今年もヨコエビの知見を得るのに有用な文献を紹介します。過去の実績はこちらにあります。
イチオシ
— 吉村比呂・富川光 2025.端脚類(節足動物門:甲殻亜門)を用いた生物分類教材開発に向けた標本観察方法の確立.広島大学大学院人間社会科学研究科紀要 教育学研究,6:35-42.
初学者に最適な手引き文献に、新たなラインナップが加わりました。教材という視点から、活かした状態でヨコエビを運搬・撮影するプロの手法を「ここまで教えていいの?」というくらい親切に解説しています。本文は無料で読めます。当該メソッドで撮影された美麗なカラー写真がこれでもかと目白押しで、生体撮影の予定がない方も眺めるだけでも楽しいと思います。
— 有山啓之 2023. 若手の会自由集会報告「ヨコエビガイドブック」の出版について. 日本甲殻類学会 Symposium Report,CANCER, 32: 57–60.
吉村・富川 (2025) 以前にヨコエビの撮影メソッドを紹介した出版物は、この有山 (2023) くらいでした。 学会集会の発表を報文化したもので内容はかなりコンパクトですが、標本撮影に関しては固定状態による性状の違いや写り込むゴミの除去などに触れているのが特色です。無料で読めます。
メリタヨコエビ科の分類にオススメ
パンダメリタヨコエビ,ヨリパンダメリタヨコエビが話題なので、メリタヨコエビ科の分類に有用な文献を挙げていきます。
コラム:Senticaudata-Amphilochideaとの付き合い方
和名はないものの、ヨコエビを扱う上で避けては通れない「Senticaudata」「Amphilochidea」という亜目。
2017年の大事件以降、実質的に「ヨコエビ」が消滅した混乱は容易には終息せず、たびたび「亜目なきヨコエビの扱い方」という問題が取り沙汰されています。実際、研究者の間ではどういった扱いをされているのでしょうか。
全てのヨコエビの論文を集計することはできなかったので、Zookeysで行われた新種記載論文に絞って採用状況を確認してみました。
結論からいえば、年を追って浸透、といった傾向には見えず、初期から一定の割合で採用され続けている様子が見受けられます。この母数では何とも言えませんが、初期の採用者が継続して使用し続けている一方、途中から使い始める研究者は少ないのかもしれません。
日本では、新体制設立当初に全くと言ってよいほど人気がなかった事実があります。改めて集計してはいないものの、体感的にこの空気感は続いているように思え、日本の研究者の多くは今なお見送り側であり続けている印象です。
生物学の知見を採用する基準は忖度でも勝ち馬でもないはずですが、モノを言うのはコンセンサスなので、どのくらい共通認識のある枠組みなのかは重要です。その視点でいえば「Senticaudata」「Amphilochidea」は WoRMS (Horton et al., 2026) に掲載される水準のコンセンサスを有しており、学術をはじめ様々な場面で採用に足るものです。ただし、この枠組みの採用不採用が議論の土俵に立てるかを左右するようなことはなく、従って積極的に用いる動機はなく、消極的な不使用に至るのは当然の帰着といえそうです。
政治的背景を抜きにした実用面、「Senticaudata」「Amphilochidea」を採用しにくい理由には以下のものがあります。
- 従来の体系と互換性に乏しい
- 亜目の識別点とされる形質に例外がある
- 系統関係と整合性がない
Lowry and Myers (2017) の分類体系を支持しない分子系統解析の結果には、Sotka et al. (2016) や Copilaş-Ciocianu et al. (2019)といった例があります。また、形態分類の視点からは d’Udekem d’Acoz & Verheye (2017) という強い批判があり、これに対する反論 (Myers & Lowry, 2018) も問題を認めつつ一定の合理性があるという主張に留まり、立場の違いを鮮明にしただけで根本的な解消には至っていません。
従来の「ヨコエビ亜目」「ワレカラ亜目」「クラゲノミ亜目」という体系も、必ずしも系統との整合性はありません。むしろ「ワレカラ亜目」において、系統解析の結果を踏まえると「Senticaudata」の中にドロクダムシの仲間と一緒に格納する新体制のほうが、系統との整合性は高いといえます (Ito et al., 2008)。ただ、そういったバランスが全体に行きわたってはおらず、要するに旧体制を上書きするほどの強い説得力があるとはいえないのです。そして純粋な形態分類における中途半端さと、系統分類学との関わりの薄さから、学術的議論の基盤となる共通認識としての価値が生まれず、存在意義に繋がっていないことが伺えます。
そんな中、仲村ほか(2025)では「敢えて旧3亜目体制に戻す」という手法が採られました。これは一般向け書籍での措置とも読めますが、「Senticaudata」「Amphilochidea」を広く採用する必要が無い、という扱いにも思えます(さすがに分類学の学術誌において旧体制を持ち出すと物言いがつく可能性はあります)。
では、「Senticaudata」「Amphilochidea」の新体制に本当にメリットは無いのか。
亜目から上科まで視点を転ずれば、ごく一部の所属不明群を除いて、ヨコエビ全体が秩序の中に置かれているのが特色です。このことで、より細やかに科より上の類似性を表現できます。それぞれの分類単位に収められている下位分類群の数が少なめに抑えられていて、大箱に入っている小箱の数が少ないことが取り回しの良さに繋がっています。これらは、高次分類止めの同定を行う場面で利点になります。Lowry and Myers (2013, 2017) がいずれもOAでリリースされているのも、端脚類の分類の基盤として遍く採用されることを意図しているものと思います。
使いたい人が使い、そうでない人は見送る。今のところ個々の判断が許されています。
端脚類全体の分子系統解析が終わるにはかなりの時間がかかりそうですし、そもそも系統を分類と融合しなければならないというのも一つの思想に過ぎませんし、かといってまた形態フェノグラムをやっても同じような結果にしかならない可能性は高く、しばらくは決定打に欠ける状態が続くものと予想されます。
安定性が求められる分類システムにおいて「10年やそこら」というのは非常に短いスパンと言わざるを得ません。また、時間のかかる分子系統解析を少しずつ進めるにつれ、既存の分類体系と大幅な乖離が明らかになり、またそれを支持する形態形質が開発されるようなことがあれば、4亜目体制は全体を一気に組み替えるのではなく少しずつ崩されていくことになります。そうなると、ただでさえ流動性が高いと見られがちな領域は、更に流動化するリスクが高いといえます。
亜目~上科の領域は不安定なものと解釈し、比較的安定している目とか科だけを採用するのが賢明な気がします。特に思想が無ければ引き続き、紛争地帯を避けて触らない、という接し方が無難に思えます。
<参考文献>