2025年4月1日火曜日

2025年4月1日活動報告


 ヨコエビが登場するゲーム、過去には「Facility 47」や「つりライフ+ ~ゆるゆる釣りRPG~」 を紹介しましたが、更に攻めたものが出たようです。



 

 あなたは謎のラボに閉じ込められています。

 目の前に無限にも思える数の瓶があります。

 瓶の中には標本が入っており、それを取り出して観察します。

 既知種に同定されれば適切な種名を添えて次へ進みます。

 既知種の確信が得られなければ標本を元の瓶に戻し、後の研究に委ねます。

 8本目の瓶まで進んでクリアを目指そう。

商品ページより)


 No.1の標本瓶から始まります。



 瓶を開ける(選択する)とヨコエビの画像が映し出されます。

 倍率を変えつつこれを観察しながら順番に同定してNo.2,3と進めていくわけですが、未記載種を既知種に同定してしまう、あるいは既知種を見落とすと、瓶の番号はNo.1に戻ります。ただ残念ながら中身の標本は換わっていて、再度検討し直しになります。



 こういうトンチキなデザインのヨコエビも意外と既知種だったりするんですよね。

 同定には引き際も肝心で、無理やり名前をつけないスタイルが重要です。既知種と少しでも違うという違和感に気付くことが、次へ進むチャンスになるのです。皆さんも文献を片手にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

















 というわけで、今年もエイプリルフールでした。引き続きヨコエビをモチーフにしたサブカルの情報収集は続けていきます。

 なお、本稿の画像作成にはDeepAIのサポートを得ました。


2025年3月3日月曜日

2025年のヨコエビギナーへ(文献紹介第十一弾)

 

  今年もヨコエビの知見を得るのに有用な文献を紹介します。過去の実績はこちらに掲載しています。 

 

<今年のイチオシ(1)>

樋渡武彦・森野浩・池澤広美 2024. 茨城県沿岸を含む日本産ナミノリソコエビ科Dogielinotidaeとモクズヨコエビ科Hyalidae (甲殻亜門・フクロエビ上目・端脚目)全種の分類と検索.茨城県自然博物館研究報告,(27): 89–105, pls. 1–22.

 日本から報告のあるナミノリソコエビ科とモクズヨコエビ科の全種(8属3亜属22種)をレビューした労作が出版されました。これまで樋渡先生含めて「スルーが吉」としていた亜属にも和名を与えるなど、一歩踏み出したというか、歩み寄った感があります。さすがに亜属体制が敷かれて20年以上経ちますから、知らんぷりもしにくいといったところでしょうか。ただし、どれだけ時が経とうが投稿済みの論文の質が上がるはずもなく、Bousfield and Hendrycks (2002) は相変わらず取り扱い注意の奇書なので、誰かが真正面から否定する日が来るまでは、引き続き批判的に見ていく必要があります。
 全種の線画と二又式検索表が完備されており、しかも無料でアクセスできる紀要への掲載ということで実用性が極めて高い仕様になっています。ヨコエビの和文総説は珍しいので、そういった意味でも非常に意義深い研究です。なお、これら2科の未記載種や未記録属はそこらへんに大量に眠っているものとみられ、載っていないものを見つけた方は速やかにお近くの Amphipodologist へお届けください。



<今年のイチオシ(2)>

Jamieson, A. J.; Weston, J. N. J. 2023. Amphipoda from depths exceeding 6,000 meters revisited 60 years on. Journal of Crustacean Biology, 43: 1–28.

 タイトル通り、過去60年におよぶ超深海ヨコエビ研究をレビューした決定的な論文が出てました。目録として優れているのは言うまでもなく、超深海ヨコエビの特性を様々な角度からピックアップした各項目も読みごたえがあります。無料というのもポイント高いです。



<メリタヨコエビ属 𝑀𝑒𝑙𝑖𝑡𝑎 の分類にオススメ(1)>

 このグループは地域により種分化を遂げている可能性が高く、未記載種がゴロゴロしていると考えられます。種内変異や地域変異の複雑さによって難しい分類群と捉えられてきましたが、近年は分子系統解析の進歩も手伝って種の輪郭が少しずつ解明されつつあります。そんなわけで、本邦既知種を同定する手がかりになり、かつ入手の難易度が低いものを挙げます。


 メリタヨコエビ科の重厚なレビューです。本邦のメリタヨコエビ属に関わる部分としては、太平洋北西部の10種について検索表と解説があります。古いながらも、環太平洋の他の種や隣接した属についても俯瞰的に把握できます。BHLから無料で読めますので便利な時代になりました。


 言わずもがな、パンダメリタヨコエビの記載論文です。メリタヨコエビ属本邦産17種が同定できる最新の検索表がついてオープンアクセスという大盤振る舞いです。


 ナガタメリタヨコエビ M. nagatai,ビンゴメリタヨコエビ M. bingoensis の新種記載と、フトメリタヨコエビ M. rylovae,カギメリタヨコエビ M. koreana の報告を行っています。京大のリポジトリから無料でアクセスできます。


— Yamato, S. 1988. Two species of the genus Melita (Crustacea: Amphipoda) from brackish waters in Japan. Publications of the Seto Marine Biological Laboratory33 (1/3): 79–95.
 ヒゲツノメリタヨコエビ M. setiflagella の新種記載と、シミズメリタヨコエビ M. shimizui の報告を行っています。この論文でシミズメリタの種内変異として挙げられている沖縄個体群(form 3)は、後に別種・オキナワメリタヨコエビ M. okinawaensis として記載されました(Tomikawa et al., 2022)。京大のリポジトリから無料でアクセスできます。


<参考文献>

Bousfield, E. L.; Hendrycks, E. A.  2002. The talitroidean amphipod family Hyalidae revised, with emphasis on the North Pacific Fauna: Systematics and distributional ecology. Amphipacifica, 3(3): 17–134.

 Tomikawa K.; Sasaki T.; Aoyagi M.; Nakano T. 2022. Taxonomy and phylogeny of the genus Melita (Crustacea: Amphipoda: Melitidae) from the West Pacific Islands, with descriptions of four new species. Zoologischer Anzeiger296: 141–160.




コラム:在野研究者は遺伝子を読めるか?

 

端脚類のα分類における遺伝子解析の実情

 

α分類とβ分類

 分類学の中には、個々の種を記述する局面(α分類)とそれらの関係を整理する局面(β分類)とがあります。いずれの局面も(少なくともヨコエビでは)形態情報に基づいて行われてきた経緯があります。

 ヨコエビのα分類は形態観察に主軸があり、遺伝情報しか使わない新種記載 (Esmaeili-Rineh et al., 2015) は極めて限られています。

 β分類も形態情報に基づく体系が優勢です。分子系統解析の結果が従来の知見と食い違っても分類体系への反映に至らないものが多く (Hiwatari et al., 2011; Copilaş-Ciocianua et al., 2019) 、分類体系に組み込まれたもの (Sotka et al., 2016) は少数です。

 分子系統解析の知見が分類へ反映されにくいのは、系統学と分類学とが異なる学問である点が重要と思います。分子情報を用いた系統学の論文群と、形態情報に基づく分類学の論文群は、それぞれ別方向の研究分野です。
 「分子-系統」「形態-分類」は対をなすものとして語られがちではあるものの、原義上はそうではありません。多様な姿をもつハトの品種の比較検討に勤しんだダーウィンの例を引くまでもなく、系統学も分類学も遺伝物質を材料とせず営まれてきた経緯があります。要するにどの手法が選ばれるかというだけなのです。実際、ヨコエビでも形態を用いた系統学的研究Barnard and Karaman, 1983; 上平, 1984; Bousfield and Shih, 1994)があります。系統学と分類学との違いを掘り下げるのは趣旨から外れるため、本稿ではあくまで分子・形態が採用されるポテンシャルに差は無いものと捉え、分子情報をα・β分類学へ適用する要点に絞って述べます。
 なお、本コラムでの「分子(生物学)」という語は遺伝物質のみならず酵素や色素,フェロモンの類も念頭に置いています。しかし、そういったものを系統学や分類学と結びつけた研究 (Drozdova et al., 2021) はとても少ないので、「遺伝子」と読み替えて頂いて構いません。

 ともかく現状は「ヨコエビのα・β分類では分子情報に形態情報が併用されている」といったところでしょうか。


なぜ分子は形態の顔色を窺わねばならないのか

 ヨコエビのようなマイナー分類群では、既存の形態分類の全体を見通すこともままならない状況なので、形態分類されたものを後から追いかけて塗り直す作業はかなり遅れているといえます。新しい手法がいかに有用でも、新たな分類群を仲間に加えながら従来の知見を置き換える作業が容易でないのは、想像に難くありません。
 これは、広く材料を集めるβ分類のみならず、限られた範囲で近縁種との比較を行うα分類においても同様です。分子情報に基づいて識別されうる単位(mOTU=molecular Operational Taxonomic Unit)が分類学的な種たり得ることを示すには、近縁種のどれとも違うことを確認する必要があります。しかし、分子情報が得られていない種とは比較できません。結局、過去に種の根拠を示した手法、即ち形態分類の土俵に乗らざるを得ないわけです。

 こういった理由から、ヨコエビのα分類は「分子はまだ本格的に運用できないから形態を使い続ける」という流れになりがちです。そして、分子のみでの記載が成立しにくい一方、形態のみの記載は普通に成立します。従来手法で事足りるため形態偏重の手法が否定されることはなく、従って分子情報を採用する動機につながらず、情報が集積しないので新手法の利便性も向上せず、形態だけで事足りる状況を延命する、といった循環に陥っているのが実情です。「多くの研究者に採用されるだけの有用性を持つには多くの研究者に採用されねばならない」という矛盾を抱えているともいえます。



端脚類のα分類における遺伝子解析の意義

別次元の客観性

 ヨコエビならではともいえる意義もあります。

 生殖隔離と結びついた形態形質が知られる分類群では、生殖器などの形態的(機械的)要素を使った種分化の仮説が導出できる可能性があります。更に分布情報を加えれば、より精度高く種の境界を指し示すことができるでしょう。こういった群には昆虫など陸棲の節足動物が知られ、近年では遺伝情報による裏付けも盛んです。個々の形態形質が生殖隔離を誘発する具体的な機構が解明されているとは限らず、mOTUが形態種と一致しない場合もあるようです。とはいえ、昆虫などのα分類において生殖器や副生殖器の形態形質が特に重視されてきた経緯を踏まえると、形態分類の通底に生物学的種概念の思想が流れていることは間違いないでしょう。

 一方ヨコエビにおいて、交尾前ガードに関わる部位の形状と生殖隔離との相関が示唆される例(Tomikawa et al., 2024)がないわけではありません。しかし、その交尾前ガード行動そのものが逃避の有無に基づく雌雄選別という極めて雑な機構であると指摘されていたり(Holmes, 1903)、種内で体格差のある個体が交接可能という報告があり鍵と鍵穴の関係が不透明になっていたり(草野・草野, 1989)、そもそも交尾前ガードを行わないヨコエビが相当な数に上るという点などから、今のところ十分な有用性をもつものではありません。
 つまり、ごく一部の種において形態情報から生殖隔離の可能性を推定するのが関の山で、それ以外の大多数は「形態形質の不連続性のみをもって間接的に生殖隔離が示唆される程度の、実質的な形態種」であり続けてきました。そして、生殖隔離を効果的に指し示す形質は簡単には見つからず、科の識別形質が後に種内多型と判明したり(Lörz et al., 2020)、後から種の分け過ぎが指摘された例もあります(富川・森野, 2012)
 これは、形態分類の手法が洗練されれば解決される類の問題ではないと思われます。知見が蓄積すればするほど、線画として記述すべき形態形質が増えているのが、その証左でしょう。学問の発展に伴って洗練されているようで、実は焦点が定まらず拡散し続けているのです。
 このような事態になった理由は、分類群の特性として形態観察から生殖隔離を合理的に推し量るのが無理筋だからと思っています。先に述べた通り、ヨコエビ自身が視覚情報や機械的要因で同族認知を行っているという仮説は立てにくく過去ブログも参照)、また体内受精を行う昆虫のような節足動物と、覆卵葉内で体外受精するヨコエビとでは、外骨格の物理的嵌合性が生殖隔離に与える影響が全く違うと言えます。そういった意味で、形態観察によって駆動される端脚類分類学は、系統学と交わらない「純粋な分類学」として、形態種の入れ物や近似種の束ね紐といった役割に徹してきたのであろうと思います。

 こういった、配偶に関わる物理的嵌合性が立証されていない有性生殖生物において、遺伝情報を用いた分類手法は、生殖隔離の傍証という文脈で形態観察の客観性とは段違いの成果を期待されることになります。これは既存の分類体系の精度を上げるというより、「形態種」が支配する世界に生物学的種概念を持ち込むという、革命的な出来事だと思います。もちろん、種分化を駆動する根源的な要素とはいえ遺伝物質の配列も表現形質の一つに過ぎず、「イデアルな種そのものであってほしい」という願望を投影すべきではありません。必ずしも生殖隔離に直結する配列が解析に用いられているわけではありませんし、分子時計の仮説に間違いがあれば系統学的に大きな見当違いを引き起こす可能性があります。


対立する概念ではない

 分子情報を用いた手法と形態情報を用いた手法は、網羅性と客観性において相克のような関係にあると思えますが、相補的とも解釈できます。

 α分類において、分子系統解析から導かれたmOTUに形態分類の視点から裏付けを与える、あるいは形態種とmOTUとの対応を確認する、といった方式であれば、合理性が高いと思います。実際のところ分子と形態の情報を併用している昨今の記載論文は、基本的にこのような構造にまとまっている印象です。


「よい種」の補強材として

 分類学で扱う「種」の本質は「よい種」という概念に帰着し、それは分類学者の合意に担保される、という思想があります(網谷, 2020)。「種」の定義を巡る議論は「分類学の最小単位たる種階級」と「記載された分類群としての種階級タクソン」とを区別せねば成り立たず、網谷 (2020) の主張はそうなっていない点で致命的な欠陥があるように思えます。とはいえ、少なくともα分類において新たに記載される種が「良い種階級タクソン」であることは非常に重要であり、それを担保する学界の合意に注意を払う、もっといえば学界の合意を「種」の本質と捉えるという思想に読み替えれば、非常に示唆深い視点だと思います。

 「形態種」の問題点を解決しうるとはいえ、生物学的種概念は「よい種」における一つの要素に過ぎません。だからこそα分類においては、分子情報と形態観察を併用するなど可能な限り多くの材料を用いて、その時点での「よい種」を目指すことが重要と思います。また、遺伝情報に基づく傍証が有用であるためには「遺伝的種」に基づいた「よい種」の合理性を示して、多くの分類学者の合意を引き寄せるのが道理です。これは一朝一夕には成し得ません。後世の研究を視野に入れて可能な限り配列情報を充実させることが必要と思います。

 生物学的種概念を突き詰めると飼育や交配実験をやろうぜという話になりますが、ご多分に漏れずヨコエビでそのような試みはほぼ論文化されていません。


 こういった背景から「新種記載には形態情報を完備した上で配列情報を紐づけしたい」と考えているわけですが、その実践過程で分かったことや思ったことを以下に述べていきます。



遺伝情報を用いた記載の流れの一例

  遺伝子をα分類に用いる場合、以下のような手順を踏むことになり、必要な機材や試薬もだいぶ複雑です。

  1. 標本から遺伝物質を抽出
  2. 抽出物を精製
  3. 任意のプライマーを添加
  4. PCRで目的の領域を増幅
  5. PCR産生物の確認・精製
  6. シーケンサーを用いて配列情報を得る
  7. 得られた配列情報を保存・出力
  8. 得られた配列情報に加えて、既知種の配列情報をデータベースから参照し、データセットを構築
  9. アライメントを行う
  10. 相同領域の類似度から遺伝的距離を算出
  11. 系統樹を出力

※これはサンプルや配列データそのものへの操作を列挙したもので、当然のことながらそれぞれの工程には別途試薬の調製や解析パラメータの設定など準備があったり、うまくいかなければ工程を戻して調整し直したりします。


 No.8~11はかつて別々のソフトでやっていたようですが、今日ではしぬほど便利なMEGAというフリーソフトが業界を席巻しており、新種記載に求められる程度の処理であれば全てお任せできると思います。

 諸種の配列情報は、自前のものを読み込ませるだけでなくGenBankから呼び出してデータセットに加えることができます。このGenBankは米国衛生研究所が構築しているものですが、3月に入ってから繋がりにくいとの報告があります。時間帯によりアクセス負荷が大きかったり、MEGA側にhttpの形式がうまく認識されず505のエラーコードを吐くことは稀にありましたが、今回はどうやらIPアドレスの識別そのものができないタイミングがあるようです。反知性主義者の陰謀という冗談みたいな噂が流れていますが、わりと本当っぽいのが笑えません。

 GenBankはデータを引っ張るだけでなく、新種記載に紐づけしたい配列情報を共有する場でもありました。なお同じデータ群を別途公開している日本版プラットフォームとしてDDBJがありますが、折しも休止期間中らしいです。もう一つ、欧州には「甲殻類研究者なら黙って」感が漂うEBIENA)があるものの、GenBankの利便性は捨てがたいです。

 なお、日本において朝方にGenBankのアクセス負荷が高い印象があったのは、アメリカの職業研究者が定時の時間帯に頻繁に使用しているからと思われます。昼から夜にかけて接続したほうがストレスが少ないかもしれません。EBIなら逆に朝から夕方までのほうが良さそうです。



課題


閾値設定という壁

 ヨコエビにおいて3–4%の遺伝的差異が種の閾値とされています (Rock et al., 2007; Witt et al., 2008; Hou et al., 2009; Tomikawa et al., 2018) が、海産種で一定の閾値を決められないという説もあります (Tempestini et al., 2018)。再生産や移動など生理生態様式の違いによって適正な閾値が大きく変わってくることは想像がつくものの、「X%の違いを科とするか種とするか」みたいな分類階級の定義に関わるほどの見解の相違があります。そもそも配列情報が得られていない連中は蚊帳の外ですし、控えめにいって混乱しています。

 分子情報を使ったα分類を「桁違いの客観性」などと述べましたが、閾値が定まっていないどころか決められるかも分からない有様では、客観性も説得力もあったものではありません。

 形態と分子を併用して「よい種」を追究する利点は、種の閾値を求める場面、つまり「種階級タクソン」の合理性を高めるだけではなく「種階級」の定義を行う場面でも発揮されると思います。例えば、形態的な証拠に基づいて合意が得られている既知種同士で遺伝的距離を求めておき、その値をもとに新種として記載されうる閾値を模索すればよいのです。形態情報より定量性を期待しやすいとはいえ分子情報に基づく分類も結局は自然界に存在する類似度の階層構造に意味を与える営みでしかないため、どこに種階級の線を引くかというは判断軸は内から自然に湧いてくるものではありません。何度もフィードバックを繰り返す覚悟は必要でしょうが、意義は大きいと思います。


網羅性という壁

 分子情報の網羅性は、「遺伝情報が読まれた種」と「個々の種における配列領域」という2つの側面があると思います。

 遺伝情報のデータベースでは、登録されている配列情報の中にも長短や解析対象箇所のズレがあり、同じ領域を比較するためには最大公約数をとることになります。形態分類に例えると「どの既知種の記載もどこかしら付属肢が欠けていて、仮に手持ちの標本の状態が良くても比較できる部分が自ずと少なくなってしまう」状態です(これはあながち喩え話でもなくて、実際に古い記載図には口器の描画がなかったり、そもそも簡単な判別文のみが添えられていて図がない場合もあります)

 形態分類の発展とともに全身の形態形質を記述するようになった歴史の再現よろしく、分子系統解析の手法が洗練されるにつれてより長い配列が得られたり有用な領域が発見されたりするわけですが、現時点で限定的な配列しか登録されていないことも多々あります。そういった場合、配列が取得されていない部分は、参照できる情報がないという点では分子系統解析が未導入の状態で記載された種と差がありません。また、配列情報だけの存在としてデータベースに格納されている近縁種は、形態情報を参照できないぶんむしろその同定の信憑性を傍証できず、更に配列情報が限定的となるとその価値は大きく下がることになります。
 さらに、配列の長さや使用する領域によってサンプル同士の類似度は変わってくるので、短い配列情報を無理やり使うことで間違った結果を導きかねないという問題もあります。系統分類学的な仮説を強化するために遺伝情報を用いるのに、これでは本末転倒です。もちろん、いかなる材料も完璧に正しいということはないわけですが、遺伝子解析の利点を十分に引き出せる体制でないという事実は重いと思います。全ゲノム解析が当たり前になれば万事解決ですが、配列情報の取得と解析の障壁は格段に上がり、現時点では確実にある意味での有用性を損なうことになるでしょう。

 配列が不完全なら、後から補うことも考えられます。形態分類でいえば「博物館に保管されているタイプ標本を見せてもらって再記載を行う」といった場面です。

 しかし、分子系統解析に供される標本は往々にしてその所在が管理されていません。分子の解析は破壊法であり、例えば標本から取り出した遺伝物質はシーケンサにかけて配列を読んでしまえば廃棄物になるので当然といえば当然ですが、問題はその抽出に供した残りの部分です。これはいくらでも残す方法があります。ヨコエビにおいてはプロテアーゼへの浸漬時間を調整することで外骨格を残すことができ、これは非破壊の形態観察に回せます。そもそも形態分類において重要な口器などの構造は碌に遺伝物質を含んでいないので、こういった部位へ手を付けずに必要最低限の筋肉組織を分析すればいいだけの話です。実物を軽視する傾向は、形態観察を念頭に築かれてきたα分類システムとは雲泥の差で、(過去の記載にはどうしても実物が残っていないことが多々ありますが)国際動物命名規約においては後世の研究者がタイプ標本を参照できることを担保する重要性が明文化されています。「分子を用いた手法は客観性が高く、形態を用いた手法は主観寄り」ということで「分子のほうが科学的」みたいな雰囲気で話を進めてきましたが、研究文化においてはこれが逆転し、むしろ形態分類のほうが検証可能性を重んじる文化や仕組みを具えている感があります。また、非破壊の形態観察とは異なり分子は分析すればするほど損耗していきますし、この後に述べる通り、現時点では形態情報よりも分子情報のほうが経時劣化で使い物にならなくなる危険が大きいのです。



分子構造の時限爆弾という壁

 動物分類学の原則の1つに「唯一無二のホロタイプ標本が全ての基本」というものがあり、剥製や液浸標本,樹脂封入標本などあらゆる工夫によってそれを達成しようとする数百年にわたる分類学者の努力は、ある意味では形態分類との食い合わせの良さによって駆動されてきた部分もあるといえます。そういった文脈の中で、前述の通りタイプ標本を後世へ伝える配慮に言及した国際動物命名規約が成立したものと考えられます。

 しかしながら、分子はどうでしょう。

 遺伝物質の構造は外部形態のそれより遥かに脆弱です。
 「実物さえ残しておけば」という理念があらゆる問題へ解決策を与え、分類体系の安定化に寄与してきたことに疑いの余地はありませんが、分子情報の解析は比較的新しい技術であることやパッと見で分からないことも手伝って、「恒久的な実物の保存」に対して明確な答えが出ていないように思えます。乾燥,液浸など様々な標本が何世紀か形態を保持できることはわかっています。しかし、形態分類分野において歴史のあるプレパラート標本ですらこういった有様で、その主因が「包埋する化学物質の安定性や堅牢性」であることからも、分子構造を保持する難しさがわかります。脊椎動物では Saitta et al. (2024) といった研究もあるようですが、昆虫の乾燥標本においてマイクロサテライト法が有効な期間は半世紀に満たないといい、標本に含まれる遺伝情報を何世紀も保存する技術は確立されているとはいえません。

 となると、既存の分類学が要求する検証可能性に忠実であろうとするならば、記載論文にタイプ標本の配列を紐づけするのが、最も現実的な答えではないでしょうか。もちろん、遺伝情報のデータバンクが未来永劫稼働するとは思えませんし、オンラインに存在する論文についても同じです。しかし、多少屁理屈をこねるとすれば、既知種の学名が使われ続ける状態は論文へのアクセサビリティが担保されている状態と言い換えることができるでしょうし、記載論文に記されたタイプ標本のアセンション番号と同列に配列情報を残すことは、実物の中で漸減していく核酸分子配列の残存に期待するより、遥かに堅牢性が高いと言えるのではないでしょうか。前述のような人為災害がないことと、インターネット回線やサーバーといった社会基盤が博物館の標本庫なみの寿命をもっている前提ではありますが。



ABS(Access and Benefit-Sharing)という壁

 遺伝情報を取り扱う場面で、国をまたぐ場合は全く別の注意が必要です。

 遺伝子資源の利益配分に関する「名古屋議定書」という国際的な取り決めがあり、国の間の遺伝子資源のやりとりには本来制約があります。これは遺伝子抽出の準備がされた標本や配列情報そのものの頒布というより、遺伝子資源を取得可能な生物体全般が対象となります。原則的に遺伝子資源のやりとりは当事国の研究機関同士で、書類の取り交わし等を進めていきます。
 東南アジアなどで採取された標本はかなり厳しい場合があるようで、論文の公表にも関わります(菊池ほか,2021)。まかり間違えば研究成果がお蔵入りということにもなりかねません。
 日本は海外研究者に対して特別な規制を設けない方針のようで過去記事も参照、国立公園や他人の敷地内における採集などには注意喚起を行っていますが、これは国内での扱いにおいても、そして遺伝子資源のみならず研究活動全般に当てはまるものでしょう。しかし「互いにABS(取得機会および利益の公平分配)に準拠していることの確認」などを行うMAT(Mutually agreed terms:移動同意書)を用意するといった対応が求められるようです。

 「片方が個人研究の場合は研究室間の移動じゃないからMATは不要」という見解もあるようで、ここにきて在野研究者の強みが発見されるのも面白いですが、実際のところ全ての場合にこれが適用できるかわかりません。最低限の下調べと相手方への問い合わせは必要と思います。



学部卒在野研究者の壁

 これまでは手法への愚痴でしたが、ここからは自分自身の問題です。全ての学部卒在野研究者には当てはまらないと思っていますが、個人的な状況を具体例として挙げておきます。

 一つは個人の力量。PCRと電気泳動で遺伝物質を見る実習は学部時代に経験済でしたが、当然のことながら御膳立てされた状態で、必要な工程のごく一部に過ぎませんでした。つまり、自力で計画を立てて遂行する能力はないのです。記載論文は読みまくってますが、マテメソだけ読んでも全ての操作や資機材はわかりません。

 もう一つは資材。金額面で二大巨頭といえるのは「PCR装置」「シーケンサー」でしょう。PCR装置は某疫病の影響で腐るほど市場投入され終息後はダブついているという噂ですが、それでも本来は平気で100万とか200万はする代物です。シーケンサーともなれば簡易的なものでも200万程度、グレードによっては一千万を超えてくるらしいです。そんな設備を自前で揃えてるなら検査会社を起業した方がよいでしょう。そしてこちらがその扱いに熟達していないという問題。ある程度慣れていれば最低限目的に沿った中古品なんかを効率的に集めたりできそうなものですが、自信はありません。そして、各種試薬。アズ●ンのIDすら振り出しできない一般人に、試薬の購入や廃棄の道筋を構築できるのか?

 というわけで、外注待ったなしですが、これにも大きな問題が。シーケンシングを受け付けている会社は基本的に、精製済みDNAサンプルをプライマーと混合した状態を要求してきます。前述のNo.1~3(DNAをヨコエビから取り出し、精製し、プライマーと混ぜる工程)はこちらで担当せねばならないわけです。結局DNAラボの開設は不可避と。

 前述の通り、配列情報さえ得られればその先No.8~11はフリーソフトにおまかせできそうです。しかし、記載にあたって配列情報の添付にこだわるかぎり、抽出からシーケンシング(No.1~7)をまるごとお願いできる共著者が捕獲されるまで出版できないわけです。



在野研究者が遺伝子を読むということ

  • 潤沢な資金と知識があればDNAラボを設立する(500万~)
  • 少しの金と知識があればPCRからシークエンシングまで外注する(数万?/種)
  • 共同研究者を捕獲する

 50万~100万円程度の投資で顕微鏡と描画装置を用意すれば、在野研究者でも形態だけは十二分に観察・記述できます。しかも、描画に使う筆記用具などの消耗品やスキャナーなどは一般的な事務用品です。個人的に外注したことはありませんが、過去の論文において著者本人が線画を書かない事例もあり (J. L. Barnard, 1967)、最近でも筆頭著者以外が線画を担当した事例があるそうです。線画の役割分担が一般化して、例えばサイエンスイラストレーターが普及すれば形態分類も外注化の流れになると思いますが、今のところは自炊が一般的です。

 ちなみに、電子顕微鏡写真を添えたほうが親切という分類群もありますが、SEMがないと分類形質の観察や記述ができないという状況ではありません(個人で購入・設置できる可能性のある卓上SEMはそう多くないが500万円前後らしい)
 というわけで、形態観察と比較すると、個人でラボを立ち上げて行う遺伝子解析は初期投資がえげつないのと、その後の運用も試薬の調達や管理などが既に茨の道です。かなり現実離れしているので、やはりサンプル調製からシークエンシングまでを頼める共著者を捕獲するのが吉でしょう。

 遺伝情報を扱う困難さを強調する結論になりましたが「それでも遺伝子を読むべきか」というと、個人的には「YES」です。「よい種」を記載するために形態と分子は相補的に運用されるのが望ましく、また今目の前の記載論文においてそれほど役に立たなくとも、紐づけさえしておけば後世の学問の基盤となる可能性があります。これは新種記載やβ分類学的研究のみならず、環境DNA分野での活用なども含まれます。

 しかし、単に分子を分析すればいいというわけではなく、なるべく既知種との比較に有用な遺伝領域を選ぶことや、後から追加の配列や形態などの情報を得られるよう標本と紐づける工夫が必要だと思います。記載論文においてはホロタイプそのものの解析を行うのが最良ですが、最悪パラタイプでもいいから検証可能性の担保を疎かにしないこと、再記載でも積極的に標本を残すなどの文化の醸成が不可欠と思います。

 ここまでα分類の話ばかりしてきましたが、β分類はむしろ在野研究者に優しい時代になったといえるかもしれません。
 回線に繋がったパソコンさえあれば大量の配列データを個人で入手・解析でき、armchair taxonomy が捗るようになった感はあります。従来も「独り親方で形態フェノグラム解析」みたいなβ分類の手法はありました。しかし最初に述べたように、ヨコエビにおいて分子情報は形態情報とは異次元の説得力を持ち得ます。在野の個人研究者という身分では猶更、独りで形態の選択や重みづけを行う解析よりも、だいぶ客観性を担保しやすい側面があるのではないでしょうか。また、IOTの発達により処理できる情報量は桁違いになっています。配列やモデル選択のセンスに全振りした在野研究というのが、これから流行ったりするかもしれません。


<参考文献> *上記おすすめ文献で掲出したものを除く

網谷 祐一 2020.『種を語ること、定義すること 種問題の科学哲学』.株式会社勁草書房,東京.264pp.

Barnard, J. L. 1967. New and old dogielinotid marine Amphipoda. Crustaceana, 13(3): 281–291.

Barnard, J. L.; Karaman, G. S. 1983. Australia as a major evolutionary centre for Amphipoda (Crustacea). Australian Museum Memoir, 18: 45–61.

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2025年2月17日月曜日

ハイエンド角栓取りピンセット(2月度活動報告)

 

 やたら細かいピンセットが市販されているらしいとのことで、購入してみました。

 その名も「CELL TWEEZER」


開封の儀。
大仰なケースに入って¥1,900-くらい。

 やたら格式高いです。美容サロン御用達みたいのを売りにしているようです。

 要するに「ハイエンド角栓取りピンセット」です。


 コシは結構強くて疲れやすいかもしれません。

 先っぽはほとんど「針」で、肉眼ではどうなってるのかわかりません。手持ちの精密ピンセットと比べてみます。



厚み

※比較対象のピンセットは焼き・研磨済みで新品の外観とは異なります


 ほっそ。

 実体顕微鏡で見てもまだ針ですね。

 公称「0.06mm」らしいですが、どこの何を言ってるのかよくわかりません。先端の短辺とかそういうことでしょうか。


 ヨコエビ界隈でも特に微小なため嫌われているタテソコエビ stenothoid と比べてみましょう。


CELL TWEEZER 5 と
岡山県産不詳タテソコエビ科
(頭部:点線で表示)


 こうして見ると、出荷時のままでは先端の嵌合が甘いのが分かります。ヤスリあるいは砥石がけは必要でしょう。ピンセットサロン(省略禁止)案件かもしれません。

 現状、KFI 3c あたりでも付属肢をつまむ作業には不自由していませんが、角栓ピンセットもよく躾ければそれなりの戦力にはなりそうです。ケース付きでも DUMONT No.0 あたりよりかなり安いですし、ステンレスなのも嬉しい。タングステンを除くとこれほど細いものは無い気がします。


 ちなみに AioBos というブランドにも角栓取りピンセットがありますが、質感がちょっと安っぽくてあまり好みではありませんでした。コシはCELL TWEEZER よりマシかも。0.05 mm のラインナップがあるようです。


これは商品説明に「0.01mm以下」とありまんまと騙されて買った0.08mmバージョン。
やはりオリジナルケースに入ってます。
特に用途の無い角栓ケア用ニードルもついて¥1,800-くらい。


 なお、いずれのハイエンド角栓取りピンセットも現在はAmazonのページが消えているようです。個々の製品の調達は安定していないものと考えたほうがよさそうですが、「格安の精密ピンセット」みたいなジャンルとして一考の余地があるのではと思います。

2025年1月22日水曜日

書籍紹介『深海生物生態図鑑』(1月度活動報告)

 

 美しい写真が満載の書籍が出ました。



— 藤原義弘・土田真二・ドゥーグル・J・リンズィー(写真・文)2025.『深海生物生態図鑑』.あかね書房,東京.143 pp. ISBN:978-4-251-09347-9 

(以下,藤原ほか2025)


藤原ほか(2025)を読む

 さっそくですが、掲載されている端脚目は以下の通りです。

  • テンロウヨコエビ属の一種 Eusirus cuspidatus
  • ワレカラ属の一種 Caprella ungulina
  • ホテイヨコエビ科の一種 Cyproideidae gen. sp.
  • フトヒゲソコエビ上科の一種 Lysianassoidea (fam. gen. sp.)
  • テングウミノミ科の一種 Platyscelidae gen. sp.


 私はこのうち「フトヒゲソコエビ上科の一種」の同定に協力したのですが、こうして見ると学名の表記に難ありですね(括弧に補足しました)。申し訳ない。誰でも言えるような結果に落ちていますが、ちゃんと見るところは見た上で、全球を視野に手順に沿って検討しています。咬脚の形状などを総合的に判断してタカラソコエビ科かツノアゲソコエビ科のどちらかだと思いましたが、私の力量では写真同定には至りませんでした。機会があればいつか実物を確認して結論を出せればと思ってはいます。

 というか、こんな重厚な趣の本の本文中に同定責任者として載ることになるとは、思ってもみませんでした(巻末にちょろっと名前が出ればいいかなくらいのつもりでした)。個人的には、あらゆる出版物に正確なヨコエビの記述されること以外に興味はないつもりでいたのですが、さすがに少しビビりました。


 テンロウヨコエビ属が「海の掃除屋」と紹介されていますが、個人的にこの属をはじめとするテンロウヨコエビ科のかなりの部分は、死骸を食べる「スカベンジャー」よりも他の小さな生物を捕まえる「プレデター」という紹介が合っているではと思っています。確定的なことは何もいえませんが、Lörz et al. (2018) にそういった記述があるほか、同じ科のリュウグウヨコエビ属の一種 Rhachotropis abyssalis (Lörz et al. 2023)、ドゥルシベラ・カマンチャカ Dulcibella camanchaca なんか (Weston et al. 2024) は捕食性と推定されています。また、テンロウヨコエビ属は藤原ほか(2025)にもあるように咬脚がボクサーのような特殊な形状になっていて、これは可動域からみて、咬脚を突き出すのと同時に腕節の接続部が滑らかに動くことで、指節と前節を素早く閉じるような機構になっているのではと思います。この動きは捕食と関係しそうです。ただし、科は違いますが魚と思われる組織に混じって木屑や多毛類のような断片が消化管内から発見されている深海性ヨコエビもいる (Barnard, 1961) ので、死骸に集まるヨコエビの食性は実際のところかなり流動的なのだろうとも思います。

 ワレカラ属の一種は Takeuchi et al. (1989) で再記載されたりしており、界隈では少し名の知れた種かもしれません。本文中にあるように、複眼など生態写真ならではの情報が含まれているのは貴重です。


 見たところ藤原ほか(2025)に掲載された端脚目は全て固定前の写真のように見え、他の分類群も(詳しくないので推測ですが)多くが生時あるいは絶命して間もない個体を使用しているように見えます。「深海生物図鑑カレンダー」の定期購入者であればどこかで見たことのある写真もあるかもしれませんが、ハードカバーに厚口ページの堅牢製本で全面グラビアカラー印刷、これだけしっかり作られた大判の写真集で定価¥6,000-ですから、当方としてはものすごくお買い得に思えます(このサイズ感の学術図鑑だと2万はしそう)(比較対象がおかしい)

 「生態」図鑑と銘打ちつつ、ヨコエビの生態についてこれといった見解が示されていない部分は、読者によっては消化不良となりそうです。が、実際のところ学術研究がそこまで進んでないのでどうにも仕方ないです。一般層としてはやはり「何を食べているか」みたいな部分は生態情報として真っ先に興味の対象となる部分かと思うので、近縁種の情報からこのへんをもう少し引っ張ってきてもよかったかもしれません。もちろん科や属の中でも食性の幅はあるので、どこまで適用できるかは慎重になるべきとは思いますが。

 JAMSTECの研究者による執筆なので、最後に海洋汚染問題とそれに対して海洋研究が果たす役割や、一般読者が深海生物にアクセスできる方法なんかを紹介しています。ページを幾度も繰りながら深海生物の生き様に想いを馳せるのも一興、この本を入り口に深海生物推しの深みにはまっていくのもまた一興、といった造りになっています。



<参考文献>

Barnard, J. L. 1961. Gammaridean Amphipoda from depths of 400–6000 meters. Galathea Report, 5: 23–128.

Lörz​, A.-N.; Jażdżewska, A. M.; Brandt, A. 2018. A new predator connecting the abyssal with the hadal in the Kuril-Kamchatka Trench, NW Pacific. PeerJ, 6: e4887. 

Lörz, A. N.; Schwentner, M.; Bober, S.; Jażdżewska, A. M. 2023. Multi-ocean distribution of a brooding predator in the abyssal benthos. Scientidic Report, 13: 15867.

Takeuchi I.; Takeda M.; Takeshita K. 1989. Redescription of the Bathyal Caprellid, Caprella ungulina MAYER, 1903 (Crustacea, Amphipoda) from the North Pacific. Bulletin of The National Science Museum Series A (Zoology), 15(1): 19–28. 

Weston, J. N. J.; González, C. E.; Escribano, R.; Ulloa, O. 2024. A new large predator (Amphipoda, Eusiridae) hidden at hadal depths of the Atacama Trench. Systematics and Biodiversity, 22:1, 2416430. 

2024年12月27日金曜日

2024年新種ヨコエビを振り返って(12月度活動報告)

 

 今年もヨコエビの新種です。

 

※2017年実績
※2018年実績 
※2019年実績
※2020年実績
※2021年実績
※2022年実績
※2023年実績


  学名に付随する記載者については、基本的に論文中で明言のある場合につけています。

 

New Species of
Gammaridean Amphipods
Described in 2024

(Temporary list)

 

JANUARY 

Limberger, Castiglioni, and Santos (2024)

Hyalella jaboticabensis 

 ブラジルからヒアレラ科 Hyalellidae ヒアレラ属の1新種を記載。本文は有料。




FEB

Patro, Bhoi, Myers, and Sahu (2024)

Parhyale odian 

 インド・チリカ湖からモクズヨコエビ科 Hyalidae ミナミモクズ属の1新種を記載。オゴノリ属に付着するようです。本文は有料。



Mussini, Stepan, and Vargas (2024) 

Hyalella mboitui

Hyalella julia 

 パラグアイからヒアレラ属の2新種を記載。Hyalella mboitui の種小名は現地に伝わるグアラニー神話の7体の伝説の怪物の一つ・ボイトゥーテイに由来し、H. julia はパラグアイの生物多様性研究へ貢献したジュリオ・ラファエル・コントレラス氏への献名とのことです。大顎の形状が生息ニッチの違いを反映しているとの考察がなされています。ヒアレラ属をナミノリソコエビ科に含めていますが、現在のコンセンサスは独立したヒアレラ科に位置づけるべきと思います。本文は無料で読めます。




MARCH

Wang, Sha, and Ren (2024a) 

Stegocephalus carolus

 フクレソコエビ科 Stegocephalidae フクレソコエビ属の1新種を、ニューギニア島の北に位置する海山から記載。本文は無料で読めます。




APRIL

Xin, Zhang, Ali, Zhang, Li, and Hou (2024)

Sarothrogammarus miandamensis

Sarothrogammarus kalamensis 

 パキスタンの淡水域からヨコエビ科 Gammaridae の2新種を記載。本文は有料ですが、アブストにわりと細かな形態の記述があります。



Lee and Min (2024)

Pseudocrangonyx seomjinensis 

Pseudocrangonyx danyangensis

 韓国の河川間隙水的な環境からメクラヨコエビ科 Pseudocrangonyctidae メクラヨコエビ属の2新種を記載。形態の検討に加えて、28S rRNA と COI Mt DNA の解析を実施しているとのこと。本文は有料。



Ariyama and Kodama (2024)

リュウキュウマエアシヨコエビ Protolembos ryukyuensis 

ヘコミマエアシヨコエビ Tethylembos cavatus 

 日本近海よりユンボソコエビ科 Aoridae の2新種を記載。T. japonicus ニッポンマエアシヨコエビの生態写真および線画も掲載。そして、何といっても日本産ユンボソコエビ科34種の検索表が載ってる超有用文献です。本文は有料。



Lörz, Nack, Tandberg, Brix, and Schwentner (2024)

Halirages spongiae

 アイスランドの低温海域において海綿表面から得られたウラシマヨコエビ科 Calliopiidae の1新種を記載。9種の検索表を提供。本文は無料で読めます。



Navarro‑Mayoral, Gouillieux, Fernandez‑Gonzalez, Tuya,  Lecoquierre, Bramanti, Terrana, Espino, Flot, Haroun, and Otero‑Ferrer (2024)

Wollastenothoe minuta Gouillieux & Navarro-Mayoral, 2024

 カナリー諸島の水深60mに自生するサンゴに付着するタテソコエビが、新属新種として記載されました。タテソコエビ科 Stenothoidae の属までの二又式検索表が掲載されていてかなり有用です。本文まで無料で読めます。




MAY

Thacker, Myers, Trivedi, and Mitra (2024)

Parhyale kalinga

Chilikorchesta chiltoni 

Grandidierella rabindranathi 

    インドのチリカ湖から3新種と、ハマトビムシ上科 Talitroidea の1新属を記載。アブストに形態の記述がわりとしっかり記されています。本文は有料。



Ahmed, Kamel, Maher, and Zeina (2024)

Pontocrates longidactylus Ahmed, Kamel, Maher & Zeina, 2024

 エジプトからクチバシソコエビ科 Oedicerotidae ハサミソコエビ属の1新種を記載。投稿時点の既知種6種の2又式検索表を提供しています。2024年12月2日現在、本文は無料で読めます。




JUNE

Kaim-Malka (2024)

Paranamixis fishelsoni 

 地中海からマルハサミヨコエビ科 Leucothoidae タンゲヨコエビ属 Paranamixis の1新種を記載。本属において地中海からの記録は初めてとのことです。半世紀のキャリアをもつレジェンド仏人研究者の独り親方仕事です。本文は有料。



Mirghaffari and Esmaeili-Rineh (2024) 

Niphargus elburzensis 

Niphargus zagrosensis 

 イランから ニファルグス属 Niphargus の2新種を記載。形態と分子を見ています。配列はCOI領域と28S領域を見ているようです。本文は無料で読めます。



Ortiz, Winfield, and Chazaro-Olvera (2024)

Pseudorhachotropis longipalpus

 メキシコ湾水深2,321mの海底からテンロウ科 Eusiridae の新属を記載。本文は有料。



Garcia Gómez, Myers, Avramidi, Grammatiki, Ⅼymperaki, Resaikos, Papatheodoulou, Ⅼouca, Xevgenos, and Küpper (2024)

Pontocrates marmario Garcia Gomez & Myers, 2024

 キプロスからクチバシソコエビ科ハサミソコエビ属の1新種を記載。記載図の大部分を、染色した標本の透過光写真で表現しています。地中海のハサミソコエビ属の検索表を提供。2024年6月25日現在、無料で読めます。



Tandberg and Vader (2024)

Stenula traudlae

 ブリティッシュコロンビアから、クダウミヒドラ科に付着するタテソコエビ科の記載。世界に産する Stenula属 17種 と Metopa属 2種 の検索表を提供しています。2024年8月3日現在無料で読めます。




JULY

Giulianini, De Broyer, Hendrycks, Greco, D’Agostino, Donato, Giglio, Gerdol, Pallavicini, and Manfrin (2024)

Orchomenella rinamontiae 

 南極からタカラソコエビ科 Tryphosidae ツノフトソコエビモドキ属の1新種を記載。COI領域を解析しています。形態の記述において、マイクロCTによって得られた3D画像を”デジタルホロタイプ”とするポテンシャルを提示しています。本文は有料ですが、研究内容を紹介した記事がタダで読めます。



Baytaşoğlu, Aksu, and Özbek (2024)

Gammarus sezgini 

 トルコからヨコエビ科ヨコエビ属の1新種を記載。形態の観察に加えて、COI領域と28S領域の解析を行っています。本文は無料で読めます。



Thacker, Myers, and Trivedi (2024) 

Maera gujaratensis

Quadrimaera okha

 インドのグジャラート州からスンナリヨコエビ科 Maeridae の4属の2新種と2既知種を報告。Coleman method を踏襲したスケッチの出来がイマイチで見栄え云々どころでなく信用性に欠けると思われる部分があるのと、文中において可算名詞が正しく複数形表記されてないといった英文法の誤りがあったり、亜属の括弧がイタリックになっているなど「キホンのキ」に問題があり、読んでいると頭が痛くなります。こういった恥ずかしい論文を世に出さないよう、精進していきたいところです。本文は有料。



Pérez-Schultheiss, Fernández, and Ribeiro (2024)

Atacamorchestia atacamensis

Lafkenorchestia oyarzuni 

 チリーからハマトビムシ科 Talitridae の2新属2新種を記載。また、太平洋南東岸から初めてヒメハマトビムシ属 Platorchestia を報告。本文は有料。



Nascimento and Serejo (2024)

Halicoides campensis 

Halicoides iemanja

 大西洋南西域からミコヨコエビ科 Pardaliscidae の2種を記載。ブラジル沖からの本属の記録は初のとのことです。本文は有料。



Ariyama (2024)

オウギヨコエビモドキ Curidia japonica 

 和歌山から北西太平洋初記録科の1新種を記載。Ochlesidae に オウギヨコエビ科,Curidia に オウギヨコエビモドキ属 との和名を提唱。この科はスベヨコエビ科がシノニマイズされた経緯があります(詳細はこちら。本文は無料で読めます。




AUGUST

SOSA et al. (2024)

Cuniculomaera grata Tandberg & Jażdżewska in SOSA et al. 2024

 ベーリング海から、海底に特徴的な巣穴を作るスンナリヨコエビ科の新属新種を記載。オープンアクセスで、一緒に発見された他の分類群の10もの新種が一緒に記載されています。また、その興味深い生態を解き明かした論文 (Brandt et al. 2023) も今のところ無料で読めます。



Bhoi, Myers, Kumar, and Patro (2024)

Floresorchestia odishi Bhoi, Patro and Myers in Bhoi, Myers, Kumar, and Patro, 2024

 インドのチリカ・ラグーンの潮間帯のオゴノリ属の間から、ハマトビムシ科の新種が記載されたようです。何がとは言いませんが、品質が悪いです。本文は有料です。



Stewart, Bribiesca-Contreras, Weston, Glover, and Horton (2024)

Valettietta synchlys

Valettietta trottarum

 太平洋の4,000m以深の深海域から Valettiopsidae科 の2新種を記載。形態の検討に加え、フトヒゲソコエビ類12属の配列情報を用いた分子系統解析を行っていますが、Alicelloidea(ダイダラボッチ上科?)の単系統性は否定されています。本文は無料で読めます(2024年8月現在)。



Kim, Choi, Kim, Im, and Kim (2024) 

Aoroides gracilicrus

Grandidierella naroensis 

 韓国からユンボソコエビ科の2新種を記載。韓国産ユンボソコエビ科9種の検索表を提供。本文は無料で読めます。



Kodama, Mukaida, Hosoki, Makino, and Azuma (2024)

ナンセイソコエビ Podoceropsis nanseiae 

 鹿児島湾からクダオソコエビ科 Photidae の1新種を記載。Podoceropsis属 に ソコエビモドキ属 との和名を提唱しています。鹿児島大がシンプルなプレリリを出しています。本文は無料で読めます(2024年8月現在)。


Hosein, Zeina, Kawy, ElFeky, and Omar (2024)

Vasco amputatus 

 エジプトの紅海沿岸からヒサシソコエビ科 Phoxocephalidae の1新種を記載。充実した背景情報の記述と精緻なスケッチ、分布情報まで添えてある作り込まれた論文ですが、あらゆる表記で本種の種小名の1文字目が大文字となっており(既知種においては正常の表記)、大変気味が悪いです。本文は無料で読めます。



Stoch, Knüsel, Zakšek, Alther, Salussolia, Altermatt, Fišer, and Flot (2024) 

Niphargus absconditus

Niphargus tizianoi 

 ルーマニアからニファルグス属の2新種を記載。カルパチア山脈の一角の個体群とアルプスの個体群が N. bihorensis の隠蔽種にあたることを遺伝的手法により確認した研究で、この種のタイプ標本をもとに再記載も行って分類学的混乱の整理を試みています。本文は無料で読めます(2025年2月現在)



SEPTEMBER

Mamaghani-Shishvan, Akmali, Fišer, and EsmaeiliRineh (2024)

Niphargus sahandensis

Niphargus chaldoranensis 

 イランからニファルグス属の2新種を記載。形態とCOI領域の解析を併用しています。本文は無料で読めます(2024年12月現在)



Wang, Sha, and Ren (2024b) 

Phoxirostus longicarpus

Phoxirostus yapensis 

 Laphystiopsidaeというレアな科を太平洋の熱帯域から報告。Phoxirostus属を設立するとともに2種を記載。「頭頂が尖っている」という意味の属名ですが、近縁種を見渡しても突出はそれほど目立ちません。Laphystiopsidae科の4属の検索表を提供。本文まで無料で読めます。



Souza-Filho, Guedes-Silva, and Andrade (2024)

Adeliella debroyeri

Tectovalopsis potiguara

Epimeria colemani

Alexandrella cedrici

 ブラジル北東部のPotiguar海盆から4新種を記載。4種中1種の種小名は地名に由来、3種がヨコエビ界隈の著名な西側研究者(フランスのクロード・ドゥブロワイエ,ベルギーのセドリック・デュデケム・ダコ,ドイツのチャールズ・オリバー・コールマン)に献名されています。本文は有料。



Tomikawa, Yamato, and Ariyama (2024)

パンダメリタヨコエビ Melita panda 

 NHKの特集でスケッチがチラ見せされたり、広大の図書館に原画が展示されたり、じわじわ盛り上がっていたメリタヨコエビ科 Melitidae メリタヨコエビ属の新種がついに記載されました。海外のサイトでも取り上げられていますね。

 そうとしか言いようのない模様から、かねてよりヨコエビストの間で「パンダメリタ」と呼ばれていた集団の一部です。タイプ産地は卓越したジャイアントパンダの繁殖技術をもつ某動物園の近くであるため、これも必然的な帰着の命名といえるでしょう。あまりに出来すぎていることから「人為的にパンダ模様にしたものではないか」という陰謀論さえ飛び交っているようですが、たとえ写真でもジャイアントパンダを見たことがあれば本種の体色が厳密には「パンダ柄」ではなく「逆パンダ柄」であることに気づかないはずはなく、また白浜だけに棲息するものでもないことから、パンダ模様に染められたなどという妄言には一顧だにする価値もないことは言うまでもありません(そういう意味では、狙って白浜産標本をタイプに指定したように思えます)(知らんけど)

 形態的にはカギメリタヨコエビに近いようですが、体色のほかにオスの第1咬脚前節前縁の突出部に大きな特徴があります。また、有山 (2022) に掲載されているパンダ感のある未記載種 Melita sp. 2 とは、第3尾肢外肢の節数で識別が可能です。

 第二著者にメリタヨコエビ類の大家である大和茂之先生が入っており、しばらくヨコエビの記載研究をお休みされていた大和先生の復帰作という点でも非常に話題性のある論文といえます。無料で読めます。




DECEMBER

Copilaş-Ciocianu, Prokin, Esin, Shkil, Zlenko, Markevich, and Sidorov (2024) 

Palearcticarellus hyperboreus Sidorov & Copilaş-Ciocianu, in Copilaş-Ciocianu et al., 2024

Pseudocrangonyx elgygytgynicus Sidorov & 

Copilaş-Ciocianu, in Copilaş-Ciocianu et al., 2024

 ロシアのエリギギトギン湖からマミズヨコエビ科 Crangonyctidae の1新種を記載。ミトコンドリアCOI,核16S,ヒストンH3,18S,28Sの領域を用いてマミズヨコエビ科やメクラヨコエビ科を含む Crangonyctoidea上科(マミズヨコエビ上科?)の系統関係を解析するとともに、地理的イベントとの整合性も示しています。本文は有料。



Weston, González, Escribano, and Ulloa (2024)

ドゥルシベラ・カマンチャカ Dulcibella camanchaca 

 アタカマ海溝からテンロウ科の1新種を記載。新しいタイプの捕食性種ということで、力を入れて生態特性の推定をしています。物見高いサイトが虚飾織り交ぜて取り上げていましたが、本当の研究内容を知りたい場合カラパイアの書き方が一番誤解が少ないと思います。本文は無料で読めます。



Choi and Kim (2024)

Melita aestuarina

 韓国からメリタヨコエビ属の1新種を記載。”シミズメリタヨコエビ”についても韓国から初報告しています。本文は有料。



Stoch, Citoleux, Weber, Salussolia, and Flot (2024)

Niphargus quimperensis 

 ブリュターニュからニファルグス属の1新種を記載。科全体の分子系統解析を行い、Niphargellus属をニファルグス属の新参シノニムとしています。本文は有料。



Labay (2024)

Vonimetopa longimana 

 樺太からタテソコエビ科の1新種を記載。Vonimetopa属6種の二又式検索表を提供。本文は無料で読めます(2024年12月現在)。


 というわけで、54 56 58が記載されたようです。



<参考文献>

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SOSA; Brandt, A.;, Chen, C.; Engel, L.; Esquete, P.; Horton, T.; Jażdżewska, A. M.; Johannsen, N.; Kaiser, S.; Kihara, T. C.; Knauber, H.; Kniesz, K.; Landschoff, J.; Lörz A.-N.; Machado, F. M.; Martínez-Muñoz, C. A.; Riehl, T.; Serpell-Stevens, A.; Sigwart, J. D.; Tandber,g A. H. S.; Tato, R.; Tsuda M.; Vončina, K.; Watanabe H. K.; Wenz, C.; Williams, J. D. 2024. Ocean Species Discoveries 1–12 — A primer for accelerating marine invertebrate taxonomy. Biodiversity Data Journal, 12: e128431. 

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Stoch, F.; Knüsel, M.; Zakšek, V.; Alther, R.; Salussolia, A.; Altermatt, F.; Fišer, C.; Flot, J.-F. 2024. Integrative taxonomy of the groundwater amphipod Niphargus bihorensis Schellenberg, 1940 reveals a species-rich clade. Contributions to Zoology, 93(4): 371–395.

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Thacker, D.; Myers, A. A.; Trivedi, J. N.; Mitra, S. 2024. On a small collection of amphipods (Crustacea, Amphipoda) from Chilika Lake with the description of three new species and a new genus. Zootaxa, 5446(3): 383-404.

Tomikawa K.; Yamato S.; Ariyama H. 2024. Melita panda, a new species of Melitidae (Crustacea, Amphipoda) from Japan. ZooKeys, 1212: 267–283. 

Wang Y.; Sha Z.; Ren X. 2024a. One new species of Stegocephalus Krøyer, 1842 (Amphipoda, Stegocephalidae) described from a seamount of the Caroline Plate, NW Pacific. ZooKeys, 1195: 121–130. 

—  Wang Y.; Sha Z.; Ren X. 2024b. Taxonomic exploration of rare amphipods: A new genus and two new species (Amphipoda, Iphimedioidea, Laphystiopsidae) described from seamounts in the Western Pacific. Diversity, 16(9): 564pp. 

Weston, J. N. J.; González, C. E.; Escribano, R.; Ulloa, O. 2024. A new large predator (Amphipoda, Eusiridae) hidden at hadal depths of the Atacama Trench. Systematics and Biodiversity, 22:1, 2416430. 

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<その他参考文献>

有山啓之 2022.『ヨコエビ ガイドブック』.海文堂,東京.160頁.ISBN 9784303800611.

Brandt, A.; Chen, C.; Tandberg, A. H. S.; Miguez-Salas, O.; Sigwart, J. D. 2023. Complex sublinear burrows in the deep sea may be constructed by amphipods. Ecology and Evolution, 13: e9867. 


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<補遺>28-xii-2024

— Copilaş-Ciocianu, Prokin, Esin, Shkil, Zlenko, Markevich, Sidorov (2024) を追加


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<補遺2>17-ii-2025

— Stoch, Knüsel, Zakšek, Alther, Salussolia, Altermatt, Fišer, and Flot (2024) を追加 

2024年11月17日日曜日

書籍紹介『タイムカプセルの開き方』(11月度活動報告)

 

 9月、10月は活動が滞っておりました。否、活動しすぎたのかもしれません。いずれご報告できればと思います。

 今扱っているサンプルの分子系統解析をお願いすることになった共同研究者から、出版されたばかりのホットな書籍を紹介してもらったのですぐポチりました。


『種生物学シリーズ タイムカプセルの開き方 博物館標本が紬ぐ生物多様性の過去・現在・未来』(以下、種生物学会 2024)を読む


 種生物学会 (2024) は、複数の著者が寄稿した論文集のような構成となっています。それぞれの記事はタイトルに非常にマッチしていて、一言で言うならば、博物館標本を扱う分子生物学研究の最前線について書かれた書籍です。

 ちなみにヨコエビは出てきませんが、個人的に親交のある方が書いた文献が思わぬところでちらほら引用されていたりして、ニヤリとしました。


 第1部は、超並列シーケンサー(所謂”次世代シーケンサー”)という新技術が、DNA解析の効率向上のみならず、分子生物学研究の在り方まで変えていく過程を多角的に述べたセクションといえます。

 近年流行りの「研究者の人柄が分かるエッセイ」として読むこともできますが、どの記事も問題意識・課題と研究手法(短いDNA断片を解析する技術)、研究対象(博物館標本)が結びつく過程が鮮やかに描かれており、研究者を志す若者に大きな示唆を与えるものと思います。


 第2部は、具体的な研究事例や手法を掘り下げていく構成になっています。

 基礎知識や具体的な手技の工夫だけでなく、解析サンプルとして博物館標本を用いる場合やそういった依頼を受けた場合の注意点がチェックリスト化されているなど、面倒見の良さが目立ちます。また、有用なサイトを紹介する記事があるのも特色といえるでしょう。ちなみに最近、BHLは画像管理の委託先へのサイバー攻撃により画像表示ができなくなり、種生物学会 (2024) に示されたような真価を発揮できない状態でしたが、今は少しずつ復旧しているようです。


 同位体分析の事例紹介もありますが、全体的にほぼ「博物館標本からいかに遺伝物質を取り出し、その劣化した遺伝物質からいかに情報を引き出すか」という話題で統一されています。タイトル通り、分子生物学が標本の外見からは分からない情報を巧みに引き出し、時計を巻き戻すように研究対象の過去を解き明かしていきます。分類群やアプローチの違いで、三者三様の新鮮な味わいがあります。


 私がしつこく有用性を宣伝しているプロピレングリコール液浸標本も、その先駆的分類群である昆虫のセクションで登場します。

 昆虫の場合、酢酸エチルなどの化学物質を使って〆ることが多く、また虫害を防ぐため標本庫の燻蒸はつきものです。しかし、こういった薬剤がDNAの断片化を引き起こし、解析の効率を低下させる可能性があるようです。乾燥標本としたチョウの中脚においてDNAが残っているといえるのはせいぜい30年とのことですが、肉食性の種は自己消化により断片化が促進されるなど、グループにより違いがあるようです(第3章)。チョウは食植性かつ薬品を使わず〆るため、特にDNA損傷リスクの小さいグループといえるでしょう。

 ヨコエビの場合、安楽死にはしばしば”凍てつく愛の監獄”(ラヴ・プリズン:小原, 2016)が用いられますが、これは恐らくDNAへの影響が最も少ない方法の一つです。しかもすぐ固定液中に密栓浸漬するため「虫も食わない」状態となり、生物の遺骸が空気中に露出している乾燥標本のように虫害や燻蒸による損傷リスクもありません。固定液も酵素の不活化を狙っているため、肉食性種特有のDNA損傷も恐らく防げます。別の要因での劣化は避けられないにせよ、標本作製や管理の工程そのものにDNAに有害なプロセスを含まないというのはアドバンテージな気がします。また同じプロピレングリコール液浸標本でも、昆虫は現状としてエッペンドルフチューブ的なディスポーザブルな使途を想定された樹脂製容器を用いる手法なのに対して、甲殻類やクモなど昆虫と同じ門で同じようなサイズ感の生物で全身を液浸標本にする場合は、長期保管が考慮されたガラス瓶を用います。こういった面からも、昆虫に適合したプロピレングリコール液浸手法というのは、アルコール液浸で管理されてきた節足動物標本において昆虫を上回る保存性を有するのではと思います。

 なお、種生物学会 (2024) にはありませんが、液浸標本には保存液の揮発や瓶の破損といったリスクのほか、紫外線や単純な経時劣化による遺伝物質の変質なども課題となると思います。こういった話題も今後文献上で議論されたりこういった書籍にまとめてくれると有難いと思います。


 特に印象深かったのは、DNAバーコードリファレンスの信頼性に言及した記事。博物館標本はその実物が永続的に管理・保管されており、専門家が分類に関わっているため、そこから配列情報を得て紐づけできれば極めて理想的なリファレンスが取得できるというのです。

 裏を返せば、そうではないリファレンスがどのようなものか、考えてしまいます。そもそも高精度に種同定ができるほど形態分類に造詣が深ければ形態分類の特性を理解しているはずで、実物もスケッチも残さずサンプルの廃棄なんてできるはずないという想像はつくところです。つまり、悪く言えば、標本や文献等を指定しない配列データや、文献の指定があっても形態形質の検討過程の透明性や追証性の担保に不足のある場合は、素人のなんちゃって同定の可能性があるわけです。

 劣化し短断片となったDNAまで分析できる超並列シーケンサーなどの技術は非常にパワフルで、使いこなせればあらゆる疑問や課題を解決できるポテンシャルがありますが、それはあくまで現状の分類体系との整合性を整理した上での話であって、翻せばその既存の分類体系こそ(原則論として)博物館等の収蔵施設が維持を担ってきた標本が核となって積み上げてきたものであり、博物館標本に触れることは分子生物学の命題に迫る側面もある気がします。博物館標本の活用は、分子生物学のサンプルの一つの選択肢ではなく、既存の生物学の基盤たる分類体系をDNA解析の世界に導入する、重要な架け橋といえるのではないでしょうか。種生物学会 (2024) は、そういった根源的な部分を改めて考えるきっかけとなりました。



参考文献


2024年8月29日木曜日

液浸標本の運搬方法(2024年8月度活動報告)

 本稿の内容は一定範囲で独自に調査した結果を掲載したものであり、安全性や法的妥当性を保障するものではありません。筆者は、本稿の内容に基づく行動により生じたありとあらゆる結果に、一切の責任を負わないものとします。また、コメントやメール等での個別の問い合わせには一切応じられません。これらにご同意いただけた方のみお読みください。 

 

 以前(2021年1月)、動物分類学のメーリングリスト上で海外への標本輸送に関する意見交換がされていました。

 従来、危険物を含む液浸標本は航空便で郵送できなかったので、船便が使われていました。しかしとうとう船でも送れなくなり、これからどうする?という話題でした。新ルールになってから、基準をクリアしても「疑いがある」という理由で窓口で弾かれるという証言もありました。


 これは、主に 70vol% ~ 99% のエタノールを使った液浸標本(以下、高濃度アルコール液浸標本)を扱うヨコエビストにとって一大事です。引火性液体でない保存液に切り替えるとしても、ホルマリンは別の危険物に該当しますし、そもそも在野研究者はホルマリンを使えません。かといって、形態分類に用いるのであれば乾燥標本などもってのほかです。しかも、このメーリス上で明確な答えは示されず…。


 ではどうすれば?というわけで、必ずしも時系列になっていませんが、件のメーリス以降に収集した情報や実際に試した方法などをご紹介します。


海外への送付

国際郵便事情'22:エタノールは送れるか?



国際航空運送協会の危険物規則書および特別規定A180

 船便への規制を受けて、海外郵便の最新事情を解説してくれた人がいました。

液浸標本を海外に郵送する方法 〜 IATA 特別規定 A180 〜 (tamagaro.net)

 この IATA(The International Air Transport Association:国際航空運送協会)というのは業界団体です。なぜ民間組織の規定が重要なのか、以下に整理してみます。

 国連の主要機関 ECOSOC(Economic and Social Council:経済社会理事会の傘下に、ICAO(International Civil Aviation Organization:国際民間航空機関という専門機関があります。この ICAO が定める指針に従い、IATAは毎年 DGR (Dangerous Goods Regulations:危険物規則書) を更新しているそうです。民間組織とはいえ、かなり確かな筋から発信を行っていることが窺えます。 この危険物規則書は年次の改訂部分のみウェブサイトから閲覧できますが、全文は冊子あるいはPDFを購入しないと読めません。いずれも 300ドル以上するので、入手は諦めてこのブログの記述に全乗っかりすることにします。このセクションは孫引き満載の旨、予めご了承ください。

 さて、この危険物規則書においてエタノールは区分3:RFL(Flammable Liquid)に該当するようです。要するに、エタノールを含む液浸標本は引火性の航空危険物であり、原則的に海を越えられないことになります。危険物規則書に示された航空危険物は、民間組織の枠を超えて万国共通の郵便禁制品に組み込まれるなど、航空貨物輸送において重要な位置を占めています。

 ただし「特別規定」なるものが存在し、危険物規則書に示された品目であっても、一定の条件を満たせば航空危険物から除外できるようです。その一つが含有率で、例えばエタノールは「24vol% 以下のもの」は特別規定144により除外されるそうです。

 また、この含有率を越えていても以下の条件を満たせば除外できるとのことで、これが特別規定A180らしいです。

  • プラスチックかガラスの瓶に入った液浸標本で、特定の保存液に浸漬されたもの
  • 瓶の中の自由液体は 30mL 未満
  • 瓶を入れた第1のプラスチック袋をヒートシールにより密封
  • 第1のプラスチック袋を吸収剤とともに第2のプラスチック袋へ入れてヒートシールにより密封
  • 第2のプラスチック袋を緩衝材とともに頑丈な密閉容器に収納

 対象となる保存液は以下の国連番号で示されるものだけらしく、それ以外に特別規定A180の恩恵はないようです。

  • 国連番号1170 エタノール又はその溶液(アルコールの含有率が24容量%以下の水溶液を除く。)[エチルアルコール][アルコール][変性アルコール][工業用アルコール]
  • 国連番号1198 ホルムアルデヒド(水溶液)[ホルマリン][ギ酸アルデヒド]
  • 国連番号1987 アルコール類(他に品名が明示されているものを除く。)
  • 国連番号1219 イソプロパノール[イソプロピルアルコール][2-プロパノール]

 この国連番号というのは、ECOSOC(経済社会理事会)が定めたTDG(United Nations Recommendations on the Transport of Dangerous Goods :国連危険物輸送に関する勧告の中の危険物輸送モデル規則第3.2章に示されたもので、航空のみならずその他の経路による輸送も含めた国際的な取り決めの根幹をなすものらしいです。

 字面からすると国連番号1987には1価以外のアルコール(プロピレングリコールやグリセリン)が含まれる気配がないでもありませんが、詳細を確認するとどうやらこの「アルコール」は引火性液体のみを指しているらしいので、プロピレングリコールやグリセリンはそもそも航空危険物ではないみたいです。



 我らが KDM先生も、海外への発送方法について日本郵便へ詳細に問い合わせを行っています。

Masafumi KODAMA on Twitter: "【備忘録】高濃度エタノール液浸標本を海外に発送する場合の話 要点1:IATA A180の方法では国際郵便約款の「航空危険物」には該当しないが、郵便法の「郵便禁制品」に該当するのでダメ 要点2:高濃度エタ小瓶をさらに真水を満たした大容器に厳封すれば、航空危険物にも郵便禁制品にも該当しないのでOK" / Twitter (archive.md)

 特別規制A180をクリアした上で、日本郵便の約款や法令を遵守する必要があるとのことです。


国際郵便約款

 日本郵便が定める国際郵便約款の文言はウェブサイトで全文無料公開されています。やったぜ。該当するのは以下の通りです(2024年8月現在)

(11) 液体の物質を送付する場合 

ア 第一の容器は、不漏出性のものとし、1リットルを超える液体の物質を包有しないこと。 

イ 第二の包装は、不漏出性のものとすること。 

ウ 二以上の第一の容器を単一の第二の包装に入れる場合には、第一の容器は、一個ごとに包装するか又はそれらが接触しないよう離して入れること。 

エ 吸収性の材料を第一の容器と第二の包装との間に入れること。この吸収性の材料は、液体の物質の漏洩により、緩衝材又は外部の包装を変質させないよう第一の容器の内容品全体を吸収する十分な量とすること。 

オ 第一の容器又は第二の包装は、不漏出性を失うことなく、95キロパスカル(0.95バール)の内圧に耐えることができるものであること。 

カ 外装の総容量が、4リットルを超えないこと(ただし、その容量には、内容品の見本を冷却するために使用される氷又はドライアイスは含まれません。)。 

 さらに「別記2 ガラス製品その他壊れやすい物品、液体又は液化しやすい物品等を差し出す場合の特別な包装」という表には、「液体又は液化しやすい物品」について「漏出を完全に防止する容器に入れ、破損した場合に液体を吸収するよう適当な保護材を詰めた堅固な箱に入れること。箱のふたは、容易に離れないように取り付けること。」とあります。

 密閉容器の具体的な強度等を除き、特別規制A180を遵守することで自ずと国際郵便約款をクリアできそうです。



郵便禁制品

 国際郵便と内国郵便とで微妙に異なり、また国際郵便においても万国郵便条約に基づく「万国禁制品」万国郵便条約第二部第一章第十五条3)と各国が独自で定めたもの(日本では郵便法第十二条とがあるようです。

 日本独自の国際郵便禁制品について条文や附則上には具体的な記述を確認できないものの、日本郵便のウェブサイトにはそれらしいページがありました。

 また、これは万国禁制品を含めた包括的なもののようですが、引火性液体カテゴリの具体的な条件も載っていました(2024年8月現在)

3) 引火性液体

(1) 密閉容器テストの場合は摂氏60度(華氏140度)以下、開放容器テストの場合は摂氏65.6度(華氏150度)以下で引火性蒸気を発生させる液体、液体混合物、又は溶液若しくは懸濁液の形で固体を含む液体(例えば、塗料、ワニス、ラッカー等が含まれる。ただし、その危険の性質により別に分類される物質は含まない。)。上記の温度は、一般に引火点と呼ばれる。

(2) (1)に掲げる液体のうち、引火点が摂氏35度(華氏95度)を超えるものは、以下に該当する場合には、引火性液体とみなす必要はない。

  3の物質の可燃性を試験する方法を用いても、燃焼しない場合

  ISO2592に基づく燃焼点が摂氏100度(華氏212度)を超える場合

  水の含有量が重量で90パーセントを超える混和性溶液の場合

(3) それぞれの引火点又は引火点を超える温度で運送される液体は、すべて引火性液体とみなす。

(4) 液体の状態で、高い温度で運送され、最高の運送温度(その物質が運送中にさらされると思われる最高温度)又はこれを下回る温度で引火性蒸気を発生させる物質は、また、引火性液体とみなす。

(5) [例]ベンゼン、ガソリン、アルコール、引火性溶剤及び合成洗浄剤、引火性塗料、引火性ワニス、剥離剤、シンナー

 エタノールの引火点は 4wt% でやっと 62℃ 程度とされており、高濃度アルコール液浸標本においては到底「引火点 60℃」を越える状態は実現できません。

 ただ、これは引火性液体全般の規定で、アルコール飲料としては24度(=24vol%=19.61wt%)を下回ることで許される仕組みになっているようです。度数の基準をクリアした国際郵便には「Not Restricted, as per Special Provision A58」、引火点と度数の両方をクリアした場合は「Not Restricted」と表書きしておくと、手続きがスムーズとのことです。この A58 も国際航空運送協会特別規定のようですが、液浸標本に適用する場面はなさそうです。



消防法

 エタノールは1価アルコール類なので、消防法第二条七項表1における「危険物第4類引火性液体アルコール類」に該当します。

 このカテゴリは貯蔵において「指定数量」を超えると諸々の規制対象となりますが、運搬においては指定数量に関係なく遵守されるべき梱包基準があるようです。

 それに照らせば、以下の通りになるようです。

  • 内装:高濃度アルコール液浸標本に用いられる瓶(第一の密閉容器)はたいていガラスプラスチックなので、5L までは問題なさそうです。
  • 外装プラスチックが定められているため、例えば紙袋や段ボールは規定外ということになります。「特別規制A180・国際郵便約款・郵便法・消防法準拠の梱包方法」でいえば、瓶を「第二の密閉容器」に格納する際にプラスチックを選定するのが、この規定への対応ということになりそうです。



梱包の一例

 このたび海外へ液浸標本を発送することになり、受け取り側の研究者へ改めて問い合わせて詳細な指示をもらいましたが(2024年4月)、概ね以下のような方法でした(適宜省略・改変しています)

  1. ラベリングした小瓶にエタノールとともに標本を入れる。
  2. 小瓶を適当な吸収材に包み、密閉できる容器に格納する。
  3. 密閉容器を、内容物のメモとともに外箱へ入れる。
  4. 内容物のメモの複写を外装へ貼り付けたうえで、「科学研究のための保存処理済生物遺骸標本」と表書きする。


瓶をユ●パックに入れたうえで、キ〇タオルに包んだ例。
摺切容量 37.5mL の No.4 規格瓶(第一の密閉容器)は、8分目が 30mL になるので、
液体は 5分目まで入れています。
「第二の密閉容器」はダ■ソーのパッキン付きプラスチック製弁当箱です。

 

図にするとこんな感じですね

 船便でのエタノール輸送が OK だった時代、このような構造にして米国へ液浸標本を送ったことがあります。無事届きました。



国際郵便事情'24:非1価アルコールは送れるか?

 ところが…

 最寄りの郵便局へ国際小包を持ち込んだところ(2024年8月)、以下のような理由で謝絶となりました。

  • 高濃度エタノールを真水に厳密して一つにしたとて、これがアルコール24vol% 以下であることを SDS(安全データシート)などの書面で証明できないといけない(確かにそれはそう)
  • アルコール飲料でない場合、引火点が 60℃ を上回る等、郵便禁制品の規定に引っ掛からないことを書面で証明せねばならない。
  • グリセリン類は全てダメ。
  • プロピレングリコールは専門部署がSDSを個別審査する必要あり。

※グリセリンおよびプロピレングリコールの液浸標本の特徴についてはこちら


 先のブログにもありましたが、液浸標本というマニアックなジャンルにおいて日本郵便から統一見解が示されることはまず期待できないため、窓口から得られるのは個々の解釈に依る非統一見解といえます。郵便局あるいはスタッフによっては、より厳格、あるいは緩い結論が出される可能性があります。マニアックである以上、甘受せざるを得ないでしょう。

 また、IATA航空危険物や特別規定が郵便局に参照されているとはいえ、原則論として両者は異なる指揮系統にあるはずで、IATA の基準がそのまま郵便局に適用できないという点は改めて意識すべきかもしれません。

 それはそうと、国際郵便の伝票は 2024年3月1日からウェブ作成に一元化されてましたね。国際郵便約款も、直近では 2024年5月5日に改正されています。過去の実績や問い合わせ内容が通用すると思っていましたが、状況は刻一刻と変化していると考えたほうがよさそうです。



(私見)プロピレングリコールのどこがダメ?

 国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号に記載がないので航空危険物ではなく、また引火点が 98℃ 周辺という点で万国共通の郵便禁制品の基準もクリアしています。よって、通常は申告対象とは考えないと思います。

 メーカや用途が異なるプロピレングリコールの SDS を比較すると、有効数字が違うほか、濃度が 95% 以上だったり 100% 以下だったりというブレがあるようです。これにより引火点が変動すると思われますが、そもそも 99% 以上の濃度において引火点が既に 100℃ 付近にあるため、濃度が下がるにつれ更に 60℃ から遠のいていき、ボーダーを争う展開にはなりえません。よって、SDS は引火性の判断に使われないと考えられます。

 ならば、引火性より税関関係、例えば輸出貿易管理令のいわゆる「キャッチオール規制」などに関係しているのかもしれません。「審査基準は非公開」と言われたので猶更意味深です。標本のやりとりは「贈物」扱いなので輸出入という考えはありませんでしたが。

 AGCのウェブサイトでは、プロピレングリコールの製品規格に「飼料添加物」「医薬部外品原料規格」「一般工業用」「食品添加物」「日本薬局方」の5区分があり、それぞれ内容が異なります。特に食添グレードの場合は消費税に軽減税率が適用されるわけですが、こういった法律上の差が輸出に関わりそうな雰囲気を感じます。ダウ・ケミカルのウェブサイトでも、「USP/EP」「Industrial Grade」などのグレードごとに SDS が掲載されており、やはり内容は微妙に異なります。こういった位置づけの違いが、審査の対象となっているのでしょうか。



(私見)グリセリンのどこがダメ?

 引火点はプロピレングリコールより更に高い 176℃ 周辺なので、こちらもホームページの記載などから申告の必要性を読み取ることはできません。

 グリセリンの製法には植物のほか動物原料を使用する場合もあるようで、動物由来の加工品への輸出規制絡みでしょうか。まぁそれを言ってしまうと、標本そのものが動物じゃないかという話にはなってきますが。あるいは、窓口担当の物言いにはニトログリセリンとグリセリンを一緒にしている雰囲気があったので、そのへんとも関係があるのでしょうか。



プロピレングリコールを送ってみる

 プロピレングリコールに賭けるしかなさそうなので、SDSをゲットすることにします。

 ネット上をざっと探しただけで、10件以上ヒットしました。しかし、実際に標本作製に使用しているメーカのものは見つかりません。手当たり次第にダウンロードした SDS に紐づいている商品をネットショッピングで購入できるか調べたところ、唯一、前述の旭硝子製食添グレードがヒットしました。一般向けネットショッピングで購入でき、かつ企業のウェブサイトから自由に SDS をダウンロードできるのは、調べた限りではこれだけのようです。

 結局、既に購入して使っていたプロピレングリコールのメーカに個別に問い合わせて送ってもらいました。ありがとう。よく見たら MSDS だけど(SDSは2012年から導入された名称)


 1週間後…。

 再度窓口に持ち込んでみると、やはり中身に関する質問は概ねウェブサイトの項目に基づいていて、プロピレングリコールが審査対象になるとは到底思えません。そのまま受領・会計の流れになったのでストップをかけて、MSDS を出しました。

 「公式サイトを読んでも、窓口で聞かれたことに答えても、審査対象と気づけないのは大丈夫なのか」「このままチェックをすり抜けて送付された場合どうなるのか」と窓口担当に聞いてみましたが「局の職員は化学物質の素人なので万全なチェックは不可能(それはそう)」「専門部署において何らかの理由で荷物が差し戻しになっても運賃が返ってこないので、自主的に申告すべき(それでも払い戻されるとは限らない)と言われました。要するに「自分で瓶詰めする(製品まるごとでない)ものを送る場合、何らかの疑義がある前提で自主的に相談すべき」ということでしょう。ここまで教えてもらえただけで、次からだいぶ違う気がします。


 5日後…。

 どうやら無事に届いたようです。

 こんな感じのスケジュールでしたね。これに関してはケースバイケースにも程がありますが、備忘録として。

  • 1日目:地元郵便局受付
  • 2日目:中継局を経由
  • 3日目:国際交換局受付・同発送
  • 4日目:相手国の国際交換局到着・税関へ提示
  • 6日目:配達開始・完了

 ちなみに…荷物に添付したプロピレングリコールの MSDS は、SDS への移行が行われておらず、しかも記載の住所は公式サイトやラベルと異なっている古いものでした。適切な更新が行われていないので、見る人が見れば NG でしょう。ただ、大手でないメーカは SDS を更新する体力がなかったりするのか、10年以上前の MSDS を現役で運用しているところは時々見かけます。郵便局が見ているポイントはそこではなかった、ということでしょう。



国際郵便以外の手段

 国際郵便がうまくいかなくとも、どうやら民間の輸送会社という選択肢があるようです(以下、2024年8月現在)。各社のウェブサイトを覗いてみましたが、約款が公開されてるわけではなかったりして、完全に個別問い合わせとなりそうです。

  • DHL Express:危険物に対応したサービスがあるという噂を聞きましたが、サイトの記述からは分かりませんでした。問い合わせる価値はあるでしょう。
  • FedEx:会社そのものより、個人的にはトム・ハンクス主演の某映画の印象が強いですね。リチウム電池や医療物流を強みとしているようで、危険物に対応可能な雰囲気がありますが、サイトからは読み取れませんでした。
  • ポチロジ:追加料金を支払うことで「航空危険物」を受け付けてくれるらしいです。高濃度アルコール液浸標本が該当するかは不明。

 なお、ヤマト運輸の国際宅急便は「酒類」が軒並み謝絶とのことで、高濃度アルコール液浸標本に希望はなさそうです。グリセリンやプロピレングリコールは分かりません。佐川急便の飛脚国際宅配便は「引火性の物」を取り扱いできないとのことですが、引火点をクリアすれば希望があるような雰囲気はあります。また、日本通運にドアツードア国際輸送サービスという個人向けメニューがあるようですが、危険物に関する記述は見当たりませんでした。

 これらとは別に、フォワーダーという業種の業者によって、目的に合わせて様々な輸送手段を合理的に組み合わせた輸送システムを提案・管理してもらうことができるようです。ただ、定期的に送る場合でないと選択しづらそうです。


その他、危険物輸送に関する国際的な取り決め

 国立国会図書館のリサーチ・ナビに、極めてよくまとまったページがありました。利用者 ID なしでアクセス可能です。ただし、専門機関の実務的な書類が主体となっており、そのほとんどは英語なため、正しく理解するには高度な専門知識が必要です。

 また、危険物輸送に関する根源的な部分や GHS(Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)など隣接したルールとの関係性を理解するには、独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所のページもあわせて読むとよいと思います。こちらは国連の実務書類のほか、国内の法令についてもリンクが貼られていて便利です。



国内への送付

 国内の航空輸送関係では航空法施行規則第194条というものが該当するようで、ICAO(国際民間航空機関)の規定に準じて国交省が定めるもののようです国交省資料。引火性液体に関しては「引火点60℃以下」とあり、このへんも国際郵便の基準と同様のようです。

 なお、ゆうパックは「5L 以下・70vol% 以下のアルコール飲料」について航空便での送付が可能となっています。ただし、飲用に供されないものは恐らく内国郵便版郵便禁制品(これも郵便法第十二条?)「アルコール類を六○パーセント以上含有するその他の製品」が適用となり、保存液のアルコール濃度を 59vol% まで落とさなければ、プランや経路に関わらず送付できないことになります(2024年8月現在)


ゆうパックで送れる液浸標本とは

 ならば開き直って、KDM先生が挙げていたように高濃度アルコール標本を「59vol%エタノール水溶液に入った状態」で送付する方法を考えてみます。

 シンプルに、59vol% のエタノール水溶液を調整し、一旦バッファとなるシャーレなんかに浸して濃度を安定させてから瓶に移していく、といった方法が考えられます。ただし、この方法に穴があるとすれば、肝心の59vol% を書面で証明できないことです。

 であれば、59vol% を下回る出来合いの消毒液を購入して、それに浸漬するのがよいでしょう。こういった低濃度のアルコール製剤は酒税法の関係で往々にして IPA(イソプロピルアルコール)などが添加されていますが、むしろ標本を引き締める効果があり、経験上、形態保存に問題はないと認識しています。ただし、添加物によっては形態保存に極めて有害な場合があるため、特にクエン酸や乳酸といったpHを下げる成分の割合や、ジェルタイプかどうかなどは、必ず事前に確認してください。

 濃度だけでいえば以下のような商品が該当しますが、必ずしも性能を確認しておらず、また SDS の整備状況も検証していません。

  • ニイタカ ビーバーアルコールCS(46.30%*)
  • サラヤ アルペットNV(約58vol%)
  • セッツ ユービコールノロV(57vol%)
  • シーバイエス アルコール除菌剤EX(40~50%*)
  • シーバイエス 除菌用アルコールプロ(58vol%)
  • TOAMIT エタノス除菌スプレー(55~58vol%)

 ※( )内はエタノール濃度;*は重量濃度か体積濃度か不明

 アルコール液浸標本は脱水された遺伝物質分解酵素が働かなくなっているだけで、水分が戻れば復活し再び遺伝物質の分解が始まるようです。よって、アルコール濃度を下げる方法は形態観察において検討の余地はあっても、遺伝子解析を目的としたサンプルには危険と思います。


 ちなみに、日本郵便が定める内国郵便約款(2024年8月現在)には、アルコールについて具体的な文言はありません。引火性液体が該当しそうな文言には以下のものがあります。

(郵便物として差し出すことができない物等) 

第6条 次に掲げる物は、これを郵便物として差し出すことができません。 

 (1) 爆発性、発火性その他の危険性のある物で総務大臣が指定するもの 

 (2) 毒薬、劇薬、毒物及び劇物(官公署、医師、歯科医師、獣医師、薬剤師又は毒劇物営業者が差し出すものを除きます。) 

 (3) 生きた病原体及び生きた病原体を含有し、又は生きた病原体が付着していると認められる物(官公署、細菌検査所、医師又は獣医師が差し出すものを除きます。) 

 (4) 法令に基づき移動又は頒布を禁止された物 

 (5) 人に危害を与えるおそれのある動物(学校又は試験所から差し出され、又はこれにあてるものを除きます。) 

2 その外部に郵便以外の送達役務であって当社が提供するものを表す文字が記載されている物は、その外部に郵便を表す文字が記載されている場合であっても、これを郵便物として取り扱いません。 


 液体に関する部分では、第9条(郵便物の包装)に以下の記述があります。

液体、液化しやすい物、臭気を発する物及び腐敗しやすい物 
びん、缶その他の適当な容器に入れ、これを内容品が漏出しないよう密封した上、外部の圧力に耐える堅固な箱(容器が外部の圧力に耐える場合には、封筒その他の物を含みます。以下この欄において同じとします。)に納め、箱には、万一容器が破損しても完全に内容品の漏出を防ぐ装置をすること。

 ウェブサイト記載の禁制品を踏まえた上で、国際郵便約款や消防法のスタイルを守れば、これら約款にも十分合致しそうです。



民間運送会社の状況

 ただ、日本郵便のほか、ヤマト運輸や佐川急便など大手民間宅配会社各社いずれも、表看板では「アルコール類」には軒並み「NO」で統一しているようで、クリア条件を細かく提示しているところは見当たりません。

 公共交通機関で薬品の手持ち運搬を試み大変なことになった事件があり、その無謀さに批判が集まりました。その流れで、研究機関を念頭に置いていると思われるツイートがありました。名前のあった各社の対応状況について、個人も利用可能か各社のウェブサイトで確認してみました(断りがない限り2024年8月現在;時期はもとより地域によりサービス内容が異なる可能性があります)

  • 第一貨物:個人から依頼できそうな記述なし。
  • 赤帽:チャーター便でアルコール輸送可能。個人でも営業所持ち込みなら対応可(※2022年2月に個別問い合わせ)
  • センコー:個人から発送できそうな記述なし。

 なお、上記「危険物」に具体的な定義はないようですが、郵便関係の法令や消防法第二条七項表1に準ずるものと推察されます。その場合、いわずもがな高濃度アルコール液浸標本が該当します。ホルマリン液浸標本もまた、許される道理はないでしょう。


 赤帽にチャーター便の見積をとった時は、自分でレンタカーを借りて運転していくか本気で悩むレベルの金額であり(実際チャーターはそういうことなので)、個人で少量の場合は選択しにくいです。

 前述の通り東北新幹線硫酸・硝酸火傷事件は重く受け止めねばならず、「業者がダメなら公共交通機関で手持ち」というのは厳に慎むべきです。しかし「液浸標本の輸送は日本全国津々浦々に自分で車を運転して持っていくのが最適解」というのも、現実味が薄すぎます。


非1価アルコールはどうか?

 国内便において消防法の危険物カテゴリに関わる制約を回避するには「プロピレングリコール液浸標本」「グリセリン浸漬標本」が有効である可能性があります。

 グリセリンは国際郵便で NG が出ているものの、3価のアルコールであるため消防法の危険物第4類引火性液体アルコール類には該当しません。プロピレングリコールも2価のアルコールなので同様です。ただ、運送会社が消防法とは別に「アルコール類」として網掛けをしている場合は、引っ掛かることになるでしょう。内国郵便も含め個別問い合わせはしていないため、追加の検証が必要です。

 危険物カテゴリに入る可能性がない固定液があればよいのですが。



非引火性液体の検討:BAC

 2021年のベントスプランクトン学会でこんな一言がありました。

「塩化ベンザルコニウム(以下、BAC)をDNA保存液として利用」(菅原  2021)

   嘘やん。

 どこのご家庭にもある BAC。なんとなく保存液として検討したことはありました。しかし、軽くググったところ遺伝子を損傷する可能性があるっぽかったので、候補から除外したのです(アズレンスルホン酸Naについても同様)



 確認してみると、Yamanaka et al. (2017) において「BAC最終濃度0.01%で遺伝物質の92%を10日以上常温保存できる」と報告されているようです。また、改めて遺伝子への影響を調べてみると、Deutschle et al. (2006) という文献がヒットしました。

  そうそう、これこれ。

  メタンスルホン酸メチルをポジティブコントロールにしていますが、生物学分野で組織保存に使われている話は聞かないですね。組織保存能をもつ試薬と比べたというより、DNA への影響が大きい化学物質の代表でしょうか。この実験は、環境DNA 保存に用いられる濃度(0.01%)を含む様々なBAC 濃度下での生きた細胞の挙動をモニターしているため、死んだ組織を浸潤している液浸標本に起きる現象をうまく表していない可能性がありますね。

  また、BAC を DNA 保存用に使うのは環境DNA 研究に用いる「DNAを含んだ水なり何なりのサンプル」であって、Yamanaka et al. (2017) でも生物の全身標本での実績が紹介されていたわけではありません。そしてどうやら、BACの目的は「環境中に生息する微生物によるDNA分解を防ぐための静菌作用」のようで、遺伝子の主の生物がもっている分解酵素を失活させるという従来の固定液(エタノールやホルマリン)とはだいぶアプローチが異なります。また、輸送日数+保存液への置換作業を完了するまでの日数が 10日を大幅に越える場合、どこまで信用できるか分かりません。

 ならばせめて、形態の保存はできてほしい。


BAC仮液浸標本の試作

 高濃度アルコール液浸標本やプロピレングリコール液浸標本から、BAC仮液浸標本を作製し、輸送の後に元へ戻した時、形態観察に耐えるかを確認したいと思います。

  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 無水エタノールへ移行し、室温で 24時間放置する。
  3. 市販の逆性せっけん液の原液(BAC 濃度 10w/v%)と、汲置水道水を添加し BAC濃度がだいたい 1,0.1,0.01% になるよう調整した水溶液とを用意する(水溶液はキッチン用品レベルの精度にて容積ベースで希釈していますが、原液の比重はほぼ1.0らしいので、検証の目的は果たせていると判断しています)
  4. 3で調整した水溶液を別々の瓶に分取し、1,2の標本を浸漬する。
  5. 4を室温で10日間放置する。

 どの濃度の溶液へ入れても、エタノール置換標本は最初に浮き上がり、じきに沈みます。

 なお、”室温”は真夏の気温30~35℃、雰囲気湿度は65~70%RHでやってますので、輸送中の環境みたいな点は十分だと思います。


色は気にしないでください。
触角の欠損は固定時のもので、BAC浸漬によるものではありません。

 最も出来が良いと思ったのは「プロピレングリコールから無水エタノールに置換した上で BAC濃度 0.01% に浸漬した標本」でした。とはいえ、他の濃度でも付属肢の欠損など致命的な問題は全くありませんでした。

 直前の固定液がプロピレングリコールであろうと無水エタノールであろうと、原液(BAC 10%)に浸漬した標本は収縮がみられました。また、中間濃度の標本は表面に顆粒のようなものが生じるように思われます。各パーツの柔軟性には大した違いはないように思われましたが、強いて言えば、0.01% はちょっと軟弱な感じがしました。

 これだけ刻めばどこかに良い塩梅のポイントが出てくるかと思いましたが、もしかすると 0.05% くらいがベストかもしれません。


 個別に問い合わせはしていませんが、BACに対して国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 今回使用したものではありませんが、BAC 10% 製剤の大手商品はネットに SDS が転がっていますので、郵便局から要請があっても対応しやすいと思います。

 


非引火性液体の検討:油

 生物体の保存という観点で、乾燥以外には何があるかと考えると、水溶液とは違うアプローチとして油浸が挙げられます(ハブ酒や干物がダメならオイルサーディン、みたいな非常に乱暴な話をしています)

 非引火性を目指しつつ油に戻っていくのはやや迷走の感が否めませんが、消防法別表第一において規定される発火点や引火点を越える品目、つまり「引火性液体に該当しない油」は多く、そういったものを選べばある意味安全といえるのではないでしょうか。

 一般人による入手や扱いが比較的容易で、引火性液体に該当しないものを挙げてみます。

  • オリーブ油引火点は300℃以上らしいです。
  • ナタネ油:引火点は300℃以上らしいです。
  • ゴマ油:引火点は280℃以上らしいですが、匂いがキツい気がします。

 ヒマワリ油やアマニ油は引火点がプロピレングリコール並みで、またホホバ油やヒマシ油はそれを上回りグリセリンより高い引火点を持ちますが、消防法別表第一備考十七で「一気圧において引火点が二五〇度未満」と定義される「動植物油類」に該当します。よって、これらの油は引火性液体ということで、候補から除外します。


オリーブオイル油浸標本の試作

 とりあえず、どこのご家庭にもあるオリーブオイルで検証してみます。
  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 食用のスペイン産オリーブオイルに浸漬し、室温で10日間放置する。
  3. 標本をオリーブオイルから引き揚げ、グリセリンと無水エタノールとを往復させて油滴を振り落とす。

 ”室温”は真夏の(以下略)

 プロピレングリコールとそれほど親和性が高くないようで、サンプル表面に滴がまとわりつきます。今回はよく振って剥がします。


暗いのは気にしないでください。

 オリーブオイルがかなり標本にまとわりつきますが、上記手順により結構簡単に落ちます。たった1往復ですが、複雑な構造の胸節下部や腹側板,腹肢への残留はありません。また、簡単に無水エタノールへ置換できることもわかりました。

 気を付けたいのは、体サイズが小さいあるいは剛毛の多い場合の油滴の挙動と、温度が下がると凝結し標本に影響を与える可能性です。

 個別に問い合わせはしていませんが、オリーブ油に対して国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 オリーブ油は食品として流通しているほか、「オリブ油」という名称で日本薬局方に記載されていて、複数の製薬会社が製品化しています。ただ、例のごとくネットに SDS が転がっているものと、商品がネットで買えるものとは、一致しませんでした。SDS ではないものの、健栄製薬はウェブサイトにラベルの PDF を載せています。検証はしていませんが、これでも書面の証明になる気がしています。



補遺:「標本」としての制限

 2024年12月、国内便にて「梱包済瓶詰生物標本(ヨコエビ)」という表書のゆうパックを送ろうとしたところ、拒否されました。ここ数ヶ月、前述の通りの液体および梱包を守った状態にこの表書を付けて問題なかったので、まさに青天の霹靂といったところ。先方の言い分はこんな感じです。

  • 乾燥標本以外は作成過程でアルコールを使うことがあり、1度でも「アルコール」が使われた標本は航空便でも陸路でも輸送できないので、乾燥標本以外の標本は受付不可能
  • 乾燥標本は航空便はNGだが陸路なら輸送可能
  • 「アルコール」の定義は教えられない
  • ゆうパックの条件(自由液体におけるアルコール濃度59vol%以下)をどのように逸脱しているかは教えられない
  • 標本に対する規制は社内のみで共有されるもので、社外へ開示されることはなく、荷物を持ち込む前の事前の問い合わせ窓口も教えられない


 改めてゆうパックのサイトを確認したところこのような記述が。

(一) 引火点摂氏三○度以下のもの

(ニ) 前号以外のもので次に掲げるもの

2. アルコール類(メタノール、ブタノール及び変性アルコールを含む。)及びこれを六○パーセント以上含有する香粧品、酒類その他の製品

 「引火点摂氏三○度以下のもの」というのは3か月前に拾えていませんでした。サイトの階層によって情報量が違うようなので、前回はどうやらいきなり細かいところを開いてしまい、大枠のこれに気づかなかったようです。引火点摂氏30℃のエタノール水溶液は概ね25vol%以下に該当するようなので、高濃度エタノール標本の輸送にはまず向きません。

 ただどのみち総体としての濃度や漏出リスクに興味はなく、窓口はただ「アルコール」に触れた履歴があるかどうかに拘っている様子。航空危険物としての規制か、そもそもこの荷物が「アルコールに触れたのか」の判断も不可能です。アルコールの定義が示されないので。

 液体の中に標本を入れていることは説明していますが、仮に液体へアルコールが移行するという前提ならその濃度を担保できない(アルコール固定後の標本を入れた状態の保存液のSDSがない等)ことを理由にNGを出せばいいだけで、液体へ移行せず濃度が維持される前提なら論点は標本そのものになるので自由液体への規制は適用されないことになります。

 これまで輸送できたのは陸路限定の宛先だったので、今回は航空便の選択肢がある宛先だったのも警戒心を煽ったのかもしれませんが、前述の通り経路に関わらず受付できないという話なので、標本カテゴリとして扱いが変更されたとしか考えられません。口振りからすると危険物カテゴリとも関係はないようで、とにかく「標本」という表書そのものに反応するようです。

(更新:2024年12月23日)



 液体の排除

 そもそも「液体を送る」行為そのものが相当なハードルになっている感があります。魚類などでは固定液から引き揚げた湿潤状態で布に包み、それをビニールなどで密閉して「液体でない」状態とする方法が既に確立されているようですが、小型甲殻類の場合は余計な繊維が付着したり擦れたりして観察の障害になりそうな気がします。

 この方向でいけば、アルコールと親和性があり水に溶けやすい物質でコーティングすればよさそうです。ただ、こちらで検証したようなゼラチンは熱で標本を痛めますし、水飴は乾燥に時間がかかりすぎてコーティング剤に不向きと思います。


ポリビニルアルコール封入標本の試作

 ぼんやりと「ポリビニルアルコール」を考えていた頃、奇しくも「プロピレングリコール」を「ポリビニルアルコール」と誤記している論文が出版されました (Arai et al. 2022)


やってみるっきゃないか。

 恐らく日本で一番有名な「ノリ」の一つでしょう。ラベルとHP「主成分 PVAL(ポリビニルアルコール)」とあります。琥珀色をしています。


 とりあえず、以下の方法でやってみますか。

  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 無水エタノールへ移行し、室温で 24時間放置する。
  3. 水切放スライドガラス上に PVAL製品を適量塗布し、12時間程度乾燥させて膜を形成する。
  4. 水切放スライドガラス上に新たに PVAL製品を塗布し、エタノールから引き揚げた標本を包埋して馴染ませる。包埋された標本が表面へ浮いてくるので、3で作っておいたPVALの膜を被せて空気に暴露しないようにする。
  5. 室温で 24時間程度乾燥させる。
  6. 保管終了後は、水に浸漬し、1時間程度溶解させる。固定液に入れる前に、モヤのように残る PVAL は水で洗い流す。


 ”室温”は真夏の(以下略)

 3日程度放置しましたが、24時間経過品とあまり見た目は変わりません。

 Φ5 のガラス製シャーレに注いだ湯冷ましに浸漬しすると、室温条件では 30分くらいで溶解されてきます。

【無水エタノール置換後に包埋】
おわかりいただけただろうか…?

 矢印に示した通り、胸脚前節の欠損が散見されます。構造上脆弱なのか、あるいは乾燥・収縮の過程で外縁部に近い部位は引きちぎられやすかったりするのか。高濃度アルコール液浸標本が起点となる場面を想定し無水エタノール置換という工程を挟んだので、固定液の保湿性がなく、PVAL中で標本が乾燥状態となり破損したのかもしれません。

 試しにプロピレングリコールのまま包埋してみましょう。



 肢 1,2 本だけですが、今回はむしろ空気が入りました。固定液というよりは手技の問題みたいです。ただ、付属肢の欠損は全くみられません。やはり、脱水するよりプロピレングリコール漬け状態から包埋したほうがよさそうです。


 なお、サンプルを水に1回浸しただけの状態で無水エタノールへ浸漬すると、残留した PVAL が白く析出します。エタノールには一切溶解しないんですね。エタノール標本に戻す前には、PVAL 成分をしっかり洗い流す必要があります。

 ちなみに、同じく PVAL を主成分とする洗濯糊も同じ条件でやってみましたが、粘度が低いため包埋する時に扱いにくく、また水へ浸漬した時に成分が拡散せず標本がずっとゲルの中に留まっている感じでした。布に染みこんで留まる性質を考えると納得です。こちらは絶対に使ってはいけません。


 個別に問い合わせはしていませんが、PVAL も国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 某ノリの SDS は作成されているはずですが、ウェブサイトからダウンロードできる状態ではなさそうでした。

 


 結論

 日本郵便を使う限り、国内外ともに「高濃度アルコール液浸標本を瓶入りでそのまま送付する」のは不可能で、以下のような方法しかなさそうです。

  • 遺伝子解析:①プロピレングリコール液浸標本とする;②液体から引き揚げ、自由液体のない状態で送る.
  • 形態観察:①プロピレングリコール液浸標本とする;②BAC 0.01% 仮液浸標本とする;③オリーブオイル油浸標本とする;④(内国郵便であれば)<59vol%エタノール水溶液の仮液浸標本とする

 何やらプロピレングリコール業者の回し者みたいになってきましたが、そんなことはないですからね。今のところ、目的に応じて柔軟に標本の形態を変えるのが、法規制のリスクをとらずに標本を守る方法と思われます。ただし、これまでの話はあくまで日本の国際郵便禁制品と、万国郵便条約に基づく「万国禁制品」を基礎としています。相手国の規定により更に選択肢が狭まる可能性があります。日本郵便のウェブサイトでは国名で検索することができます。

 形態を見ず遺伝子だけというのであれば、酵素の失活状態を維持するために乾燥標本にしてしまってもよいかもしれません。ただ、乾燥標本には虫害・カビ害のリスクがあるほか、長期保管によってDNAが破損するリスクが高まるため、微妙なところです。


 民間の輸送手段は多様すぎて、検証が追いつきませんでした。ただ、特別規定A180に準じた方法であれば、日本郵便の約款等に縛られず海外へ送付できる可能性があります。

 ただし、遺伝子解析を目的とした標本の移動は ABS(Access and Benefit-Sharing;自動車についてるアレではない)指針に基づく別の規制を受けることがあります。日本産標本の場合はだいぶ緩いので、採集禁止区域で採った個体や保護種を送るといったよほど無神経なことをしなければ問題は起きにくいかもしれません。他の国では ABS の手続きに瑕疵がある状態で採集・持ち出しした標本を使うと、論文が出版されなかったり撤回されたりと、学問の営みに大きな影響を与える可能性があります。各国の状況を事前に調べる必要があるでしょう。


 個人間の国内輸送においては民間が「とりあえずお断り」に走っている雰囲気があり、クリアは厳しそうです。むしろ日本郵便に託したほうが確実かもしれません。



参考文献

Arai T.; Ohno Y.; Tomikawa K. 2022. A new species of the genus Podocerus from the Seto Inland Sea, Japan (Crustacea, Amphipoda, Podoceridae). ZooKeys, 1128: 99-109. 

Deutschle, T.; Porkert, U.; Reiter, R.; Keck, T.; Riechelmann, H. 2006. In vitro genotoxicity and cytotoxicity of benzalkonium chloride. Toxicol In Vitro, 20(8): 1472–1477.

小原ヨシツグ 2016. 第6話 標本! In:『ガタガール①』. 講談社, 東京. 174p.

— 菅原 巧太朗 2021. 自由集会:環境DNAを用いたベントス研究の現状~実際、どの程度使えるものなのか?~. イシガイ科二枚貝タテボシガイのDNA 放出特性及び富栄養化湖沼八郎湖における環境DNA の検出. 2021 年 日本ベントス学会・日本プランクトン学会合同大会講演要旨集

Yamanaka H.; Minamoto T.; Matsuura J.; Sakurai S.; Tsuji S.; Motozawa H.; Hongo M.; Sogo Y.; Kakimi N.; Teramura I.; Sugita M.; Baba M.; Kondo A. 2017. A simple method for preserving environmental DNA in water  samples at ambient temperature by addition of cationic surfactant. Limnology, 18:233–241.


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改廃履歴

  • 2024.12.23 「補遺:「標本」としての制限」を追加。
  • 同日 内国郵便禁制品の「引火点摂氏30℃以下」に準拠しない記述に打ち消し線を追加。