ラベル 提唱 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 提唱 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年6月9日月曜日

日本動物分類学会第60回大会(6月度活動報告)

 

 日本動物分類学会第60回筑波大会に参加しました。ポスター発表開始に2分遅刻してすみませんでした。


在野研究者はポスターを印刷できるか

 前回はブランクを経ての学会発表復帰で、かなり間に合わせ感というか、リミテッドな味わいを強めに出しました。白背景ベースにして普通紙インクジェット印刷でもクタらないようなデザインを心掛け、実際にA4用紙をメンディングテープで貼り合わせて1枚のポスターとし、可搬性を高めました。

 今回は多少慣れてきたのと、共著者の院生の実績にカウントされる可能性があるので格好をつけねばらなぬ部分がありました。また、生体写真を載せる関係で黒背景のデザインを採用したので、普通紙インクジェットでは対応が難しい感じになりました。かといって背面に砲身を装備する度胸もなかったので、人生初の布ポスターに挑戦しました。

 布のポスターが出たての頃は一目置かれたものですが、今ではありふれたものになりました。大学に据え付けのプリンタを使うなら発表前日まで原稿を推敲でき、安く出力できるので、ジムキャノン小隊もとい紙ポスターがなくなることは無いのでしょうが。


 さて、「布ポスター 印刷」でググると大量のサイトがヒットします。

 納期により価格が違うようですが、これはオプション料金を払えば急いで割り込みをかけてくれるというものではなく、オプションなしの場合に印刷や発送を遅らせたり、着日指定で運送会社の倉庫で待たせるシステムのようです。

 とりあえず激安コース(通常納期)で。

 会場お届けや設置代行までやってる業者もいるみたいですね。


 ウェブで注文しつつメールで入稿するシステムのようです。


 納期通り届きました。

 仕上がりも問題なし。




第n回全日本端脚類分類学振興会

 今回も日本全国から端脚類分類学者が集まり、意見交換を行いました。参加者の集団はおよそ3時間ごとに移動を繰り返し、それぞれの移動先において3–10vol%のエタノールを含有する水溶液を不定期に経口摂取しました。

 やはり近年、特に今大会の端脚類演題の充実ぶりには目を見張るものがあります。というわけで、要望があったのでカウントしてみました。


過去の各学会での端脚類発表本数
(CSJ:日本甲殻類学会大会;JSSZ:日本動物分類学会:P&B:プランクトンベントス学会合同大会).
大会区分に付記した(o)/(p)は口頭/ポスターを示す。
年次の横の開催回に付記したoはオンライン。
実際に発表の中に端脚類が登場したものでも、タイトルからうかがえないものはカウントしなかった。

 簡単に発表数推移を表にしました。他の端脚類研究者の多くがコンスタントに参加していると思われる3つを選びましたが、私が行ける/行ったものに限っているため、過去5年で端脚類の発表があっても表に入れていないものもあります(日本動物学会早稲田大会,山形大会)。手元にある資料しか見ていないため、参加していない大会や、参加していてもすぐに要旨集が出てこない古い大会については集計していません。

 過去5年くらいを見ても、特筆すべき大会だったことが分かります。

 ただ増えればいいという数を競うような話をしたいのではありませんが、研究の裾野が広がれば、上記学会でいえば、甲殻類学・分類学・底生生物学(浮遊生物学)の発展・深化に寄与できるものと思います。

 生物多様性が急速に失われていきながらも、労働人口の減少の曲がり角に差し掛かった我が国は、安定して国際競争力を発揮するあらゆる資源に目を向け、将来の真の豊かさというより真の破滅の回避のために、どういった姿の「国」を残すかということを本気で考えて実施しなければいけない状況になっています。生物多様性の一翼を担う端脚類相の解明ひいてはこういった分野における記載的研究の底上げという現象そのもの、生まれ育った国土のありのままの姿を見つめる若者が増えるという傾向は、国土の自然環境に対して野放図な開発というコマンドしか持ちえないことが改めて浮き彫りになりつつある世の中の残念なオトナ達とは、あまりに対照的に見えました。

2025年5月31日土曜日

試論:双方向社会における分類学の還元(5月度活動報告)

 

 『ヨコエビ ガイドブック』(有山, 2022)が出版された時、「ヨコエビに絵合わせ分類のビッグウェーブが来る」といった趣旨のことを言いました。実際、そういった潮流は大きくなっている印象があります。

 とりあえず参考文献があるのはここまでで、以下は妄想になります。


 個人が生物を同定して不特定多数へ共有する双方向プラットフォームは、もはや枚挙に暇がありません。BiomeいきものログiNaturalistナニコレンズ日本まるごと生き物図鑑なんかが有名でしょうか。本来それ専用ではありませんが、Facebookなどの各SNSもそのようなコミュニティが散見されます。そういった中にヨコエビが登場する頻度が上がった印象があり、同時に信頼性の低い同定が放置されている状況も決して少なくありません。


 昔から、個人ブログなどで取り上げられている写真に間違った同定が掲載され続けている状況は確かに存在していて(弊ブログも見る人によってそういった一角に位置づけられている可能性もありますが)、裾野の広いプラットフォームができてからネット情報の同定精度が目に見えて下がっているかというと、そういう感覚はありません。昔に比べると有用な文献・webサイトは増えましたし、分類に必要な学術誌を取り寄せる難易度もだいぶ下がり、一般人も研究者に近い手法で生物の同定を行うことができる環境となったことで、精度の高い情報発信が行われる素地もまた充実してきています。

 ただ双方向プラットフォームの発達に伴い「ネットの海に放流される名前つき写真」の規模が拡大している感じがするのと、そういった仕組みが当たり前の社会では、利用者が生物分類に用いるソースの軸足が紙からネットへ移行している雰囲気があります。特にプラットフォーム内だけで情報を得るようになると、ひとたびプラットフォーム内の分類体系と現実の学界におけるコンセンサスとの間に乖離が生じた場合、それが固定化あるいは乖離の加速を招くことが懸念されます。

 ヨコエビにおいてこの現象を明確に観測したことはありませんが、Biomeの昆虫界隈で分類学の営みがプラットフォーム内で完結していると信じ込んでいるように見受けられる利用者を実際に見かけたことがあります。


 これは、個人が「ネットにアップロードされている文献」「有用なwebサイト」「プラットフォーム上で他の利用者から提案される情報」に親しむようになった側面があるのと同時に、AI同定機能の発達によっても特徴づけられると思います。

 プラットフォームごとにAIの精度を比べたことがありますが、良くも悪くも決定的な違いはないように見えました。完成度の議論は脇に置いて、AIが出す成果物は最終的に使用者が自らの責任で扱いを決めるべきで(真っ当な分析・生成サービスにはこの手の注意書きが必ずあります)、鵜呑みにするものではありません。AIのそれっぽい結果を追認して仮にそれが間違っていた場合、その場面での錯誤のみならず、その後のAIの精度にも恐らく良い影響は与えません。原則論からすると、教師データには「既存の手法に基づき人力で学術的な名前と紐づけられた画像」が用いられたはずで、AIに追従するだけでその手順を踏まないデータが還元されていくとすれば、精度はどんどん下がっていきます。


 ヨコエビの分類が困難な理由はこの記事あるいはこの記事でしつこく掘り下げましたが、要するに専門家が適切な設備・文献・技術を駆使して初めて種が分かるような連中がかなりの割合を占めており、例えば識別形質を網羅した資料があったとしても、顕微鏡や解剖技術がないと同定のしようがない、といった不案内な状況がデフォです。

 そのへんで採れる普通種であっても、記載以来まともに記録が無いような種の不明瞭な原記載を何十本と集めたり、時には図もなくラテン語やイタリア語で書かれた論文と照らし合わせて、ようやく既知種かどうかが分かる、ということもザラです。

 誇張ではなく、実際に野外で無作為にヨコエビを採集するとそういう作業になってしまうのです。

 あと、そもそも小さすぎますね。特徴的な形態形質をもつものであればかなり引きの写真で種や雌雄まで判別可能な場合がある一方、数十マイクロの大きさしかない口器を見ないと科の識別形質を確認できないヨコエビもいます。


 「だからこそ厳密な話をしてもしょうがないじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、「難しいから適当に名前をつけてもいい」というのが当たり前になってしまうと、そもそもなぜ同定をするのかの意義、そして蓄積されるデータの有用性も失われてきます。識別が容易な種についてそれを分類する意義を認識しているのであれば、識別が困難な種に対しても(実際に今から正確な種同定をできるかどうかは別にして)その意義だけは認めるのが道理だと思います。


 もちろん、見つけた生き物をどう呼ぼうが個人の勝手であり、そういった愛称を共有する場がネット上に広がっているという解釈もできます。知名度の割に種分類が進んでいないといわれるウミウシ類では、ダイバーがつけた愛称が先行して便宜的な種として知見の整理に役立っているようです。ヨコエビにおける「ピカチュウヨコエビ」「パンダメリタ」も似たようなものでしょう。ただ学術的な分類体系には典拠となる決め事が既にあり、また仲間内だけで通用する愛称にも別の背景があるわけで、両者は別の枠組みである点には注意が必要です。愛称がそのまま和名に採用されるとは限りませんし、分類学的検討によって複数の便宜的な種が統合、あるいは複数種を内包していることが明らかになるかもしれません。また、発端となった文献は特定できていないのですが、流布した愛称が実在の他の生き物の和名と被る事例もあります(タルマワシ)。

 未記載種に何らかの愛称が存在することは観察や採集を助けることにつながり、本来は分類学の発展とは何ら競合しないものと思います。愛称と和名の関係性を理解せず、あるいは愛称の曖昧さを隠れ蓑にするようなよほどの濫用でもされなければ、既知種・未記載種問わず積極的に共存を図るべきと思います。


 過程はともあれ、学術的文脈で生み出され現実世界で運用されている分類体系が、ネットのオープンなコミュニティでその通りに扱われない場面というのは、更に増えていく気がします。

 こういった状況に対して、皆が研究者になればいいというような話ではなく、専門的な文献の世界に入っていかなくともできることやすべきことがあると思っています。


  • プラットフォームに正確な写真を載せる


  • 有用なソースを共有する

  • 同定に際して有用な文献・webサイト
  • 信頼できる目録の類
  • これらをSNSなどで同好の志に共有する
  • 可能であればフォーマットのコメント欄などに同定根拠を記載する(iNaturalistでは、利用者に表示されない仕組みにはなっているものの、和名を付加する時に理由やソースを付属させることが必須となっています)


  • 種同定にこだわらない

  • 科や属で止めるという分類(iNaturalistは、種より上の各分類階級が整備されています)


 種同定ありきで枠が作られているフォーマットがあまりに多いため、利用者側からはどうしようもできない部分もあります。マイナー分類群との棲み分けやサービスそのものの淘汰といった流れが必要かもしれません。

 なにはともあれ、信頼できる図鑑や書籍で情報を得ながら適切な手段で分類を行うというやり方を、ネット上へ移植すればいいだけだと思います。ただし、それこそ学術誌や同好会誌などと異なり同定に使用した文献の明示は必須ではなく、外の情報が入りにくい設計となっている現実があります。ソースを義務付けても、裾野の拡大にブレーキをかけたり、仕組みが形骸化することも考えられます。そこまで専門的なものは求めてないという意見もあるでしょう。ただ、サービス提供側が「誰でも専門家になれる」「ビッグデータで研究者や行政を支援できる」と謳っている以上、専門性や精度を蔑ろにしてよい道理はないはずです。

 実際にこういったフォーマットを利用しなくとも、利用者が多くいるであろうSNSなどで有用な文献やwebの情報を積極的に共有したり、信頼できる専門家の言動をモニターすることは、ネット上での分類の在り方を一定の範囲に留める方向に働くのではと思います。


 そもそもの同定が合っている間違っているという話をしてきましたが、分類体系は日々改廃されており「生き物の分類は生き物」というのが実情です。どちらかというと、円滑に修正が行われる仕組みの方が大切だと思っています。

 Biomeは、写真の投稿主が採用しない限り、他の利用者が提案した同定は反映されません。提案を検討する力量のない利用者には向いておらず、投稿主が非協力的、あるいはログインをやめてしまうと、修正されないデータが永遠に残り続けます。こういった事態に対して、明らかに分布が異なるといった観察記録に運営アカウントが介入しているのを見かけたことがありますが、あくまで緊急対応のようです。分類階級の改廃も運営に集約する申請方式です。膨大な分類群を一元管理するには途轍もない人的資源が要求されるはずですが、管理体制が整っているとは思えません。

 生物分類には誤同定がついて回る一方、情報を受け取る側はそれを疑ってかかるとは限りません。それはwebだろうが紙媒体だろうが同じです。

 またプラットフォームには手軽さを謳うものもあり、裾野が広がればそれだけ多様な価値観の人が集まり、学界における生物分類の理念と相容れない利用者の数も増えます。生物多様性の記録ひいては保全への協力を仰ぐといった文脈で、生物分類に携わる人の裾野を広げることは非常に意義深いですが、例えば「写真から連想される生物名を矢継ぎ早に思いつくまま挙げる」といった提案を繰り返す利用者も見かけたことがあります。

 当然想定されるはずの事象に対してこれといったフォローが無いのは、むしろ裾野を広げることに消極的なのではとさえ思えます。

 iNaturalistでは、提案者の同定が多数決の原理で自動反映されます。分類階級の改廃は、実績ある利用者の中で特に権限付与を受けた「キュレーター」がそれを行う権限を持ちます。もちろん民主的方法に委ねた故のヌケモレやムラがあるでしょうが、不具合への反応速度という観点では運営に集約する仕組みより合理的だと思います。


 プラットフォームの「手軽さ」は「ゲーム感覚」と強く紐づけられている印象があり、例えば「ポケモンGO」の現実世界版のような捉え方をする利用者も少なくない感じがします。

 ゲーム感覚を踏まえてか、Biomeでは行政などと連携したイベントを頻繁に開催して、インベントリのような活動を行っています。

 こういったゲーム性の導入は、ともすれば現実の生物を分類する営みを、図鑑をかざしさえすれば自動で正確に同定できるポケモンと混同させかねません。確かに過去には十分な同定資料が提供されないなどの不案内が多々見受けられましたが、最近はかなり充実したガイドが添付されており、分類の経験を積むことができるようになってきていると思います。終了したイベントの資料も引き続き参照できる仕様は評価できます。



 また、今後は生成AIによる検索汚染も強く懸念されます。

 マイナー分類群であるヨコエビがどのような影響を受けるのか想像つきませんが、某国のウィキペディアが暇に任せて一個人が粗製濫造した出鱈目な記事で汚染された事例なんかを踏まえると、例えば、双方プラットフォームの空いているところを埋めることに使命感を持った暇人が、ブランクになっている種名の枠にそれっぽい生成画像をひたすら貼っていくといった奇行に及ぶ可能性も十分にあり、現状はそれを防いだり復旧させたりする体制が十分ではないといえます。そういった状況そのものを観測したわけではありませんが、規約に違反したオモチャやヒトの画像を意図的に投稿している利用者は見たことがあります。

 例えば「Gammaridean amphipoda」というプロンプトだけをSoraに与えた場合、このような画像が出力されてきます。胸節~尾節の数、形状が異なるので違和感を指摘することはできますが、触角や胸脚なんかはわりと現実の体制との矛盾が少なく、異常の出方によっては「そういう未記載種もいるかもしれない」程度に落とし込んできそうな感じはあります。それこそAIの進化は日進月歩ですから、一目でわかるような画像のほうがもはや珍しい状況といえるでしょう。



 もし双方向プラットフォームが、その中だけで完結するものではなく現実の分類体系との連結を標榜しているのであれば、そういった前提を踏まえたシステム設計は欠かせないでしょう。利用者の状況もwebサービスの在り方も刻一刻と変わりますし、もちろん画一的な答えは出しようもないですが、よりよいサービスを模索して採用していくことが重要だと思います。



<参考文献>

— 有山啓之 2022. 『ヨコエビガイドブック』. 海文堂, 東京. 160 pp.

2025年2月17日月曜日

ハイエンド角栓取りピンセット(2月度活動報告)

 

 やたら細かいピンセットが市販されているらしいとのことで、購入してみました。

 その名も「CELL TWEEZER」


開封の儀。
大仰なケースに入って¥1,900-くらい。

 やたら格式高いです。美容サロン御用達みたいのを売りにしているようです。

 要するに「ハイエンド角栓取りピンセット」です。


 コシは結構強くて疲れやすいかもしれません。

 先っぽはほとんど「針」で、肉眼ではどうなってるのかわかりません。手持ちの精密ピンセットと比べてみます。



厚み

※比較対象のピンセットは焼き・研磨済みで新品の外観とは異なります


 ほっそ。

 実体顕微鏡で見てもまだ針ですね。

 公称「0.06mm」らしいですが、どこの何を言ってるのかよくわかりません。先端の短辺とかそういうことでしょうか。


 ヨコエビ界隈でも特に微小なため嫌われているタテソコエビ stenothoid と比べてみましょう。


CELL TWEEZER 5 と
岡山県産不詳タテソコエビ科
(頭部:点線で表示)


 こうして見ると、出荷時のままでは先端の嵌合が甘いのが分かります。ヤスリあるいは砥石がけは必要でしょう。ピンセットサロン(省略禁止)案件かもしれません。

 現状、KFI 3c あたりでも付属肢をつまむ作業には不自由していませんが、角栓ピンセットもよく躾ければそれなりの戦力にはなりそうです。ケース付きでも DUMONT No.0 あたりよりかなり安いですし、ステンレスなのも嬉しい。タングステンを除くとこれほど細いものは無い気がします。


 ちなみに AioBos というブランドにも角栓取りピンセットがありますが、質感がちょっと安っぽくてあまり好みではありませんでした。コシはCELL TWEEZER よりマシかも。0.05 mm のラインナップがあるようです。


これは商品説明に「0.01mm以下」とありまんまと騙されて買った0.08mmバージョン。
やはりオリジナルケースに入ってます。
特に用途の無い角栓ケア用ニードルもついて¥1,800-くらい。


 なお、いずれのハイエンド角栓取りピンセットも現在はAmazonのページが消えているようです。個々の製品の調達は安定していないものと考えたほうがよさそうですが、「格安の精密ピンセット」みたいなジャンルとして一考の余地があるのではと思います。

2024年8月29日木曜日

液浸標本の運搬方法(2024年8月度活動報告)

 本稿の内容は一定範囲で独自に調査した結果を掲載したものであり、安全性や法的妥当性を保障するものではありません。筆者は、本稿の内容に基づく行動により生じたありとあらゆる結果に、一切の責任を負わないものとします。また、コメントやメール等での個別の問い合わせには一切応じられません。これらにご同意いただけた方のみお読みください。 

 

 以前(2021年1月)、動物分類学のメーリングリスト上で海外への標本輸送に関する意見交換がされていました。

 従来、危険物を含む液浸標本は航空便で郵送できなかったので、船便が使われていました。しかしとうとう船でも送れなくなり、これからどうする?という話題でした。新ルールになってから、基準をクリアしても「疑いがある」という理由で窓口で弾かれるという証言もありました。


 これは、主に 70vol% ~ 99% のエタノールを使った液浸標本(以下、高濃度アルコール液浸標本)を扱うヨコエビストにとって一大事です。引火性液体でない保存液に切り替えるとしても、ホルマリンは別の危険物に該当しますし、そもそも在野研究者はホルマリンを使えません。かといって、形態分類に用いるのであれば乾燥標本などもってのほかです。しかも、このメーリス上で明確な答えは示されず…。


 ではどうすれば?というわけで、必ずしも時系列になっていませんが、件のメーリス以降に収集した情報や実際に試した方法などをご紹介します。


海外への送付

国際郵便事情'22:エタノールは送れるか?



国際航空運送協会の危険物規則書および特別規定A180

 船便への規制を受けて、海外郵便の最新事情を解説してくれた人がいました。

液浸標本を海外に郵送する方法 〜 IATA 特別規定 A180 〜 (tamagaro.net)

 この IATA(The International Air Transport Association:国際航空運送協会)というのは業界団体です。なぜ民間組織の規定が重要なのか、以下に整理してみます。

 国連の主要機関 ECOSOC(Economic and Social Council:経済社会理事会の傘下に、ICAO(International Civil Aviation Organization:国際民間航空機関という専門機関があります。この ICAO が定める指針に従い、IATAは毎年 DGR (Dangerous Goods Regulations:危険物規則書) を更新しているそうです。民間組織とはいえ、かなり確かな筋から発信を行っていることが窺えます。 この危険物規則書は年次の改訂部分のみウェブサイトから閲覧できますが、全文は冊子あるいはPDFを購入しないと読めません。いずれも 300ドル以上するので、入手は諦めてこのブログの記述に全乗っかりすることにします。このセクションは孫引き満載の旨、予めご了承ください。

 さて、この危険物規則書においてエタノールは区分3:RFL(Flammable Liquid)に該当するようです。要するに、エタノールを含む液浸標本は引火性の航空危険物であり、原則的に海を越えられないことになります。危険物規則書に示された航空危険物は、民間組織の枠を超えて万国共通の郵便禁制品に組み込まれるなど、航空貨物輸送において重要な位置を占めています。

 ただし「特別規定」なるものが存在し、危険物規則書に示された品目であっても、一定の条件を満たせば航空危険物から除外できるようです。その一つが含有率で、例えばエタノールは「24vol% 以下のもの」は特別規定144により除外されるそうです。

 また、この含有率を越えていても以下の条件を満たせば除外できるとのことで、これが特別規定A180らしいです。

  • プラスチックかガラスの瓶に入った液浸標本で、特定の保存液に浸漬されたもの
  • 瓶の中の自由液体は 30mL 未満
  • 瓶を入れた第1のプラスチック袋をヒートシールにより密封
  • 第1のプラスチック袋を吸収剤とともに第2のプラスチック袋へ入れてヒートシールにより密封
  • 第2のプラスチック袋を緩衝材とともに頑丈な密閉容器に収納

 対象となる保存液は以下の国連番号で示されるものだけらしく、それ以外に特別規定A180の恩恵はないようです。

  • 国連番号1170 エタノール又はその溶液(アルコールの含有率が24容量%以下の水溶液を除く。)[エチルアルコール][アルコール][変性アルコール][工業用アルコール]
  • 国連番号1198 ホルムアルデヒド(水溶液)[ホルマリン][ギ酸アルデヒド]
  • 国連番号1987 アルコール類(他に品名が明示されているものを除く。)
  • 国連番号1219 イソプロパノール[イソプロピルアルコール][2-プロパノール]

 この国連番号というのは、ECOSOC(経済社会理事会)が定めたTDG(United Nations Recommendations on the Transport of Dangerous Goods :国連危険物輸送に関する勧告の中の危険物輸送モデル規則第3.2章に示されたもので、航空のみならずその他の経路による輸送も含めた国際的な取り決めの根幹をなすものらしいです。

 字面からすると国連番号1987には1価以外のアルコール(プロピレングリコールやグリセリン)が含まれる気配がないでもありませんが、詳細を確認するとどうやらこの「アルコール」は引火性液体のみを指しているらしいので、プロピレングリコールやグリセリンはそもそも航空危険物ではないみたいです。



 我らが KDM先生も、海外への発送方法について日本郵便へ詳細に問い合わせを行っています。

Masafumi KODAMA on Twitter: "【備忘録】高濃度エタノール液浸標本を海外に発送する場合の話 要点1:IATA A180の方法では国際郵便約款の「航空危険物」には該当しないが、郵便法の「郵便禁制品」に該当するのでダメ 要点2:高濃度エタ小瓶をさらに真水を満たした大容器に厳封すれば、航空危険物にも郵便禁制品にも該当しないのでOK" / Twitter (archive.md)

 特別規制A180をクリアした上で、日本郵便の約款や法令を遵守する必要があるとのことです。


国際郵便約款

 日本郵便が定める国際郵便約款の文言はウェブサイトで全文無料公開されています。やったぜ。該当するのは以下の通りです(2024年8月現在)

(11) 液体の物質を送付する場合 

ア 第一の容器は、不漏出性のものとし、1リットルを超える液体の物質を包有しないこと。 

イ 第二の包装は、不漏出性のものとすること。 

ウ 二以上の第一の容器を単一の第二の包装に入れる場合には、第一の容器は、一個ごとに包装するか又はそれらが接触しないよう離して入れること。 

エ 吸収性の材料を第一の容器と第二の包装との間に入れること。この吸収性の材料は、液体の物質の漏洩により、緩衝材又は外部の包装を変質させないよう第一の容器の内容品全体を吸収する十分な量とすること。 

オ 第一の容器又は第二の包装は、不漏出性を失うことなく、95キロパスカル(0.95バール)の内圧に耐えることができるものであること。 

カ 外装の総容量が、4リットルを超えないこと(ただし、その容量には、内容品の見本を冷却するために使用される氷又はドライアイスは含まれません。)。 

 さらに「別記2 ガラス製品その他壊れやすい物品、液体又は液化しやすい物品等を差し出す場合の特別な包装」という表には、「液体又は液化しやすい物品」について「漏出を完全に防止する容器に入れ、破損した場合に液体を吸収するよう適当な保護材を詰めた堅固な箱に入れること。箱のふたは、容易に離れないように取り付けること。」とあります。

 密閉容器の具体的な強度等を除き、特別規制A180を遵守することで自ずと国際郵便約款をクリアできそうです。



郵便禁制品

 国際郵便と内国郵便とで微妙に異なり、また国際郵便においても万国郵便条約に基づく「万国禁制品」万国郵便条約第二部第一章第十五条3)と各国が独自で定めたもの(日本では郵便法第十二条とがあるようです。

 日本独自の国際郵便禁制品について条文や附則上には具体的な記述を確認できないものの、日本郵便のウェブサイトにはそれらしいページがありました。

 また、これは万国禁制品を含めた包括的なもののようですが、引火性液体カテゴリの具体的な条件も載っていました(2024年8月現在)

3) 引火性液体

(1) 密閉容器テストの場合は摂氏60度(華氏140度)以下、開放容器テストの場合は摂氏65.6度(華氏150度)以下で引火性蒸気を発生させる液体、液体混合物、又は溶液若しくは懸濁液の形で固体を含む液体(例えば、塗料、ワニス、ラッカー等が含まれる。ただし、その危険の性質により別に分類される物質は含まない。)。上記の温度は、一般に引火点と呼ばれる。

(2) (1)に掲げる液体のうち、引火点が摂氏35度(華氏95度)を超えるものは、以下に該当する場合には、引火性液体とみなす必要はない。

  3の物質の可燃性を試験する方法を用いても、燃焼しない場合

  ISO2592に基づく燃焼点が摂氏100度(華氏212度)を超える場合

  水の含有量が重量で90パーセントを超える混和性溶液の場合

(3) それぞれの引火点又は引火点を超える温度で運送される液体は、すべて引火性液体とみなす。

(4) 液体の状態で、高い温度で運送され、最高の運送温度(その物質が運送中にさらされると思われる最高温度)又はこれを下回る温度で引火性蒸気を発生させる物質は、また、引火性液体とみなす。

(5) [例]ベンゼン、ガソリン、アルコール、引火性溶剤及び合成洗浄剤、引火性塗料、引火性ワニス、剥離剤、シンナー

 エタノールの引火点は 4wt% でやっと 62℃ 程度とされており、高濃度アルコール液浸標本においては到底「引火点 60℃」を越える状態は実現できません。

 ただ、これは引火性液体全般の規定で、アルコール飲料としては24度(=24vol%=19.61wt%)を下回ることで許される仕組みになっているようです。度数の基準をクリアした国際郵便には「Not Restricted, as per Special Provision A58」、引火点と度数の両方をクリアした場合は「Not Restricted」と表書きしておくと、手続きがスムーズとのことです。この A58 も国際航空運送協会特別規定のようですが、液浸標本に適用する場面はなさそうです。



消防法

 エタノールは1価アルコール類なので、消防法第二条七項表1における「危険物第4類引火性液体アルコール類」に該当します。

 このカテゴリは貯蔵において「指定数量」を超えると諸々の規制対象となりますが、運搬においては指定数量に関係なく遵守されるべき梱包基準があるようです。

 それに照らせば、以下の通りになるようです。

  • 内装:高濃度アルコール液浸標本に用いられる瓶(第一の密閉容器)はたいていガラスプラスチックなので、5L までは問題なさそうです。
  • 外装プラスチックが定められているため、例えば紙袋や段ボールは規定外ということになります。「特別規制A180・国際郵便約款・郵便法・消防法準拠の梱包方法」でいえば、瓶を「第二の密閉容器」に格納する際にプラスチックを選定するのが、この規定への対応ということになりそうです。



梱包の一例

 このたび海外へ液浸標本を発送することになり、受け取り側の研究者へ改めて問い合わせて詳細な指示をもらいましたが(2024年4月)、概ね以下のような方法でした(適宜省略・改変しています)

  1. ラベリングした小瓶にエタノールとともに標本を入れる。
  2. 小瓶を適当な吸収材に包み、密閉できる容器に格納する。
  3. 密閉容器を、内容物のメモとともに外箱へ入れる。
  4. 内容物のメモの複写を外装へ貼り付けたうえで、「科学研究のための保存処理済生物遺骸標本」と表書きする。


瓶をユ●パックに入れたうえで、キ〇タオルに包んだ例。
摺切容量 37.5mL の No.4 規格瓶(第一の密閉容器)は、8分目が 30mL になるので、
液体は 5分目まで入れています。
「第二の密閉容器」はダ■ソーのパッキン付きプラスチック製弁当箱です。

 

図にするとこんな感じですね

 船便でのエタノール輸送が OK だった時代、このような構造にして米国へ液浸標本を送ったことがあります。無事届きました。



国際郵便事情'24:非1価アルコールは送れるか?

 ところが…

 最寄りの郵便局へ国際小包を持ち込んだところ(2024年8月)、以下のような理由で謝絶となりました。

  • 高濃度エタノールを真水に厳密して一つにしたとて、これがアルコール24vol% 以下であることを SDS(安全データシート)などの書面で証明できないといけない(確かにそれはそう)
  • アルコール飲料でない場合、引火点が 60℃ を上回る等、郵便禁制品の規定に引っ掛からないことを書面で証明せねばならない。
  • グリセリン類は全てダメ。
  • プロピレングリコールは専門部署がSDSを個別審査する必要あり。

※グリセリンおよびプロピレングリコールの液浸標本の特徴についてはこちら


 先のブログにもありましたが、液浸標本というマニアックなジャンルにおいて日本郵便から統一見解が示されることはまず期待できないため、窓口から得られるのは個々の解釈に依る非統一見解といえます。郵便局あるいはスタッフによっては、より厳格、あるいは緩い結論が出される可能性があります。マニアックである以上、甘受せざるを得ないでしょう。

 また、IATA航空危険物や特別規定が郵便局に参照されているとはいえ、原則論として両者は異なる指揮系統にあるはずで、IATA の基準がそのまま郵便局に適用できないという点は改めて意識すべきかもしれません。

 それはそうと、国際郵便の伝票は 2024年3月1日からウェブ作成に一元化されてましたね。国際郵便約款も、直近では 2024年5月5日に改正されています。過去の実績や問い合わせ内容が通用すると思っていましたが、状況は刻一刻と変化していると考えたほうがよさそうです。



(私見)プロピレングリコールのどこがダメ?

 国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号に記載がないので航空危険物ではなく、また引火点が 98℃ 周辺という点で万国共通の郵便禁制品の基準もクリアしています。よって、通常は申告対象とは考えないと思います。

 メーカや用途が異なるプロピレングリコールの SDS を比較すると、有効数字が違うほか、濃度が 95% 以上だったり 100% 以下だったりというブレがあるようです。これにより引火点が変動すると思われますが、そもそも 99% 以上の濃度において引火点が既に 100℃ 付近にあるため、濃度が下がるにつれ更に 60℃ から遠のいていき、ボーダーを争う展開にはなりえません。よって、SDS は引火性の判断に使われないと考えられます。

 ならば、引火性より税関関係、例えば輸出貿易管理令のいわゆる「キャッチオール規制」などに関係しているのかもしれません。「審査基準は非公開」と言われたので猶更意味深です。標本のやりとりは「贈物」扱いなので輸出入という考えはありませんでしたが。

 AGCのウェブサイトでは、プロピレングリコールの製品規格に「飼料添加物」「医薬部外品原料規格」「一般工業用」「食品添加物」「日本薬局方」の5区分があり、それぞれ内容が異なります。特に食添グレードの場合は消費税に軽減税率が適用されるわけですが、こういった法律上の差が輸出に関わりそうな雰囲気を感じます。ダウ・ケミカルのウェブサイトでも、「USP/EP」「Industrial Grade」などのグレードごとに SDS が掲載されており、やはり内容は微妙に異なります。こういった位置づけの違いが、審査の対象となっているのでしょうか。



(私見)グリセリンのどこがダメ?

 引火点はプロピレングリコールより更に高い 176℃ 周辺なので、こちらもホームページの記載などから申告の必要性を読み取ることはできません。

 グリセリンの製法には植物のほか動物原料を使用する場合もあるようで、動物由来の加工品への輸出規制絡みでしょうか。まぁそれを言ってしまうと、標本そのものが動物じゃないかという話にはなってきますが。あるいは、窓口担当の物言いにはニトログリセリンとグリセリンを一緒にしている雰囲気があったので、そのへんとも関係があるのでしょうか。



プロピレングリコールを送ってみる

 プロピレングリコールに賭けるしかなさそうなので、SDSをゲットすることにします。

 ネット上をざっと探しただけで、10件以上ヒットしました。しかし、実際に標本作製に使用しているメーカのものは見つかりません。手当たり次第にダウンロードした SDS に紐づいている商品をネットショッピングで購入できるか調べたところ、唯一、前述の旭硝子製食添グレードがヒットしました。一般向けネットショッピングで購入でき、かつ企業のウェブサイトから自由に SDS をダウンロードできるのは、調べた限りではこれだけのようです。

 結局、既に購入して使っていたプロピレングリコールのメーカに個別に問い合わせて送ってもらいました。ありがとう。よく見たら MSDS だけど(SDSは2012年から導入された名称)


 1週間後…。

 再度窓口に持ち込んでみると、やはり中身に関する質問は概ねウェブサイトの項目に基づいていて、プロピレングリコールが審査対象になるとは到底思えません。そのまま受領・会計の流れになったのでストップをかけて、MSDS を出しました。

 「公式サイトを読んでも、窓口で聞かれたことに答えても、審査対象と気づけないのは大丈夫なのか」「このままチェックをすり抜けて送付された場合どうなるのか」と窓口担当に聞いてみましたが「局の職員は化学物質の素人なので万全なチェックは不可能(それはそう)」「専門部署において何らかの理由で荷物が差し戻しになっても運賃が返ってこないので、自主的に申告すべき(それでも払い戻されるとは限らない)と言われました。要するに「自分で瓶詰めする(製品まるごとでない)ものを送る場合、何らかの疑義がある前提で自主的に相談すべき」ということでしょう。ここまで教えてもらえただけで、次からだいぶ違う気がします。


 5日後…。

 どうやら無事に届いたようです。

 こんな感じのスケジュールでしたね。これに関してはケースバイケースにも程がありますが、備忘録として。

  • 1日目:地元郵便局受付
  • 2日目:中継局を経由
  • 3日目:国際交換局受付・同発送
  • 4日目:相手国の国際交換局到着・税関へ提示
  • 6日目:配達開始・完了

 ちなみに…荷物に添付したプロピレングリコールの MSDS は、SDS への移行が行われておらず、しかも記載の住所は公式サイトやラベルと異なっている古いものでした。適切な更新が行われていないので、見る人が見れば NG でしょう。ただ、大手でないメーカは SDS を更新する体力がなかったりするのか、10年以上前の MSDS を現役で運用しているところは時々見かけます。郵便局が見ているポイントはそこではなかった、ということでしょう。



国際郵便以外の手段

 国際郵便がうまくいかなくとも、どうやら民間の輸送会社という選択肢があるようです(以下、2024年8月現在)。各社のウェブサイトを覗いてみましたが、約款が公開されてるわけではなかったりして、完全に個別問い合わせとなりそうです。

  • DHL Express:危険物に対応したサービスがあるという噂を聞きましたが、サイトの記述からは分かりませんでした。問い合わせる価値はあるでしょう。
  • FedEx:会社そのものより、個人的にはトム・ハンクス主演の某映画の印象が強いですね。リチウム電池や医療物流を強みとしているようで、危険物に対応可能な雰囲気がありますが、サイトからは読み取れませんでした。
  • ポチロジ:追加料金を支払うことで「航空危険物」を受け付けてくれるらしいです。高濃度アルコール液浸標本が該当するかは不明。

 なお、ヤマト運輸の国際宅急便は「酒類」が軒並み謝絶とのことで、高濃度アルコール液浸標本に希望はなさそうです。グリセリンやプロピレングリコールは分かりません。佐川急便の飛脚国際宅配便は「引火性の物」を取り扱いできないとのことですが、引火点をクリアすれば希望があるような雰囲気はあります。また、日本通運にドアツードア国際輸送サービスという個人向けメニューがあるようですが、危険物に関する記述は見当たりませんでした。

 これらとは別に、フォワーダーという業種の業者によって、目的に合わせて様々な輸送手段を合理的に組み合わせた輸送システムを提案・管理してもらうことができるようです。ただ、定期的に送る場合でないと選択しづらそうです。


その他、危険物輸送に関する国際的な取り決め

 国立国会図書館のリサーチ・ナビに、極めてよくまとまったページがありました。利用者 ID なしでアクセス可能です。ただし、専門機関の実務的な書類が主体となっており、そのほとんどは英語なため、正しく理解するには高度な専門知識が必要です。

 また、危険物輸送に関する根源的な部分や GHS(Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)など隣接したルールとの関係性を理解するには、独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所のページもあわせて読むとよいと思います。こちらは国連の実務書類のほか、国内の法令についてもリンクが貼られていて便利です。



国内への送付

 国内の航空輸送関係では航空法施行規則第194条というものが該当するようで、ICAO(国際民間航空機関)の規定に準じて国交省が定めるもののようです国交省資料。引火性液体に関しては「引火点60℃以下」とあり、このへんも国際郵便の基準と同様のようです。

 なお、ゆうパックは「5L 以下・70vol% 以下のアルコール飲料」について航空便での送付が可能となっています。ただし、飲用に供されないものは恐らく内国郵便版郵便禁制品(これも郵便法第十二条?)「アルコール類を六○パーセント以上含有するその他の製品」が適用となり、保存液のアルコール濃度を 59vol% まで落とさなければ、プランや経路に関わらず送付できないことになります(2024年8月現在)


ゆうパックで送れる液浸標本とは

 ならば開き直って、KDM先生が挙げていたように高濃度アルコール標本を「59vol%エタノール水溶液に入った状態」で送付する方法を考えてみます。

 シンプルに、59vol% のエタノール水溶液を調整し、一旦バッファとなるシャーレなんかに浸して濃度を安定させてから瓶に移していく、といった方法が考えられます。ただし、この方法に穴があるとすれば、肝心の59vol% を書面で証明できないことです。

 であれば、59vol% を下回る出来合いの消毒液を購入して、それに浸漬するのがよいでしょう。こういった低濃度のアルコール製剤は酒税法の関係で往々にして IPA(イソプロピルアルコール)などが添加されていますが、むしろ標本を引き締める効果があり、経験上、形態保存に問題はないと認識しています。ただし、添加物によっては形態保存に極めて有害な場合があるため、特にクエン酸や乳酸といったpHを下げる成分の割合や、ジェルタイプかどうかなどは、必ず事前に確認してください。

 濃度だけでいえば以下のような商品が該当しますが、必ずしも性能を確認しておらず、また SDS の整備状況も検証していません。

  • ニイタカ ビーバーアルコールCS(46.30%*)
  • サラヤ アルペットNV(約58vol%)
  • セッツ ユービコールノロV(57vol%)
  • シーバイエス アルコール除菌剤EX(40~50%*)
  • シーバイエス 除菌用アルコールプロ(58vol%)
  • TOAMIT エタノス除菌スプレー(55~58vol%)

 ※( )内はエタノール濃度;*は重量濃度か体積濃度か不明

 アルコール液浸標本は脱水された遺伝物質分解酵素が働かなくなっているだけで、水分が戻れば復活し再び遺伝物質の分解が始まるようです。よって、アルコール濃度を下げる方法は形態観察において検討の余地はあっても、遺伝子解析を目的としたサンプルには危険と思います。


 ちなみに、日本郵便が定める内国郵便約款(2024年8月現在)には、アルコールについて具体的な文言はありません。引火性液体が該当しそうな文言には以下のものがあります。

(郵便物として差し出すことができない物等) 

第6条 次に掲げる物は、これを郵便物として差し出すことができません。 

 (1) 爆発性、発火性その他の危険性のある物で総務大臣が指定するもの 

 (2) 毒薬、劇薬、毒物及び劇物(官公署、医師、歯科医師、獣医師、薬剤師又は毒劇物営業者が差し出すものを除きます。) 

 (3) 生きた病原体及び生きた病原体を含有し、又は生きた病原体が付着していると認められる物(官公署、細菌検査所、医師又は獣医師が差し出すものを除きます。) 

 (4) 法令に基づき移動又は頒布を禁止された物 

 (5) 人に危害を与えるおそれのある動物(学校又は試験所から差し出され、又はこれにあてるものを除きます。) 

2 その外部に郵便以外の送達役務であって当社が提供するものを表す文字が記載されている物は、その外部に郵便を表す文字が記載されている場合であっても、これを郵便物として取り扱いません。 


 液体に関する部分では、第9条(郵便物の包装)に以下の記述があります。

液体、液化しやすい物、臭気を発する物及び腐敗しやすい物 
びん、缶その他の適当な容器に入れ、これを内容品が漏出しないよう密封した上、外部の圧力に耐える堅固な箱(容器が外部の圧力に耐える場合には、封筒その他の物を含みます。以下この欄において同じとします。)に納め、箱には、万一容器が破損しても完全に内容品の漏出を防ぐ装置をすること。

 ウェブサイト記載の禁制品を踏まえた上で、国際郵便約款や消防法のスタイルを守れば、これら約款にも十分合致しそうです。



民間運送会社の状況

 ただ、日本郵便のほか、ヤマト運輸や佐川急便など大手民間宅配会社各社いずれも、表看板では「アルコール類」には軒並み「NO」で統一しているようで、クリア条件を細かく提示しているところは見当たりません。

 公共交通機関で薬品の手持ち運搬を試み大変なことになった事件があり、その無謀さに批判が集まりました。その流れで、研究機関を念頭に置いていると思われるツイートがありました。名前のあった各社の対応状況について、個人も利用可能か各社のウェブサイトで確認してみました(断りがない限り2024年8月現在;時期はもとより地域によりサービス内容が異なる可能性があります)

  • 第一貨物:個人から依頼できそうな記述なし。
  • 赤帽:チャーター便でアルコール輸送可能。個人でも営業所持ち込みなら対応可(※2022年2月に個別問い合わせ)
  • センコー:個人から発送できそうな記述なし。

 なお、上記「危険物」に具体的な定義はないようですが、郵便関係の法令や消防法第二条七項表1に準ずるものと推察されます。その場合、いわずもがな高濃度アルコール液浸標本が該当します。ホルマリン液浸標本もまた、許される道理はないでしょう。


 赤帽にチャーター便の見積をとった時は、自分でレンタカーを借りて運転していくか本気で悩むレベルの金額であり(実際チャーターはそういうことなので)、個人で少量の場合は選択しにくいです。

 前述の通り東北新幹線硫酸・硝酸火傷事件は重く受け止めねばならず、「業者がダメなら公共交通機関で手持ち」というのは厳に慎むべきです。しかし「液浸標本の輸送は日本全国津々浦々に自分で車を運転して持っていくのが最適解」というのも、現実味が薄すぎます。


非1価アルコールはどうか?

 国内便において消防法の危険物カテゴリに関わる制約を回避するには「プロピレングリコール液浸標本」「グリセリン浸漬標本」が有効である可能性があります。

 グリセリンは国際郵便で NG が出ているものの、3価のアルコールであるため消防法の危険物第4類引火性液体アルコール類には該当しません。プロピレングリコールも2価のアルコールなので同様です。ただ、運送会社が消防法とは別に「アルコール類」として網掛けをしている場合は、引っ掛かることになるでしょう。内国郵便も含め個別問い合わせはしていないため、追加の検証が必要です。

 危険物カテゴリに入る可能性がない固定液があればよいのですが。



非引火性液体の検討:BAC

 2021年のベントスプランクトン学会でこんな一言がありました。

「塩化ベンザルコニウム(以下、BAC)をDNA保存液として利用」(菅原  2021)

   嘘やん。

 どこのご家庭にもある BAC。なんとなく保存液として検討したことはありました。しかし、軽くググったところ遺伝子を損傷する可能性があるっぽかったので、候補から除外したのです(アズレンスルホン酸Naについても同様)



 確認してみると、Yamanaka et al. (2017) において「BAC最終濃度0.01%で遺伝物質の92%を10日以上常温保存できる」と報告されているようです。また、改めて遺伝子への影響を調べてみると、Deutschle et al. (2006) という文献がヒットしました。

  そうそう、これこれ。

  メタンスルホン酸メチルをポジティブコントロールにしていますが、生物学分野で組織保存に使われている話は聞かないですね。組織保存能をもつ試薬と比べたというより、DNA への影響が大きい化学物質の代表でしょうか。この実験は、環境DNA 保存に用いられる濃度(0.01%)を含む様々なBAC 濃度下での生きた細胞の挙動をモニターしているため、死んだ組織を浸潤している液浸標本に起きる現象をうまく表していない可能性がありますね。

  また、BAC を DNA 保存用に使うのは環境DNA 研究に用いる「DNAを含んだ水なり何なりのサンプル」であって、Yamanaka et al. (2017) でも生物の全身標本での実績が紹介されていたわけではありません。そしてどうやら、BACの目的は「環境中に生息する微生物によるDNA分解を防ぐための静菌作用」のようで、遺伝子の主の生物がもっている分解酵素を失活させるという従来の固定液(エタノールやホルマリン)とはだいぶアプローチが異なります。また、輸送日数+保存液への置換作業を完了するまでの日数が 10日を大幅に越える場合、どこまで信用できるか分かりません。

 ならばせめて、形態の保存はできてほしい。


BAC仮液浸標本の試作

 高濃度アルコール液浸標本やプロピレングリコール液浸標本から、BAC仮液浸標本を作製し、輸送の後に元へ戻した時、形態観察に耐えるかを確認したいと思います。

  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 無水エタノールへ移行し、室温で 24時間放置する。
  3. 市販の逆性せっけん液の原液(BAC 濃度 10w/v%)と、汲置水道水を添加し BAC濃度がだいたい 1,0.1,0.01% になるよう調整した水溶液とを用意する(水溶液はキッチン用品レベルの精度にて容積ベースで希釈していますが、原液の比重はほぼ1.0らしいので、検証の目的は果たせていると判断しています)
  4. 3で調整した水溶液を別々の瓶に分取し、1,2の標本を浸漬する。
  5. 4を室温で10日間放置する。

 どの濃度の溶液へ入れても、エタノール置換標本は最初に浮き上がり、じきに沈みます。

 なお、”室温”は真夏の気温30~35℃、雰囲気湿度は65~70%RHでやってますので、輸送中の環境みたいな点は十分だと思います。


色は気にしないでください。
触角の欠損は固定時のもので、BAC浸漬によるものではありません。

 最も出来が良いと思ったのは「プロピレングリコールから無水エタノールに置換した上で BAC濃度 0.01% に浸漬した標本」でした。とはいえ、他の濃度でも付属肢の欠損など致命的な問題は全くありませんでした。

 直前の固定液がプロピレングリコールであろうと無水エタノールであろうと、原液(BAC 10%)に浸漬した標本は収縮がみられました。また、中間濃度の標本は表面に顆粒のようなものが生じるように思われます。各パーツの柔軟性には大した違いはないように思われましたが、強いて言えば、0.01% はちょっと軟弱な感じがしました。

 これだけ刻めばどこかに良い塩梅のポイントが出てくるかと思いましたが、もしかすると 0.05% くらいがベストかもしれません。


 個別に問い合わせはしていませんが、BACに対して国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 今回使用したものではありませんが、BAC 10% 製剤の大手商品はネットに SDS が転がっていますので、郵便局から要請があっても対応しやすいと思います。

 


非引火性液体の検討:油

 生物体の保存という観点で、乾燥以外には何があるかと考えると、水溶液とは違うアプローチとして油浸が挙げられます(ハブ酒や干物がダメならオイルサーディン、みたいな非常に乱暴な話をしています)

 非引火性を目指しつつ油に戻っていくのはやや迷走の感が否めませんが、消防法別表第一において規定される発火点や引火点を越える品目、つまり「引火性液体に該当しない油」は多く、そういったものを選べばある意味安全といえるのではないでしょうか。

 一般人による入手や扱いが比較的容易で、引火性液体に該当しないものを挙げてみます。

  • オリーブ油引火点は300℃以上らしいです。
  • ナタネ油:引火点は300℃以上らしいです。
  • ゴマ油:引火点は280℃以上らしいですが、匂いがキツい気がします。

 ヒマワリ油やアマニ油は引火点がプロピレングリコール並みで、またホホバ油やヒマシ油はそれを上回りグリセリンより高い引火点を持ちますが、消防法別表第一備考十七で「一気圧において引火点が二五〇度未満」と定義される「動植物油類」に該当します。よって、これらの油は引火性液体ということで、候補から除外します。


オリーブオイル油浸標本の試作

 とりあえず、どこのご家庭にもあるオリーブオイルで検証してみます。
  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 食用のスペイン産オリーブオイルに浸漬し、室温で10日間放置する。
  3. 標本をオリーブオイルから引き揚げ、グリセリンと無水エタノールとを往復させて油滴を振り落とす。

 ”室温”は真夏の(以下略)

 プロピレングリコールとそれほど親和性が高くないようで、サンプル表面に滴がまとわりつきます。今回はよく振って剥がします。


暗いのは気にしないでください。

 オリーブオイルがかなり標本にまとわりつきますが、上記手順により結構簡単に落ちます。たった1往復ですが、複雑な構造の胸節下部や腹側板,腹肢への残留はありません。また、簡単に無水エタノールへ置換できることもわかりました。

 気を付けたいのは、体サイズが小さいあるいは剛毛の多い場合の油滴の挙動と、温度が下がると凝結し標本に影響を与える可能性です。

 個別に問い合わせはしていませんが、オリーブ油に対して国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 オリーブ油は食品として流通しているほか、「オリブ油」という名称で日本薬局方に記載されていて、複数の製薬会社が製品化しています。ただ、例のごとくネットに SDS が転がっているものと、商品がネットで買えるものとは、一致しませんでした。SDS ではないものの、健栄製薬はウェブサイトにラベルの PDF を載せています。検証はしていませんが、これでも書面の証明になる気がしています。



補遺:「標本」としての制限

 2024年12月、国内便にて「梱包済瓶詰生物標本(ヨコエビ)」という表書のゆうパックを送ろうとしたところ、拒否されました。ここ数ヶ月、前述の通りの液体および梱包を守った状態にこの表書を付けて問題なかったので、まさに青天の霹靂といったところ。先方の言い分はこんな感じです。

  • 乾燥標本以外は作成過程でアルコールを使うことがあり、1度でも「アルコール」が使われた標本は航空便でも陸路でも輸送できないので、乾燥標本以外の標本は受付不可能
  • 乾燥標本は航空便はNGだが陸路なら輸送可能
  • 「アルコール」の定義は教えられない
  • ゆうパックの条件(自由液体におけるアルコール濃度59vol%以下)をどのように逸脱しているかは教えられない
  • 標本に対する規制は社内のみで共有されるもので、社外へ開示されることはなく、荷物を持ち込む前の事前の問い合わせ窓口も教えられない


 改めてゆうパックのサイトを確認したところこのような記述が。

(一) 引火点摂氏三○度以下のもの

(ニ) 前号以外のもので次に掲げるもの

2. アルコール類(メタノール、ブタノール及び変性アルコールを含む。)及びこれを六○パーセント以上含有する香粧品、酒類その他の製品

 「引火点摂氏三○度以下のもの」というのは3か月前に拾えていませんでした。サイトの階層によって情報量が違うようなので、前回はどうやらいきなり細かいところを開いてしまい、大枠のこれに気づかなかったようです。引火点摂氏30℃のエタノール水溶液は概ね25vol%以下に該当するようなので、高濃度エタノール標本の輸送にはまず向きません。

 ただどのみち総体としての濃度や漏出リスクに興味はなく、窓口はただ「アルコール」に触れた履歴があるかどうかに拘っている様子。航空危険物としての規制か、そもそもこの荷物が「アルコールに触れたのか」の判断も不可能です。アルコールの定義が示されないので。

 液体の中に標本を入れていることは説明していますが、仮に液体へアルコールが移行するという前提ならその濃度を担保できない(アルコール固定後の標本を入れた状態の保存液のSDSがない等)ことを理由にNGを出せばいいだけで、液体へ移行せず濃度が維持される前提なら論点は標本そのものになるので自由液体への規制は適用されないことになります。

 これまで輸送できたのは陸路限定の宛先だったので、今回は航空便の選択肢がある宛先だったのも警戒心を煽ったのかもしれませんが、前述の通り経路に関わらず受付できないという話なので、標本カテゴリとして扱いが変更されたとしか考えられません。口振りからすると危険物カテゴリとも関係はないようで、とにかく「標本」という表書そのものに反応するようです。

(更新:2024年12月23日)



 液体の排除

 そもそも「液体を送る」行為そのものが相当なハードルになっている感があります。魚類などでは固定液から引き揚げた湿潤状態で布に包み、それをビニールなどで密閉して「液体でない」状態とする方法が既に確立されているようですが、小型甲殻類の場合は余計な繊維が付着したり擦れたりして観察の障害になりそうな気がします。

 この方向でいけば、アルコールと親和性があり水に溶けやすい物質でコーティングすればよさそうです。ただ、こちらで検証したようなゼラチンは熱で標本を痛めますし、水飴は乾燥に時間がかかりすぎてコーティング剤に不向きと思います。


ポリビニルアルコール封入標本の試作

 ぼんやりと「ポリビニルアルコール」を考えていた頃、奇しくも「プロピレングリコール」を「ポリビニルアルコール」と誤記している論文が出版されました (Arai et al. 2022)


やってみるっきゃないか。

 恐らく日本で一番有名な「ノリ」の一つでしょう。ラベルとHP「主成分 PVAL(ポリビニルアルコール)」とあります。琥珀色をしています。


 とりあえず、以下の方法でやってみますか。

  1. 食添グレードの 99%+プロピレングリコールに約3年間浸漬し、常温保管していた フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を使用。※採集後、保冷して持ち帰り、7時間 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した後、固定したもの。
  2. 無水エタノールへ移行し、室温で 24時間放置する。
  3. 水切放スライドガラス上に PVAL製品を適量塗布し、12時間程度乾燥させて膜を形成する。
  4. 水切放スライドガラス上に新たに PVAL製品を塗布し、エタノールから引き揚げた標本を包埋して馴染ませる。包埋された標本が表面へ浮いてくるので、3で作っておいたPVALの膜を被せて空気に暴露しないようにする。
  5. 室温で 24時間程度乾燥させる。
  6. 保管終了後は、水に浸漬し、1時間程度溶解させる。固定液に入れる前に、モヤのように残る PVAL は水で洗い流す。


 ”室温”は真夏の(以下略)

 3日程度放置しましたが、24時間経過品とあまり見た目は変わりません。

 Φ5 のガラス製シャーレに注いだ湯冷ましに浸漬しすると、室温条件では 30分くらいで溶解されてきます。

【無水エタノール置換後に包埋】
おわかりいただけただろうか…?

 矢印に示した通り、胸脚前節の欠損が散見されます。構造上脆弱なのか、あるいは乾燥・収縮の過程で外縁部に近い部位は引きちぎられやすかったりするのか。高濃度アルコール液浸標本が起点となる場面を想定し無水エタノール置換という工程を挟んだので、固定液の保湿性がなく、PVAL中で標本が乾燥状態となり破損したのかもしれません。

 試しにプロピレングリコールのまま包埋してみましょう。



 肢 1,2 本だけですが、今回はむしろ空気が入りました。固定液というよりは手技の問題みたいです。ただ、付属肢の欠損は全くみられません。やはり、脱水するよりプロピレングリコール漬け状態から包埋したほうがよさそうです。


 なお、サンプルを水に1回浸しただけの状態で無水エタノールへ浸漬すると、残留した PVAL が白く析出します。エタノールには一切溶解しないんですね。エタノール標本に戻す前には、PVAL 成分をしっかり洗い流す必要があります。

 ちなみに、同じく PVAL を主成分とする洗濯糊も同じ条件でやってみましたが、粘度が低いため包埋する時に扱いにくく、また水へ浸漬した時に成分が拡散せず標本がずっとゲルの中に留まっている感じでした。布に染みこんで留まる性質を考えると納得です。こちらは絶対に使ってはいけません。


 個別に問い合わせはしていませんが、PVAL も国連危険物輸送モデル規則第3.2章に基づく国連番号は振られておらず、かつ国際郵便および内国郵便においてもこれといった規制を受けないようです。

 某ノリの SDS は作成されているはずですが、ウェブサイトからダウンロードできる状態ではなさそうでした。

 


 結論

 日本郵便を使う限り、国内外ともに「高濃度アルコール液浸標本を瓶入りでそのまま送付する」のは不可能で、以下のような方法しかなさそうです。

  • 遺伝子解析:①プロピレングリコール液浸標本とする;②液体から引き揚げ、自由液体のない状態で送る.
  • 形態観察:①プロピレングリコール液浸標本とする;②BAC 0.01% 仮液浸標本とする;③オリーブオイル油浸標本とする;④(内国郵便であれば)<59vol%エタノール水溶液の仮液浸標本とする

 何やらプロピレングリコール業者の回し者みたいになってきましたが、そんなことはないですからね。今のところ、目的に応じて柔軟に標本の形態を変えるのが、法規制のリスクをとらずに標本を守る方法と思われます。ただし、これまでの話はあくまで日本の国際郵便禁制品と、万国郵便条約に基づく「万国禁制品」を基礎としています。相手国の規定により更に選択肢が狭まる可能性があります。日本郵便のウェブサイトでは国名で検索することができます。

 形態を見ず遺伝子だけというのであれば、酵素の失活状態を維持するために乾燥標本にしてしまってもよいかもしれません。ただ、乾燥標本には虫害・カビ害のリスクがあるほか、長期保管によってDNAが破損するリスクが高まるため、微妙なところです。


 民間の輸送手段は多様すぎて、検証が追いつきませんでした。ただ、特別規定A180に準じた方法であれば、日本郵便の約款等に縛られず海外へ送付できる可能性があります。

 ただし、遺伝子解析を目的とした標本の移動は ABS(Access and Benefit-Sharing;自動車についてるアレではない)指針に基づく別の規制を受けることがあります。日本産標本の場合はだいぶ緩いので、採集禁止区域で採った個体や保護種を送るといったよほど無神経なことをしなければ問題は起きにくいかもしれません。他の国では ABS の手続きに瑕疵がある状態で採集・持ち出しした標本を使うと、論文が出版されなかったり撤回されたりと、学問の営みに大きな影響を与える可能性があります。各国の状況を事前に調べる必要があるでしょう。


 個人間の国内輸送においては民間が「とりあえずお断り」に走っている雰囲気があり、クリアは厳しそうです。むしろ日本郵便に託したほうが確実かもしれません。



参考文献

Arai T.; Ohno Y.; Tomikawa K. 2022. A new species of the genus Podocerus from the Seto Inland Sea, Japan (Crustacea, Amphipoda, Podoceridae). ZooKeys, 1128: 99-109. 

Deutschle, T.; Porkert, U.; Reiter, R.; Keck, T.; Riechelmann, H. 2006. In vitro genotoxicity and cytotoxicity of benzalkonium chloride. Toxicol In Vitro, 20(8): 1472–1477.

小原ヨシツグ 2016. 第6話 標本! In:『ガタガール①』. 講談社, 東京. 174p.

— 菅原 巧太朗 2021. 自由集会:環境DNAを用いたベントス研究の現状~実際、どの程度使えるものなのか?~. イシガイ科二枚貝タテボシガイのDNA 放出特性及び富栄養化湖沼八郎湖における環境DNA の検出. 2021 年 日本ベントス学会・日本プランクトン学会合同大会講演要旨集

Yamanaka H.; Minamoto T.; Matsuura J.; Sakurai S.; Tsuji S.; Motozawa H.; Hongo M.; Sogo Y.; Kakimi N.; Teramura I.; Sugita M.; Baba M.; Kondo A. 2017. A simple method for preserving environmental DNA in water  samples at ambient temperature by addition of cationic surfactant. Limnology, 18:233–241.


-----

改廃履歴

  • 2024.12.23 「補遺:「標本」としての制限」を追加。
  • 同日 内国郵便禁制品の「引火点摂氏30℃以下」に準拠しない記述に打ち消し線を追加。




2023年12月11日月曜日

バルサムとユーパラルとホイヤーと(12月度活動報告)


 ヨコエビの形態分類に供する標本は、ほとんどの場合、液浸標本とした後にスライドグラスへ封入して観察する必要があります。 

 過去にはこのようにあるいはこのように、プレパラートに封入する手順をご案内しました。では、何に封入すればよいのでしょうか?



グリセリン Glycerin

 付属肢を本体から取り外した後、グリセリンに仮封入するとスケッチがはかどります。解剖からスムーズに移行でき、圧倒的に透明度が高く視界がクリアだからです。当然ながら流動的なので、持ち運んだり長期保管したりできません。1年もすれば空気が入って、じきに乾いてペカペカになります。あと、どこからともなくケナガコナダニがやってきます。
 流動的なプレパラートは、例えば折れる寸前まで尖らせた極細のタングステンニードルを横から差し込んだりすれば、カバーガラスの下の付属肢の向きを変えられます。よって、スケッチを行うときはグリセリンプレパラートが最良です。
 解剖をグリセリンアルコール中で行う場合、封入時にグリセリンを使うと馴染みやすいという利点もあります。目的を果たしたら、適当なタイミングでしっかりした封入剤に移し替えます。
  グリセリンは流動的といいましたが、他の「永久」プレパラート封入剤の硬化前の粘度と比較してもだいぶ緩いので、カバーガラスをかける時にパーツを定位置に留まらせるのは大変難しく、よく踊ります。次に挙げる「ホイヤー液」をグリセリンに添加するとアラビアゴムのおかげで粘度が上がりますが、無水エタノールとの相性が悪くなるため注意が必要です。



ホイヤー液 Hoyer

(ガムクロラール Gum-chloral)
 グリセリンベースの半永久プレパラート封入剤で、ホイヤー液というのは数あるガムクロラール系レシピの最古参とのことです。ヨコエビのプレパラート作成において王道の手法で(石丸1985;富川・森野2009)、近年の論文のマテメソを読んでもそれをうかがうことができます。
 どうやらガムクロラール系というのは本来自作するものらしく、目的によってアレンジを重ねたりするものらしいのですが、「ホイヤー液」は出来合いのものを買うことができます。
 液体は黄色を帯びています。液の成分上、グリセリン解剖・仮封入してからの移行が容易です。無水アルコールには馴染みません。硬化にはわりと時間がかかり、一週間やそこらではまだねばつきます。硬化したホイヤー液はグリセリンを触れさせると容易に緩みます。お湯でも軟化が可能なようです。
 ホイヤー液を用いたプレパラートの寿命はなんとものの数年(!?)と言われており、実際のところは数十年は維持できるとの話も聞きますが、寿命を迎えるとひび割れてくるらしいです。このまま使い続けてよいものか…



カナダバルサム Canada balsam

 既知の封入剤ではトップクラスの耐久性を誇り、これに敵うものは無いとも囁かれます。何にせよ歴史の長さがありますので、新参者が土俵に乗れない側面はあるでしょう。
 バルサムモミ Abies balsamea という針葉樹の樹液を、キシレンやトルエンに溶解させて使用するレジン系封入剤です。強い粘性のある黄色の液体です。いわば琥珀に封じ込めるような感じでしょうか。ただ、硬化の過程でトルエンがアウトガスとなるため、条件によってはヒビ割れが生じるようです。
 バルサムを使ったプレパラートの寿命は私の寿命を遥かに上回っており、今さら自分でプレパラートをこさえて検証する術はありません。しかし、バルサムの屈折率はヨコエビの外骨格と非常に近く、普通の生物顕微鏡の透過光では、見えづらく感じます。また、水と馴染まないため、封入前には無水エタノールに浸けて充分に脱水する必要があります(この工程をミスると白濁します)。
 価格:25g(溶解前の結晶)で1,600円程度。



ユーパラル(ユパラル)Euparal


 ケミカルな香りが立ち上る、褐色を帯びた粘性のある液体。その実体はバルサムと同じレジン系封入剤で、Callitris quadrivalvis というヒノキ科針葉樹の樹液を原料とし、溶剤などを加えて封入剤としての特性を持たせたとのことです。原料となる樹脂は接着剤等の用途で100年以上の歴史があるようです。基本的にはカナダバルサムと同等の性質と考えて良いのではないでしょうか。
 色味はホイヤー液より透明に近く、屈折率はヨコエビの外骨格とは違っているようで見にくさは感じません。ヨコエビの記載でも何例か使用事例があります(Hughes & Lörz 2019, 2023; Kodama & Kawamura 2021)。ただ、実際に使ってみると、肉厚のパーツは著しく萎縮し、皺が寄って観察しにくくなるようです。
 カナダバルサムと同様に、封入するパーツは無水エタノールで脱水する必要があります。ただし、脱水から包埋までの間にモタモタしてエタノールが飛ぶと、パーツ内に空気が入り込んでプレパラートのクオリティが極端に低下するため、そのへんも考慮しなければなりません。
  これを防ぐには、やはりグリセリン添加した無水エタノール中への浸漬が必要となります。しかし、ユーパラル中に入って一見無色の粒となったグリセリンは、透過光で観察すると気泡と同じくどす黒い影になります。完全に詰みます。 外骨格内をグリセリンで満たして水分の蒸発を防ぎつつ、外骨格表面は無水エタノールでドライに仕上げることが、ユーパラル封入成功のカギのようです。
  ユーパラルの粘つきは相当しつこいですが、アセトンできれいに落ちます。ただし、それだけ敏感にアセトンを吸収するようで、封入済プレパラートの縁を拭いたりすると一旦硬化した部分が緩んでカバーガラスがズレたりします。
 専門家の見解についてはこちらで確認できます。
 価格:50mLで5,000円程度。 



 これらをまとめるとこうなります。

  


 


 その他:有機溶媒系

 ユーパラルやオイキットは一般人には非常に敷居が高く、ネットで個人に卸してくれるようなサイトを血眼になって探していた時に、偶然見つけました。

「マウントクイック」

 何のひねりもないネーミングですね。

 成分表示を見ると「キシレン60%」とあり、何かをキシレンに溶かし込んでいる様子がうかがえます。正体を知りたかったのですが、メーカーのサイトでいくら調べてもそれらしい成分名が出てこない。問い合わせフォームに打ち込んで送信ボタンを押す寸前、「成分が分かったから何やねん」という天の声が聞こえて思いとどまりました。まあ、そういうモンがあるというだけで十分でしょう。とりあえず。

 ユーパラルよりも有機溶媒系の臭いが強いです。液の粘性というか糸を引く感じも他の封入剤とは一線を画しており、まさに接着剤といった感じ。あと、完全に無色です。ホイヤー液をはじめヨコエビ界隈の封入剤は黄色と相場が決まっていますが(?)、これは新鮮ですね。

 そして何より、固まるのが速い。速すぎる。その名に恥じぬ速さです。

 パーツをササッと1個入れる分には良いですが、ヨコエビは基本的に15対の付属肢・6個の口器部品・1個の尾節板をプレパラートにするので、合計22個の細片をシャーレからスライドガラス上に移動させることになります。後半から完全にマウントクイックの縁が固まってるのがわかります。

 ホイヤー液やユーパラルのタックフリータイムは1週間やそこらで済みませんが、マウントクイックは1日やそこらで硬化するのでそれは便利です。 

 しかし、ホイヤー液やユーパラルは圧力をかけても体積が変化しないのに対して、マウントクイックは相当柔らかく、硬化前も硬化後もそれ自体が凹んだり伸びたりします。何が起こるかというと、封入後にカバーガラスに圧力がかかった場合、そこだけがピンポイントに凹んで簡単にガラスが割れてしまうのです(ホイヤー液やユーパラルは伸縮しないので圧力は基本的にカバーガラス全体に分散されます)。速攻で硬化する性質から気泡が入りやすいのに、カバーガラスを押しながらそれを追い出すことはできません。

 というわけで、プレパラート1つあたりのパーツ点数が少ない時など、利用可能な場面が限られてくるように思われます。

 



その他:親水系

ゼラチン Gelatin

 植物生理や病理分野でスライドガラスの作成過程に「寒天」を含むメソッドがあるようです。さすがに包埋材として用いることはないようですが、とりあえずやってみますか。

 どう考えても腐るので、アズレン(アズレンスルホン酸ナトリウム水溶液)を添加することにいたします。

 顆粒状の寒天をスーパーで購入、ゼリーの要領で80~90℃くらいのお湯に溶かします。固まらないうちに付属肢を包埋してみると…

 白濁するね?

 当然といえば当然ですが、他のいかなる封入剤でも見たことのない状態になりました。透過性が非常に悪い。アドホックなプレパラートにしても使い勝手は悪そうです。


 2カ月後…


 ダメです。



水飴 Starch syrup

 屈折率が優れていて観察能が極めて高く、藻類の研究分野では常連という話も聞きますが、タイプ標本など重要な標本の長期保存にはさすがに限界がありそうです(カビ,ヒビ割れ等)。これもやってみますか。

 こちらもどう考えても腐るので、アズレンを添加します。世の中では酢酸とかイソジン(ポピドンヨード)を使うレシピが出回っているようです。酢酸はpHを下げて甲殻類の外骨格を破壊することが懸念され、またヨードは視界に影響を与えそうなので、アズレンを選択しました。

 封入直後の視界は極めて良好です。グリセリンと同じか、それ以上によく見えます。


 そして2カ月後…



 意外と良好です。

 常温常湿で放置していましたが、水飴自体はまだ粘っこい感じを保っています。これが完全に乾燥すると、ヒビ割れを招くような気がします。また、恐らく標本に麦芽糖がまとわりつくので、レジン系プレパラートへの移行には適さないものと考えられます。

 ガムクロラールのような親水性封入剤への移行ありきで、一時的な観察用プレパラートを作成するのには適している気がします。


 


 なお、こちらのサイトにはこれ以外のプレパラート封入剤の比較がいろいろ載っています。今は入手できないものもありそうですが。

 以下、使ったことは無いですが、聞いた話です。

その他:樹脂・蝋

オイキット(ユーキット)Eukitt

 キシレン溶媒系ですが、キシレンフリーやUV硬化バージョンもあるそうです。

 実に70年の歴史がありますが、主に病理分野の研究用途において長期保管用封入剤として著名なようです。自然科学系で悪い噂というのはありませんが、そもそもほとんど情報ありません。

 価格:100mLで5,000~10,000円程度。


パーマウント Permount

 日本では病理分野の研究用途で使用されているようですが、欧州の一部の博物館では自然科学系分野で主流のようです。55%もトルエンを含有するため、経時劣化に伴ってアウトガスを生じ、ヒビ割れは避けられないとのこと。真の永久プレパラートたりえないと考えられます。

 価格:100mLで22,000円。



Shandon Synthetic Mountant

 後述するカンファレンスで、米国スミソニアン国立自然史博物館が長期の耐久性を認めていた封入剤です。過去に別名で流通していた経緯があったり、呼び名は複数あるようです。現在、Paraloid B-48N, Acryloid B-48N などと呼ばれているものも同じ成分との由。日本では専ら病理分野での使用とみられます。

 メタクリル酸メチルを主成分とし、要するにアクリル樹脂のようです。トルエンベース,キシレンベースなど様々なバリエーションがあるようですが、どれが最良かまでは明言されていませんでした。メチルエチルケトンやアセトンにも溶解するようですが、そういったオリジナルレシピも世の中に流通しているのかもしれません。レシピによっては、スミソニアンがお墨付きを与えたような効果は得られないかもしれず、続報が俟たれます。

 価格:500mLで20,000円程度。



パラフィン Paraffin

 後述するカンファレンスによると、少なくとも動物標本用の長期封入剤としては最悪の部類に入るようです。ヒトの遺体・臓器を保存するために包埋するとは聞きますが、形態分類学の用途での半永久保存には向いていないと考えた方がよさそうです。

 



封入剤の特性と封入手順

 過去の記事は主にホイヤー液を念頭に書いていましたが、ユーパラル(レジン系)を使う場合はだいぶ注意しないとプレパラートが台無しになることがわかりました。前述の通り、ユーパラルはエタノールともグリセリンとも相性が悪く、標本の表面に黒い玉とか雲のような影がまとわりついてとても観察できる代物ではなくなるのです。

 この悲劇を防ぐため、ユーパラルの封入手順はホイヤー液とは変わってきます。まとめるとこうなります。

 

解剖から封入に至るまで、グリセリンとエタノールの割合が異なる液体をいくつか行き来する必要があります。ちょっとめんどくさいですね。


 しかも、種の記載といった重要な局面に供する線画を得る場合、工程はさらに複雑化します。付属肢はプレパラート化されてからが本番ですが、解剖が終わって残ったボディは往々にしてくたびれており、スケッチに耐えない場合が多いです。というわけで、以下のように適当なタイミングで描画工程を挟むことになります。 

 

※ちなみに、生物顕微鏡下で全身を観察する場合、個体の大きさによってはホールスライドガラスを導入したほうがよいでしょう。ホールスライドは凹みなしに比べてガラス全体の厚みが増して鏡筒のクリアランスにはハンデになりますが、低倍率で全身をスケッチするぶんには問題ないかと思います。

  

  解剖の精度を上げるため、あるいは美しい線画を得るためには、各節の輪郭が明瞭に見えることが重要です。ライトを強化してもよいのですが、それ以外には、染色するという方法は広く用いられています。過去に検証したとおり、一般人に過ぎないヨコエビおじさんが現実的に入手できる染色剤には限界があり、かつヘタな液を選ぶと標本を損傷するおそれがあります。


 


食紅の再検討

 過去の検証から、食紅を無水エタノールに溶解して標本に使うと、付属肢が外れたり、ダメージを与えるようです。また、粉をそのまま標本に触れさせたりすると、体表に赤いスライムが付着します。観察してみたところ、どうやらこれは食紅の賦形剤として添加されている「デキストリン」のようです。デキストリンより色素(ニューコクシン)のほうが早く溶けるようなので、デキストリンを沈殿させておいて上澄みを使えばイケるのでは…?

 

 というわけで、そういう構造を作りました。

 

 内側の器の中に食紅を入れ、グリセリンを滴下する。
オーバーフローした液を外側の器に溜め、スポイト等で吸い出して使う。


  液体の粘度が低いとデキストリンの粒が舞ったりするのと、解剖に使うグリセリンエタノール中での扱いの良さなどを考慮して、食紅を溶解する液はグリセリンに変更しました。

  染色液は視野が悪すぎて解剖や観察には使えないため、染色後の標本はグリセリンエタノール中に少し置いておき、余分な液を落とすようにします。グリセリンに浸し過ぎると組織が緩むため、必要に応じて無水エタノールに浸して身を引き締めてから解剖するようにします。このような方法にしてから、デキストリンの影響を少なくできているのか、標本が傷むことはなくなりました。






プレパラート管理のトレンド:フンボルト博物館のカンファレンスより

 9月19日~21日、ドイツにあるフンボルト博物館が、プレパラート管理に関するハイブリッド形式の特別会議を催していました。

 いちおう最初に「ここにいない人にも教えてあげてね(大意)」というアナウンスがあったので、豆知識として紹介したいと思います。ただし、個々の発表内容について要旨をそのまま転載といった権限はないですし、あくまで話題の共有と考えて下さい。また、カンファレンスは全体が英語かつ口頭のみ触れられた内容もあったので、聞き間違いや誤訳の可能性もあることを付記しておきます。

  • プレパラート標本の封入剤は極めて多様:国や分類群によっても違うし、同じ研究者でも時代によってレシピが変わったりする
  • プレパラート封入剤の劣化パターン:変色(黒化),結晶化,ヒビ割れ
  • プレパラートを劣化させる要因①封入剤そのもの:アウトガスによるヒビ割れ
  • プレパラートを劣化させる要因②縁部のシール:化学反応により封入剤の変色あるいは結晶化を誘発するが、シールしなければ酸素などの空気中の化学物質との接触が起こりやはり劣化の原因となる
  • プレパラートを劣化させる要因③標本:固定液(フォルマリン)や、透明化に使用した薬剤(クローブ油,フェノール,テルピン油)が残留、あるいは外皮の成分そのものが封入剤と反応する
  • プレパラートを劣化させる要因④環境:光,振動,高温,湿度,化学物質(木製キャビネットの防腐剤等あるいは金属キャビネットのエナメル塗料から放出されるVOCs)
  • プレパラートの加齢を再現する試験方法は確立されておらず、よって前もって封入剤の耐久性について確証を得ることは不可能な状態
  • ホイヤーは一般論として長期保存に向かない
  • ガムクロラールにアセトンを入れるレシピは最悪
  • ラベルが剥離あるいは虫害で破損することでも標本の価値は失われる
  • プレパラートは縦保存より横保存への切り替えが進んでいる(それはそう)
  • 病理分野ではプレパラートのスキャン技術が既に確立しており、転用による自然科学標本のデジタル化促進が期待されている
  • ラベルの読み取りなどプレパラート標本の目録化そのものが進んでおらず、プレパラートのデジタル化はまずメタデータの構築と、個々の標本を画像で記録しアーカイブ化するという、2つの異なる階層で進められている 

 
 


まとめ

  このたび、どうしてもユーパラル中で付属肢が収縮してしまうヨコエビがおり、結局永久プレパラートは作らずにダーラム管中に保存してホロタイプとすることに決めました。プレパラート化しておけば、後で観察したい時に余計な手間をかけずにすぐ検鏡できるメリットはありますが、封入剤との相性によって標本が劣化したり、プレパラート化できないボディと別に管理されることで迷子になるリスクがあります。ただ、プレパラート化しないことで、検鏡のたびにパーツを破損あるいは紛失しうるという大変大きなデメリットがあります。

 数あるプレパラート関係論文の中で決定版とされる論文 (Neuhaus et al. 2017) によると、博物館に収蔵する前提のプレパラートに適した封入剤としてバルサムやユーパラルなどのレジン系が挙げられています。理由は「琥珀が何万年や何億年も形状を維持できるならそれと同じような効果があるはずだ」というもので、シンプルな文脈においてこれには同意します。

 親水性・疎水性という面では、封入後の耐久性と生体組織との馴染みやすさがトレードオフになっている感はあります。耐久性は簡単に上げられないと思いますので、やはりレジン系封入剤とサンプルとをいかに馴染ませるかが極めて重要と思われます。

 ただ、屈折率や標本との馴染みの良さなど、作ったばかりの標本の出来栄えばかりに重きを置き、長期保存という使命に対して雑な憶測で臨んできたこれまでの一世紀以上の在り方を、そろそろ見直すべき時期のような気がします。たとえば、何億年と生物組織を保存し続けている琥珀の性質そのものに疑いの余地はありませんが、それをプレパラートに適用するためのアレンジとして「溶解の工程」が不可欠なことを軽視しすぎている感はあります。この有機溶媒は前述の通り、標本との化学反応やアウトガスの原因となり、プレパラートの劣化を引き起こします。つまり、いくら琥珀に倣っているとはいえ、レジン系プレパラートにおいて本来の琥珀の性質が発揮されているわけではないのです。

 カンファレンスを聴いたり文献を読んだりしても、封入剤について決定的な結論は出ませんでした。とりあえず、前述の通り、明確に劣化を誘発する事柄(透明化処理薬品の残留やトルエン含有の有機溶媒系包埋材)については、気づき次第速やかに排除するべきでしょう。また、本稿でも食紅を紹介しましたが、染色剤についても何かしら反応を起こすリスクを踏まえて、全ての標本を染色に供さないことや、染色した標本は包埋せず液浸して保存するなどの工夫は必要かもしれません。

 ちなみに最近『文化財と標本の劣化図鑑』(岩﨑ほか 2023) という良書が刊行されましたが、プレパラート標本に関する情報はありませんでした。液浸標本に関しては充実してますので、機会があれば内容を紹介したいと思います。





 (おまけ)スライドガラスの輸送方法

  そんなプレパラート標本ですが、割れたりズレたりと輸送には大変気を遣います。専用のケースも市販されていますが、容量が大きかったり、一般人に手が届きにくかったり、縦置きだったりして、ちょっと使い勝手が気になります。

 そんな中で見つけたのがこれです。



 ダイソーの名刺入れです。

 何十年と保管すると恐らく封入剤やシール材がPPと癒合したり反応したりして台無しになると思われますが、1・2年やそこらは平気なようです。持ち運び・輸送用として使うべきでしょう。

 なお、スライドガラスの幅に比べてかなり深さがあるため、手前にズレないようスポンジのようなものを入れるとよいです。


 


<参考文献>

— Hughes, L. E.; Lörz, A.-N. 2019. Boring Amphipods from Tasmania, Australia (Eophliantidae: Amphipoda: Crustacea). Evolutionary Systematics, 3(1): 41-52. 

— Hughes, L. E.; Lörz, A.-N. 2023. Unciolidae of Deep-Sea Iceland (Amphipoda, Crustacea). Diversity, 15(4): 546. 

— 石丸 信一 1985. ヨコエビ類の研究法. 生物教材, 19,20: 91–105.

— 岩﨑 奈緒子・佐藤 崇・中川 千種・横山 操 (編) / 京都大学総合博物館(協力) 2023. 『文化財と標本の劣化図鑑』. 136 pp., 朝倉書店, 東京. ISBN:978-4-254-10301-4 

Kodama M.; Kawamura T. 2021. Review of the subfamily Cleonardopsinae Lowry, 2006 (Crustacea: Amphipoda: Amathillopsidae) with description of a new genus and species from Japan. Journal of the Marine Biological Association of the United Kingdom, 101(2): 359–369.

— Neuhaus, B.; Schmid, T.; Riedel, J. 2017. Collection management and study of microscope slides: Storage, profiling, deterioration, restoration procedures, and general recommendations. Zootaxa4322(1).

— 富川 光・森野 浩 2009. ヨコエビ類の描画方法. 広島大学大学院教育学研究科紀要17: 179–183.


-----

補遺 (15-VIII-2024)
・一部書式設定変更。

2022年2月23日水曜日

続・タイプ標本の値段(2月度活動報告その2)

 

 前回大好評を頂いた?「タイプ標本の値段」の続編です。

 というのも、実際のところ今回寄贈する機関では標本の単価を設定せず管理するのが通例とのことで公文書への金額記載は免れたものの、肝心のタイプ標本が輸送中に紛失するという事態が発生し、改めて評価額の算出が必要となったわけです。

 エクセルファイルを引っ張り出し、 わかりやすいかたちに改変しました。これを某運送会社に提出したわけですが、せっかく作ったので皆さんにも見てもらおうと思います。

 まず、採集したサンプルのリストを以下のような形式にあてはめます。

※以下、数値は全て架空のものです。

 

 日ごとに種の標本数をまとめます.

 

 記載の対象となる種だけ抜き出すか、あるいはその時に他に得られている成果があればそれを含めて表にするか、目的によりルールを決めるとよいでしょう。

  複数種を含める場合、この表を元に種ごとの割合を求めて重みづけします。

 

種の割合=種ごと標本数/全種合計標本数


 次に、採集にかかった実費を計算します。自分で採ったりしている場合は人件費を求めるのが難しいため、今回は採集日ごとに該当する地域および期間の労務単価をもとに手間賃を算出してみます。そして、採集にかかった諸経費(交通費、宿泊費、消耗品費、許可申請費用など)を加算します。これで理屈上は、「ただの自然由来の動植物」である標本を1日ごとに金額化できます。この金額に種の割合を掛け合わせれば、種ごとの経費が出ます。

 

労務単価+交通費+宿泊費+消耗品費


採集の諸経費×種の割合


 次に研究費です。

 とりあえず、年ごとの研究者の平均賃金を調べ、分類にかかった時間を掛けて、種ごとに加算します。これが同定(分類作業)後の標本の総額です。

 これに、標本種別の重みづけを行い、パラタイプの値段を求めます。このへんは全くコンセンサスが得られていないためアレですが、例えば「ホロタイプ70%」「パラタイプ20%」「その他10%」などはいかがでしょうか。

分類(記載)に使用した標本数と、
このうちタイプ標本に選んだ点数


 このパラタイプの合計金額を、論文に使用するパラタイプの点数で割り、これに標本そのもののに付随する実費(瓶、保存液、ラベル等)を足してみます。ちなみに当方がラベルに用いている耐水紙は1枚20円くらいで30平方センチでやっと1円のようです。

 

 こんな感じです。

採集実費+研究費,
タイプ標本の合計金額(9割掛け),
タイプ標本単価,
標本に付随する経費(100円)を足したもの.

 

 

 

2022年1月4日火曜日

タイプ標本の値段(1月度活動報告)

 

 記載論文をまた書いているわけですが、寄贈先から思わぬ依頼が。

「寄贈するコレクションの評価額を記入してください」

 

 ”世界に一つだけ”のホロタイプは言わずもがな、同じ記載論文で指定されたパラタイプ標本も基本的には替えが利かないもの=pricelessという認識だったので、それは晴天の霹靂ともいえるものでした。

 いやでもよく考えたら、博物館同士で標本をやりとりする時の保険とかの関係で、そういう書類がやりとりされてる様子は見たことありました。

 

 というわけで、何となく決めるのも気持ち悪いので、専門外ながらいろいろと調べてみました。

※数時間で書いた突貫記事です

※実際の標本に関わる数値はあえて不明確に表現しています

 

 

 

地衣類のタイプ標本(ホロタイプ?)

¥172(税別:2017年3月当時の為替レート)

 Scienceに詳しいようだが、読めていない。

 

 

甲虫のパラタイプ標本

¥70,000(税別)

 本種の記載論文 (Zhang & Barclay 2021) においてアクロニムNo.がない標本が2つあるだけに、妙な信憑性がある。この所在不明の1♀1♂は実際のところは小林一秀氏の手元にあると推測されるが、そこから市場に流れたか、あるいは別ルートで出回ったか、当方に確認の術はない。ともかく「パラタイプ標本」を謳う動物の死体にこれだけの値段がついたという事実だけを参考としたい。


 

甲虫のトポタイプ標本

 数千円(ヤフオク)

 数十円で投げ売りされてるのもあり。産地の信憑性もよくわからない。


 

鉱石のトポタイプ標本

¥495,000(税込)/129x96x70 mm, 1,931 g

 動物の標本については基本的に重さを考えないためこれは貴重な情報。

 

 

哺乳類のホロタイプ標本(レプリカ)

 ¥2,800(税別)

 

 

 

ヨコエビのレジン封入標本

 ¥2,000(税別)

 

 

ワレカラのレジン封入標本

  • トゲワレカラ (海鷹祭オンラインストア)

 ¥800(税別)

 

 

ヨコエビの透明化標本

¥3,600(税別)

 

 

ヨコエビの乾燥標本

 ~¥13,000(税別)

 

 

  今回の標本群は足掛けで複数年(実日数にしても数十日)かけて得られた4桁オーダーの個体からなります。共著者が根気強く採集してくれたものですが、もともと自然界にあったものなので、実質的な金銭的価値は手間賃と考えられます。

 厳密な作業時間はこの際勘案しないとして、例えば採集作業への従事者を1人の「軽作業員」とみなし、該当期間の公共事業労務単価表からタイプ産地における人件費を拾いました。

 これらの数値をもとに全ての標本を集めるのにかかった人件費を求めて単純に標本の個体数で割り、送料やら薬品代やら瓶の値段やらを加えて丸めると、1個体あたり¥1,000程度でした。海外採取のアカントガンマルスは比較対象にならないとして、国内採取の鳥羽水族館と比較してもお安い。採集方法や処理方法が異なる点、またこの算出方法では標本の個体数により単価が大きく変動することを考慮すると、数千円という幅で概ね一致したものと考えてよさそうです。

 

 問題は、これがタイプ標本だった場合です。ヨコエビにおいてタイプシリーズに値段がついた例を私は知りません。

 今回軽くググった中では、ヤフオクで売られていた Psalidocoptus satori が唯一参考になりそうな例です。これは記載されたばかりという話題性もさることながら、前胸の鋭い棘や大きく盛り上がった前翅に走る力強い溝など、造形的にもマニア受けすること請け合いである。ヤフオクで他の海外産のビジュアル系カミキリムシを探してみると、だいたい数千円~5万円程度でした。このことから、「目新しい新種のパラタイプ」であるという付加価値に相当する掛け率は1.5~25倍の幅の中に存在すると考えます。

  ただし、今回の記載論文におけるパラタイプ標本を得るには前述の多量の標本からの厳選という過程が不可欠だったので、そのレアリティも考慮する必要があります。というわけで、論文に使用したパラタイプの点数で前述の人件費を割ると、だいたい¥10,000になりました。

 加えて、パラタイプ標本を指定する論文にも手間がかかっています。前作では牛歩の如く足掛け4年かかっているので記載論文にかけた時間を正確に算出するのは難しいですが、体感として自分以外に原稿のチェックをしてもらう時間も含めて1種につき半月ぐらいかかっているので、雇用統計から「研究者」の時給を拾って加え、1種あたりのパラタイプ標本の点数で割り、前述の備品の費用を加えると、やはりだいたい¥10,000になりました。


 

 結論。

 どんぶり勘定にどんぶり勘定を重ねた結果、 今回のパラタイプ標本の値段は1点あたり20,000円と算出されました。カミキリムシを参考に算出した掛け率の幅には一応収まります。タイプシリーズに含まれない標本や論文そのものの経済的な価値が重複して計上されてはいますが…

  本来は送料や交通費などもかかるはずで、実際に公文書に記載する数値は上記とは異なります。あくまで思考実験とお考え下さい。

 

 

 

 (参考文献)

Matsubara, S. Miyawaki, R.; Hirokawa, K. 2003. Niigataite, CaSrAl3(Si2O7)(SiO4)O(OH): Sr-analogue of clinozoisite, a new member of the epidote group from the Itoigawa-Ohmi district, Niigata Prefecture, central Japan. Journal of Mineralogical and Petrological Sciences, 98: 118129.

  Zhang Y. ; Barclay M. V. L., 2021. A remarkable new species of Prioninae (Coleoptera: Cerambycidae) from Guadalcanal, Solomon Islands. Faunitaxys, 9(22): 1–5.

 

 -----

補遺 (15-VIII-2024)
・一部書式設定変更。