります。
ハマトビムシ類 Beachfleas (仏:Puce de mer,独:Strandfloh)
生息地:砂浜,砂利浜,礫浜など
特に砂浜に棲み潜砂能力をもつものを Sand hoppers と呼びます。
ハマトビムシ類は海岸の漂着物をめくると多くの個体が安定して生息しているため、海岸に住む昆虫,クモ類,鳥類の餌となっています。また、ヒグマにおいては餌が少ない時期の非常食になっているとも言われています(「知床 ヒグマ暮らす渚」)。
なお、ハマトビムシ類が人を咬むという話が流布していますが、大顎の形状からみてそうは思われず、恐らくはスナホリムシ類によるものと考えられます。
(補遺(2): 知恵ぽた.com ※隅から隅まで聞きかじりと憶測で構成された謎のデータベースです )
オカトビムシ類 Land hoppers
生息地:湿地,森林,田畑,洞窟,山地など(海浜以外)
湿地性のものをMarsh hoppersと呼ぶこともあるようです。
オカトビムシ類は多くの土壌動物と同様に落葉等の分解者として理解されてきました。しかし、Katoが1995年にネイチャー誌で発表した1本の論文によって、思いもよらない生態学的地位を占めている種がいることが明らかになりました。ニホンオカトビムシPlatorchestia japonicaは、なんとハランの送粉者だったのです(高いお弁当に入ってる飾りのモデルになった花)。
洞窟性のハマトビムシ類は、ハワイのSpelaeorchestia koloana,南大東島のダイトウイワヤトビムシMinamitalitrus zoltaniが知られており、どちらも体は真っ白で弱々しい印象です。眼が退化しているため飛び跳ねることはできないのかもしれません。
洞窟性のハマトビムシ類は、ハワイのSpelaeorchestia koloana,南大東島のダイトウイワヤトビムシMinamitalitrus zoltaniが知られており、どちらも体は真っ白で弱々しい印象です。眼が退化しているため飛び跳ねることはできないのかもしれません。
オカトビムシかハマトビムシかは属ごとに明確に分かれている場合もありますが、Platorchestia属など両方が含まれている属もあります。このことから、陸域・海浜への進出はグループごとに並行的に起こっていると考えることができます。このあたりについては笹子(2011)がDNA解析手法を用いた検討を行っています。
さて、以下に日本で記録のあるハマトビムシ科を列挙します。ヌケモレありましたらご指摘くださるとありがたいです。
日本産ハマトビムシ科 Japanese Talitridae
Bousfieldia omoto Morino, 2014 ヤエヤマオカトビムシ/ 森林:石垣島,西表島(森野, 2015)
Ditmorchestia ditmari (Derzhavin, 1923) ホッカイハマトビムシ / 海岸林:北海道東部 (森野・向井, 2016)
Ezotinorchestia solifuga (Iwasa, 1939) キタオカトビムシ/ 海岸林:北海道東部,福井(森野, 2015)
Kokuborchestia kokuboi (Uéno, 1929) コクボオカトビムシ/ 海岸林~森林:北海道南西部,東北北部 (森野, 2015)
Lowryella wadai (Morino & Miyamoto, 2016) ヨシハラハマトビムシ/ ヨシ原:宮崎県,愛媛県 (Morino & Miyamoto, 2016b)
Mizuhorchestia urospina Morino, 2014 トゲオカトビムシ/ 海岸林~森林:本州,四国,九州(森野, 2015)
Nipponorchestia curvatus Morino and Miyamoto, 2015 ヒメオカトビムシ/ 海岸~海岸林:近畿,伊豆,四国,九州,対馬 (Morino & Miyamoto 2015a)
Nipponorchestia nudiramus Morino and Miyamoto, 2015 トゲナシオカトビムシ/ 海岸林~森林:近畿,東海 (Morino & Miyamoto, 2015a)
Platorchestia humicola (Martens, 1868) オカトビムシ/ 森林:本州 (森野, 2015),台湾 (Miyamoto & Morino, 2004)
Platorchestia japonica (Tattersall, 1922) ニホンオカトビムシ / 湖岸,森林:北海道~沖縄 (森野, 2015),台湾 (Miyamoto & Morino, 2004)
Platorchestia joi Stock and Biernbaum, 1994 ヒメハマトビムシ / 内湾的砂浜:日本各地 (森野・向井, 2016),ロシア極東部,韓国 (Jo, 1988),台湾 (Miyamoto & Morino, 2004)
Platorchestia pachypus (Derzharvin, 1937) ニホンヒメハマトビムシ/ 外湾的砂浜,砂利浜 (笹子, 2011),潮間帯~潮上帯 :北海道~九州 (森野・向井, 2016),韓国 (Jo, 1988)
Platorchestia pacifica Miyamoto and Morino, 2004 (和名未提唱) / 内湾的砂浜,砂利浜,岩礁上部 (笹子, 2011),礫浜 (小川, 未発表):台湾 (Miyamoto & Morino, 2004),日本各地,韓国 (笹子, 2011)
Platorchestia sp. sensu 森野, 1999 ミナミオカトビムシ / 海岸林:本州日本海岸,四国,九州,トカラ(森野, 2015)
Pyatakovestia boninensis Morino and Miyamoto, 2015 オガサワラホソハマトビムシ / 海岸~森林性:母島 (森野, 2015)
Pyatakovestia iwasai Morino and Miyamoto, 2015 ミナミホソハマトビムシ / 海岸林 (森野, 2015),礫浜:台湾,沖縄,本州関東以南太平洋岸,福井以南日本海岸 (Morino & Miyamoto, 2015b)
Pyatakovestia pyatakovi (Derzhavin, 1937) ホソハマトビムシ / 海岸林 (森野, 2015),礫浜:ロシア,韓国,北海道,本州日本海岸,伊豆半島以北太平洋岸(Morino & Miyamoto, 2015b)
Sinorchestia nipponensis (Morino, 1972) ニホンスナハマトビムシ/ 砂浜性 潮上帯上部 漂着物:茨城以南~四国,九州 (森野・向井, 2016)
Sinorchestia sinensis (Chilton, 1925) タイリクスナハマトビムシ/ 砂浜性 潮上帯上部 漂着物:台湾,沖縄,西表,四国,紀伊半島 (森野・向井, 2016)
Talitroides topitotum (Burt, 1934) ツメオカトビムシ / 林床性:沖縄 国頭郡 (森野, 2015)
Traskorchestia ochotensis (Brandt, 1851) オオハマトビムシ/ 礫浜:北海道東部 (森野・向井, 2016)
Trinorchestia longiramus (Jo, 1988)(和名未提唱) / 韓国 ,日本 (笹子, 2011)
Trinorchestia trinitatis (Derzhavin, 1937) ヒゲナガハマトビムシ / 砂浜性:韓国,北海道~九州 (森野・向井, 2016)
Minamitalitrus zoltani White et al., 2013 ダイトウイワヤトビムシ / 洞窟性:南大東島 星野洞 (森野, 2015)
※正式な記録はありませんが、韓国で記載されたPlatorchestia parapacifica Kim, Jung & Min, 2013は日本にも分布していると考えられており、これを加えると 14属25種 となります。
森野(1991, 1999, 2015)はこれらの種について検索表を提供しています。各バージョンの種名の対応については以下の表をご参照ください(森野1991については現在は絶版です)。
ハマトビムシ類に限っては森野・向井(2016)がポイントを絞りつつも詳細にまとめており、ヒメハマトビムシ種群を含めた8種類のハマトビムシ類を識別できるようになっています。こちらの冊子は1冊分の値段より送料の方が高いので、まとめ買いしてご近所に配るようにしましょう(真顔)。
ヒメハマトビムシは長らくOrchestia platensisという学名があてられていました。現在でもそのようになっている資料が散見されますが、最新の知見に照らすとこの学名をあてるのは不適切です。その経緯については非常に複雑なので以下の年表をご覧ください。
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ヒメハマトビムシの歴史
1845年
デンマークの動物学者Henrik KrøyerによってOrchestia platensisが記載される。
Krøyer 1845の図より抜粋,再構成 |
1934年(昭和9年)
「ハマトビムシOrchestia sp.」が『全動物圖鑑』に掲載される。Talitridae科にハマトビムシ科の和名があてられる。この図鑑は戦後に2度ほど復刻されるが、1960年(光和書房版)の版も出版当時と同じ記述となっている。
(※線画に使われた標本は♂で、Platorchestia属の一種と推定される。触角の発達が弱く、未成熟のハマトビムシ類またはオカトビムシ類の可能性あり)
1937年
Derzharvinによってソ連の日本海沿岸からTalorchestia crassicornisが記載される。
1939年(昭和14年)
北海道帝大理学部の岩佐正夫によって、Orchestia platensisが北海道をはじめとする日本各地に生息していると報告される(この標本は後にMiyamoto & Morino (2004)によってP. joiと再同定された)。
1956年(昭和31年)
「山口県産のO. platensis」から胞子虫類Cephaloidophora属の新種が報告される(星出 1956)。
1965年(昭和40年)
「ヒメハマトビムシO. platensis」が『新日本動物圖鑑』に掲載される(永田 1965)。
(※尾節板に3列の棘状剛毛束がみられるため、P. parapacificaの可能性あり)
1982年
Platorchestia属が新設され複数種の属位が変更される(Bousfield 1982)。
O. platensis Krøyer, 1845 → Platorchestia platensis (Krøyer, 1845)
T. crassicornis Derzhavin, 1937 → P. crassicornis (Derzhavin, 1937)
1988年
韓国からP. mummuiが記載されるとともに、P. crassicornisが再記載される。そして、これまで日本や韓国などの極東エリアから報告されていた「O. platensis(=P. platensis)」はP. crassicornisに置換されるべきとの見解が示される (Jo 1988)。
1991年(平成3年)
「ヒメハマトビムシ」が学名を伴わずに『日本産土壌動物検索図説』に掲載される(森野 1991)。
(※尾節板および第三胸脚の特徴より、P. joiの可能性あり)
1994年
Bousfield(1982)によってT. crassicornisがP. crassicornis (Derzhavin, 1937)になったばかりでなく、P. platensisの属位変更に伴ってP. crassicornis (Costa, 1867)という学名ができていたため、P. crassicornisが2種あることが分かった。この問題を解決するために、より早くに記載されたP. crassicornis (Costa, 1867)をこのまま残し、P. crassicornis (Derzhavin, 1937) を無効とするとの宣言がなされた。P. crassicornis (Derzhavin, 1937)には新たな学名としてP. joiが与えられた(Stock & Biernbaum 1994)。
1995年(平成7年)
「ヒメハマトビムシP. platensis」が『新日本海岸動物図鑑』に掲載される(平山 1995)。
(※尾節板および第三胸脚の特徴より、P. pacificaの可能性あり)
1999年(平成11年)
「ヒメハマトビムシP. platensis」が『日本産土壌動物』に掲載される(森野 1999)。
2004年
台湾よりP. pacificaが記載され、アジアにP. platensisは生息していないとの見解が改めて示される(Miyamoto & Morino 2004)。
2011年(平成23年)
ヒメハマトビムシに対応する学名がP. pacificaとされる(笹子 2011)。
2013年
韓国よりP. parapacificaが記載される(Kim et al. 2013)。
2015年(平成27年)
「ヒメハマトビムシP. platensis」が『日本産土壌動物-第二版-』に掲載される(森野 2015)。
2016年(平成28年)
ヒメハマトビムシに対応する学名がP. joiとされる(森野・向井 2016)。
このブログでも繰り返し述べていますが、P. platensisがアジアに生息しないとの知見が示された2004年に、「日本にいるヒメハマトビムシ」≠P. platensisとなりました。この後の「ヒメハマトビムシ事情」はその道の人間にとっても理解が容易ではなく、例えば2007年の環境省の調査報告書をみても、P. pacificaやP. joiに混じってヒメハマトビムシがP. platensisの学名を伴って登場するなど、相当混乱している様子が伺えます。
そもそもP. platensisを日本から最初に報告した文献ははっきりしませんが、森野・向井(2016)がヒメハマトビムシの学名をP. joiとしたのも Iwasa(1939) の報告に基づくものらしいので、これが初出である可能性が高いです。この文献では「地中海からアフリカ,インド,ハワイ,北米」「普通は海浜、まれに乾いた土地や淡水域に棲息し、棲み処や成長段階により形状が異なる」などとされていることから、複数種が混同されていると考えられます。細かな形態の観察を行えば細分化されたのかもしれませんが、1980年代くらいまでは世界の研究者がP. platensisを非常に広範に分布する種として理解していたため、無理もありません。
ちなみに、ハマトビムシという名前がいつからあったか定かではありませんが、江戸時代に記された栗氏千蟲譜にハマトビムシ科っぽい記述があり、 「水蚤」「和名 トビムシ」となっています。19世紀初頭の日本ではそういった名前で呼ばれていたのでしょう。「水ニモ生ス海苔二ツク大小色アイハ違ヘド形状ハ一様ナリ」と、ヨコエビスト向けの煽り文句もばっちり入っています。
Japanese natural history illustrator drew in 1811 original picture of this talitridean amphipod. |
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現在、ヒメハマトビムシはヒメハマトビムシ種群Platorchestia spp.として、森野・向井(2016)が挙げている4つの特徴によって他種と識別が可能です。しかし狭義の種としてのヒメハマトビムシ=P. joiはそれだけで大丈夫どんな問題も解ける、というわけにはいきません。一言でいうと、見るべきポイントがビミョーなのです。
Miyamoto & Morino (2004)は従来のどの「ヒメハマトビムシ」がP. joi,P. pacificaのどちらに対応するかを示しています。大物文献が名を連ねております。いかに長いこと隠れていた隠蔽種なのかが分かるかと思います。
過去にP. platensisと同定されていた文献の再同定と、その後の研究 |
笹子(2011)は国内におけるP. joiとP. pacificaの分布を示しています。しかし、これが発表されたのはKim et al.によってP. parapacificaが記載される2年前なので、この2種のどちらかにP. parapacificaが混同されているか、未記載種・不明種扱いとされている標本に含まれている可能性があります。
ヨコエビの近似種間の識別は成熟したオスの形質に頼るところが多く、ヒメハマトビムシにおいても例外ではありません。老若男女に関わらず(?)安定した形質を見つける必要がありますが、ひとまずKim et al. (2013)およびMiyamoto & Morino (2004)を参考に以下の通りにまとめてみます。
(♂)第2咬脚前節下縁剛毛;第3胸脚前節と腕節の長さ;第2腹脚柄部縁部の剛毛数;第3腹脚柄部縁部・後面の剛毛数;尾節板側縁部の剛毛束数 |
これらの文献には他にも識別形質が示されていますが、線画と対応していないように見えるなど気になる点も多く、とりあえずこの5箇所を挙げました。かなり闇が深いです。
選抜した形質は大きいものもありますが、腹肢の剛毛などは非常に細かく、これまでの研究者もせいぜい「毛が多め」くらいで片づけてきた特徴なので、正確に計数するのは容易ではないです。
これが横から見た尾節板です |
側縁棘状剛毛束はこのように見えます 尾節板頂点にも棘状剛毛束があるので要注意です |
というわけで、ヒメハマトビムシ種群は、ルーペおよび一般的な双眼実体顕微鏡下において、種までの同定は困難です。頑張れば、次の手順でいけるかもしれません。
1.尾節板を見てP. parapacificaを分ける(側縁棘状剛毛束数)
2.第3胸脚を見てP. joiとP. pacificaを分ける(前節と腕節の長短関係)
しかし、これらの形質の安定性には疑問があります。
三重県鳥羽市産のオス |
この個体を見ると、
1.第2咬脚前節の下縁に剛毛がない
2.第3胸脚の前節と腕節の長さは、前節がやや長いもののほぼ同長
3.尾節板側縁棘状剛毛束は2つ
・・・ということから、P. pacificaっぽいということが分かるかと思います。
しかし・・・
大阪府貝塚市産の完全成熟オス |
貝塚市の同じ場所で採ったサンプルにはここまで成熟していない♂も含まれておりますが、それらには以下の傾向がありました。
1.第3胸脚の前節が長め
2.尾節板の側縁棘状剛毛束は2つ
つまり、これらの形質は成長によって変化し、尚且つ尾節板の側縁棘状剛毛束に至っては、成熟した個体ほど混乱を招く可能性が高いかもしれないのです。
Morino(1975)でも「和歌山県畠島産のP. platensis」 において尾節板側縁棘状剛毛束の様子は左右で一定していないように見えます。
また、もしかするとヒメハマトビムシ種群の中には細かな環境選好性,行動様式,体色などに差異があるかもしれません。例えばChapman chapterでは、あのアメリカンなハマトビ Megalorchestia属に含まれる5種もの近似種(M. californiana,M. corniculata,M. columbiana,M. benedicti,M. pugettensis)について生時の模様を図示している画期的なコーナーがあります(Chapman, 2007)。こういった知見が集まれば、ヒメハマトビムシ種群を模様などで同定できるかもしれません。ただしこうしたスタイルの同定はまだ情報の蓄積や議論が不十分で、今後の研究を待たねばなりません・・・
(補遺(2): Inoue (1979)が「茨城県産のヒメハマトビムシPlatorchestia platensis」の背面の模様の安定性と第二触角柄節第5節と鞭部の長さとの相関を示していました。P. joiおよびP. pacificaとの対応ができる材料に乏しくすぐには応用が難しいと思いますが、再現性のある形質として生時の模様に着目する価値を示すには十分と思われます。 )
そして、考えたくはないですが、さらなる未記載種や国内未確認種などが存在する可能性もあります。このため、厳密にはMiyamoto & Morino (2004)やKim et al. (2013)が記述した形質は全てチェックした上で同定しなければいけません・・・
続報があればブログかその他のしかるべきメディアでご案内いたします。
この夏に幾度かカジュアル遠征をしてみて分かったのですが、ハマトビムシ科の研究には以下の特徴があります。
1.長靴や胴長がなくても採集できる
2.身体構造が丈夫なためドロクダムシ下目などと比較して触角などがもげたりしにくく、標本が傷みにくい
3.天然風の浜さえあればわりとどこでも生息しているため、グーグルマップなどで生息適地の見当をつけることができる(海藻相などを知らなくてもよい)
4.そのへんの砂浜で採れるのはだいたいP. joiかP.pacificaに限られるので、新たに文献を集めたりする必要がない(今のところ)
Barnard & Karaman (1991)がスルーしているなど、ハマトビムシ科はヨコエビ研究の中でメインストリームに位置づけられない場面も多々ありますが、装備や時間に制約が多いタイプのヨコエビストにとってはなかなか良いテーマかもしれません。
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~ おまけ Appendix ~
先日、漫然とネットサーフィンをしていたところ、衝撃的なものを発見しました。
透明標本ヨコエビsp.!?
透明?標本? ヨコエビ?sp.?ヴィレヴァン!?
ほうれポチっとな・・・
マジもんのヨコエビじゃん!!!!
最近というか何年か前から流行りだした染色標本ですね。
ヴィレヴァンのアカウントにログインするのは久しぶりです(購入)
-数日後-
薬品処理の影響か、標本は抜け殻のように柔らかくふわふわしています。内容液の粘度が高いことからグリセリンに浮かべていると思われ、そのため底でクタったりしないようです。頭の先から肢の先まで綺麗に染色されており、Coleman(2005)を彷彿とさせます。
さっそく森野・向井(2016)を片手に同定してみましょう。これだけ大きいので、肉眼でも付属肢の形状を確認することができますすばらしいネ申か
1.第二触角は柄部長<鞭部長
2.第二咬脚前節掌縁の上部に小さな凹みがあるがそれ以外は平滑でごく緩く湾曲
3.第一尾肢副肢外葉に縁棘あり
結果は・・・
ヒゲナガハマトビムシTrinorchestia trinitatis (Derzhavin, 1937)
・・・でした。
アルコール等の固定液に入れてないのも不安ですが、 第一にラベル不全で標本の用を為しません。 native coll.でもいいから採集都道府県だけでも欲しかったな・・・ てかそもそも採ったの日本なのかな・・・(※分類ヲタクの愚痴) |
さて、このハマトビ君。論文には全く使用できない代物ですが、染色法は気になります。
Coleman(2005)がオススメしている方法は水酸化カリウムやアゾフロキシンが出てきたリ、Enzyprimなるよく分からない試薬が出てきたリと、ちょっと怖いので、もしかしたら透明標本とかいって流行ってるくらいなら、より良いお手軽染色方法があったりするのでは・・・?
・・・ということで調べてみましたが、結局透明化には苛性ソーダが欠かせないのと、ホルマリンによる固定やキシレンによる脱脂を行う必要があり、一般家庭で使用するには躊躇われるものが多いという点では変わらず。いい文献(朝井・細谷2012)がネットでタダで落とし放題なので、検討材料にはしておきます。染色液を含めて、買おうと思って買えないものではないみたいだし。
(Colemanは、ヨコエビの標本を染色して撮影・イラレに読み取りすることで簡単に線画を得る方法を提唱しているドイツの研究者です。)
そして何年も本棚で眠っていたこの本を開いてみる。
”それは、標本という名前からは、あまりにもかけ離れた存在” ほんまそれな!! |
本書には残念ながらヨコエビの透明標本は登場しないのですが、十脚類が数種とカブトガニの透明標本が紹介されています。たぶんまともに読んだのは初めてですが、同定がしっかりしているのに驚き。恐らく透明標本のはしりはこの人なのでしょうが、今は耽美的な道楽のようなこの界隈も元々は学術的なバックボーンがあったのかもと思いました。
ヴィレヴァンでヨコエビを売るのが当たり前になってみんながヴィレヴァンでヨコエビを買う時代も近いのかもしれません(近くない)。
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<参考文献>
- Barnard, J.L., G.S. Karaman 1991. The Families and Genera of Marine Gammaridean Amphipoa (Except Marine Gammaroids), Records of Australian Museum supplment 13, part 1,2, 866p.
- Bousfield, E.L. 1982. The amphipod superfamily Talitroidea in the northeastern Pacific region. 1. Family Talitridae; systematics and distributional ecology. National Museum of Canada, Publications in Biological Oceanography, 11: i–vii, 1-72.
- Chapman, J.W. Gammaridea. In: Carlton,J.T. (ed.) The Light and Smith Manual Intertidal Invertebrates from Central California to Oregon. Fourth Edition, Universally California Press, pp.545-618.
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- Coleman, C.O., 2005. Speeding up scientific illustrations. A method to avoid time consuming pencil drawingsparticularly in arthropods. NDLTD Union Catalog.
- 平山明 1995. 端脚類. In: 西村三郎(ed.)『原色検索日本海岸動物図鑑[II]』. 保育社, 東京.
- 平山明 1995. 端脚類. In: 西村三郎(ed.)『原色検索日本海岸動物図鑑[II]』. 保育社, 東京.
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※最新の処遇についてはWoRMSを参照して確認した。