『ヨコエビ ガイドブック』(有山, 2022)が出版された時、「ヨコエビに絵合わせ分類のビッグウェーブが来る」といった趣旨のことを言いました。実際、そういった潮流は大きくなっている印象があります。
とりあえず参考文献があるのはここまでで、以下は妄想になります。
個人が生物を同定して不特定多数へ共有する双方向プラットフォームは、もはや枚挙に暇がありません。Biome,いきものログ,iNaturalist,ナニコレンズ,日本まるごと生き物図鑑なんかが有名でしょうか。本来それ専用ではありませんが、Facebookなどの各SNSもそのようなコミュニティが散見されます。そういった中にヨコエビが登場する頻度が上がった印象があり、同時に信頼性の低い同定が放置されている状況も決して少なくありません。
昔から、個人ブログなどで取り上げられている写真に間違った同定が掲載され続けている状況は確かに存在していて(弊ブログも見る人によってそういった一角に位置づけられている可能性もありますが)、裾野の広いプラットフォームができてからネット情報の同定精度が目に見えて下がっているかというと、そういう感覚はありません。昔に比べると有用な文献・webサイトは増えましたし、分類に必要な学術誌を取り寄せる難易度もだいぶ下がり、一般人も研究者に近い手法で生物の同定を行うことができる環境となったことで、精度の高い情報発信が行われる素地もまた充実してきています。
ただ双方向プラットフォームの発達に伴い「ネットの海に放流される名前つき写真」の規模が拡大している感じがするのと、そういった仕組みが当たり前の社会では、利用者が生物分類に用いるソースの軸足が紙からネットへ移行している雰囲気があります。特にプラットフォーム内だけで情報を得るようになると、ひとたびプラットフォーム内の分類体系と現実の学界におけるコンセンサスとの間に乖離が生じた場合、それが固定化あるいは乖離の加速を招くことが懸念されます。
ヨコエビにおいてこの現象を明確に観測したことはありませんが、Biomeの昆虫界隈で分類学の営みがプラットフォーム内で完結していると信じ込んでいるように見受けられる利用者を実際に見かけたことがあります。
これは、個人が「ネットにアップロードされている文献」「有用なwebサイト」「プラットフォーム上で他の利用者から提案される情報」に親しむようになった側面があるのと同時に、AI同定機能の発達によっても特徴づけられると思います。
プラットフォームごとにAIの精度を比べたことがありますが、良くも悪くも決定的な違いはないように見えました。完成度の議論は脇に置いて、AIが出す成果物は最終的に使用者が自らの責任で扱いを決めるべきで(真っ当な分析・生成サービスにはこの手の注意書きが必ずあります)、鵜呑みにするものではありません。AIのそれっぽい結果を追認して仮にそれが間違っていた場合、その場面での錯誤のみならず、その後のAIの精度にも恐らく良い影響は与えません。原則論からすると、教師データには「既存の手法に基づき人力で学術的な名前と紐づけられた画像」が用いられたはずで、AIに追従するだけでその手順を踏まないデータが還元されていくとすれば、精度はどんどん下がっていきます。
ヨコエビの分類が困難な理由はこの記事あるいはこの記事でしつこく掘り下げましたが、要するに専門家が適切な設備・文献・技術を駆使して初めて種が分かるような連中がかなりの割合を占めており、例えば識別形質を網羅した資料があったとしても、顕微鏡や解剖技術がないと同定のしようがない、といった不案内な状況がデフォです。
そのへんで採れる普通種であっても、記載以来まともに記録が無いような種の不明瞭な原記載を何十本と集めたり、時には図もなくラテン語やイタリア語で書かれた論文と照らし合わせて、ようやく既知種かどうかが分かる、ということもザラです。
誇張ではなく、実際に野外で無作為にヨコエビを採集するとそういう作業になってしまうのです。
あと、そもそも小さすぎますね。特徴的な形態形質をもつものであればかなり引きの写真で種や雌雄まで判別可能な場合がある一方、数十マイクロの大きさしかない口器を見ないと科の識別形質を確認できないヨコエビもいます。
「だからこそ厳密な話をしてもしょうがないじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、「難しいから適当に名前をつけてもいい」というのが当たり前になってしまうと、そもそもなぜ同定をするのかの意義、そして蓄積されるデータの有用性も失われてきます。識別が容易な種についてそれを分類する意義を認識しているのであれば、識別が困難な種に対しても(実際に今から正確な種同定をできるかどうかは別にして)その意義だけは認めるのが道理だと思います。
もちろん、見つけた生き物をどう呼ぼうが個人の勝手であり、そういった愛称を共有する場がネット上に広がっているという解釈もできます。知名度の割に種分類が進んでいないといわれるウミウシ類では、ダイバーがつけた愛称が先行して便宜的な種として知見の整理に役立っているようです。ヨコエビにおける「ピカチュウヨコエビ」や「パンダメリタ」も似たようなものでしょう。ただ学術的な分類体系には典拠となる決め事が既にあり、また仲間内だけで通用する愛称にも別の背景があるわけで、両者は別の枠組みである点には注意が必要です。愛称がそのまま和名に採用されるとは限りませんし、分類学的検討によって複数の便宜的な種が統合、あるいは複数種を内包していることが明らかになるかもしれません。また、発端となった文献は特定できていないのですが、流布した愛称が実在の他の生き物の和名と被る事例もあります(タルマワシ)。
未記載種に何らかの愛称が存在することは観察や採集を助けることにつながり、本来は分類学の発展とは何ら競合しないものと思います。愛称と和名の関係性を理解せず、あるいは愛称の曖昧さを隠れ蓑にするようなよほどの濫用でもされなければ、既知種・未記載種問わず積極的に共存を図るべきと思います。
過程はともあれ、学術的文脈で生み出され現実世界で運用されている分類体系が、ネットのオープンなコミュニティでその通りに扱われない場面というのは、更に増えていく気がします。
こういった状況に対して、皆が研究者になればいいというような話ではなく、専門的な文献の世界に入っていかなくともできることやすべきことがあると思っています。
- プラットフォームに正確な写真を載せる
- 有用なソースを共有する
- 同定に際して有用な文献・webサイト
- 信頼できる目録の類
- これらをSNSなどで同好の志に共有する
- 可能であればフォーマットのコメント欄などに同定根拠を記載する(iNaturalistでは、利用者に表示されない仕組みにはなっているものの、和名を付加する時に理由やソースを付属させることが必須となっています)
- 種同定にこだわらない
- 科や属で止めるという分類(iNaturalistは、種より上の各分類階級が整備されています)
種同定ありきで枠が作られているフォーマットがあまりに多いため、利用者側からはどうしようもできない部分もあります。マイナー分類群との棲み分けやサービスそのものの淘汰といった流れが必要かもしれません。
なにはともあれ、信頼できる図鑑や書籍で情報を得ながら適切な手段で分類を行うというやり方を、ネット上へ移植すればいいだけだと思います。ただし、それこそ学術誌や同好会誌などと異なり同定に使用した文献の明示は必須ではなく、外の情報が入りにくい設計となっている現実があります。ソースを義務付けても、裾野の拡大にブレーキをかけたり、仕組みが形骸化することも考えられます。そこまで専門的なものは求めてないという意見もあるでしょう。ただ、サービス提供側が「誰でも専門家になれる」「ビッグデータで研究者や行政を支援できる」と謳っている以上、専門性や精度を蔑ろにしてよい道理はないはずです。
実際にこういったフォーマットを利用しなくとも、利用者が多くいるであろうSNSなどで有用な文献やwebの情報を積極的に共有したり、信頼できる専門家の言動をモニターすることは、ネット上での分類の在り方を一定の範囲に留める方向に働くのではと思います。
そもそもの同定が合っている間違っているという話をしてきましたが、分類体系は日々改廃されており「生き物の分類は生き物」というのが実情です。どちらかというと、円滑に修正が行われる仕組みの方が大切だと思っています。
Biomeは、写真の投稿主が採用しない限り、他の利用者が提案した同定は反映されません。提案を検討する力量のない利用者には向いておらず、投稿主が非協力的、あるいはログインをやめてしまうと、修正されないデータが永遠に残り続けます。こういった事態に対して、明らかに分布が異なるといった観察記録に運営アカウントが介入しているのを見かけたことがありますが、あくまで緊急対応のようです。分類階級の改廃も運営に集約する申請方式です。膨大な分類群を一元管理するには途轍もない人的資源が要求されるはずですが、管理体制が整っているとは思えません。
生物分類には誤同定がついて回る一方、情報を受け取る側はそれを疑ってかかるとは限りません。それはwebだろうが紙媒体だろうが同じです。
またプラットフォームには手軽さを謳うものもあり、裾野が広がればそれだけ多様な価値観の人が集まり、学界における生物分類の理念と相容れない利用者の数も増えます。生物多様性の記録ひいては保全への協力を仰ぐといった文脈で、生物分類に携わる人の裾野を広げることは非常に意義深いですが、例えば「写真から連想される生物名を矢継ぎ早に思いつくまま挙げる」といった提案を繰り返す利用者も見かけたことがあります。
当然想定されるはずの事象に対してこれといったフォローが無いのは、むしろ裾野を広げることに消極的なのではとさえ思えます。
iNaturalistでは、提案者の同定が多数決の原理で自動反映されます。分類階級の改廃は、実績ある利用者の中で特に権限付与を受けた「キュレーター」がそれを行う権限を持ちます。もちろん民主的方法に委ねた故のヌケモレやムラがあるでしょうが、不具合への反応速度という観点では運営に集約する仕組みより合理的だと思います。
プラットフォームの「手軽さ」は「ゲーム感覚」と強く紐づけられている印象があり、例えば「ポケモンGO」の現実世界版のような捉え方をする利用者も少なくない感じがします。
ゲーム感覚を踏まえてか、Biomeでは行政などと連携したイベントを頻繁に開催して、インベントリのような活動を行っています。
こういったゲーム性の導入は、ともすれば現実の生物を分類する営みを、図鑑をかざしさえすれば自動で正確に同定できるポケモンと混同させかねません。確かに過去には十分な同定資料が提供されないなどの不案内が多々見受けられましたが、最近はかなり充実したガイドが添付されており、分類の経験を積むことができるようになってきていると思います。終了したイベントの資料も引き続き参照できる仕様は評価できます。
また、今後は生成AIによる検索汚染も強く懸念されます。
マイナー分類群であるヨコエビがどのような影響を受けるのか想像つきませんが、某国のウィキペディアが暇に任せて一個人が粗製濫造した出鱈目な記事で汚染された事例なんかを踏まえると、例えば、双方プラットフォームの空いているところを埋めることに使命感を持った暇人が、ブランクになっている種名の枠にそれっぽい生成画像をひたすら貼っていくといった奇行に及ぶ可能性も十分にあり、現状はそれを防いだり復旧させたりする体制が十分ではないといえます。そういった状況そのものを観測したわけではありませんが、規約に違反したオモチャやヒトの画像を意図的に投稿している利用者は見たことがあります。
例えば「Gammaridean amphipoda」というプロンプトだけをSoraに与えた場合、このような画像が出力されてきます。胸節~尾節の数、形状が異なるので違和感を指摘することはできますが、触角や胸脚なんかはわりと現実の体制との矛盾が少なく、異常の出方によっては「そういう未記載種もいるかもしれない」程度に落とし込んできそうな感じはあります。それこそAIの進化は日進月歩ですから、一目でわかるような画像のほうがもはや珍しい状況といえるでしょう。
もし双方向プラットフォームが、その中だけで完結するものではなく現実の分類体系との連結を標榜しているのであれば、そういった前提を踏まえたシステム設計は欠かせないでしょう。利用者の状況もwebサービスの在り方も刻一刻と変わりますし、もちろん画一的な答えは出しようもないですが、よりよいサービスを模索して採用していくことが重要だと思います。
<参考文献>