このたび縁あって『ベントスの多様性に学ぶ海岸動物の生態学入門』(以下,この教科書)を読むことになり,気付いてしまったことが.
全く期待してなかったんですが・・・
何と言うか・・・
結構ヨコエビ出てくるじゃん・・・
ヨコエビって,もしかして超人気の題材なんじゃ・・・
この教科書における端脚類の扱い
- 裏表紙:ワレカラ類
- p.50:マルエラワレカラの性的対立
- p.73–74:一部の甲殻類の子育て(ワレカラ類)
- p.80–81:ヨコエビ属の環境性決定
- p.91:海藻の選好性に乏しい端脚類
- p.152: 有機物の異地性流入を担うヨコエビ
- p.185, 187:藻場・海草場の棲み込み生物(生態写真)
※単語として登場する箇所もありますが割愛
なお,p.91:L22–23 で Cymadusa filosa を「モズミヨコエビ類」としていますが,モズミヨコエビは Ampithoe valida と対応する種の和名なので,別属である本種は正確には「ヒゲナガヨコエビ類」とすべきでしょう.C. filosa はモズミヨコエビと同様に種群として扱われることが多く,Cymadusa 属における代表種の一つです.
また,p.122:L10で「単脚類」との表記がありますが恐らく「端脚類」の変換ミスでしょう.
このように,この教科書には何カ所も端脚類が登場します.どうせならもうちょっと出してもらってヨコエビの布教にご協力頂いてもいいかな(グヘヘ)と思う反面,これ以上は増えない気がします.
そんなわけで,改めてヨコエビのメジャー度合/マイナー度合について感じたところを述べてみます.なお,数値的に他群との比較を行って検証を行う類のものではありませんので予めご了承ください.
初学者に対するわかりやすさ
大学に入ったばかりで,ヨコエビが何たるかを知っている者は少ない.感覚的には,生態学系学科の新入生でその名を聞いたことがある者はごくわずか,wikiに載っているような代表的な写真でヨコエビを正しく指し示せる者はともすれば棄却域へ入ってしまう数値のような気がします.
カニとか巻貝とかゴカイならまだしも,多くの若人は「ヨコエビ」と聞いてガタガールsp.第12話の干太君のような反応 (小原 2019) が常でしょう.
まず分かりやすい例を示すのが,生態学初学者向けを謳う教科書の本分でしょう(そういえば大学の授業でヨコエビが出てきたことはほぼ無かった).というわけで,このくらいが丁度良いのかと.
研究例が乏しい
この教科書は,日本ベントス学会選りすぐりの研究者からなる編集委員により執筆された泣く子も黙る専門書で,古くは19世紀のダーウィンの著書を引用したりしながらも,根幹となる知見は21世紀に入ってからの最新の学説を豊富に採り入れています.ベントスの範囲を「海産の底生無脊椎動物」に限定しつつも,取り扱う範疇は海域に留まらず,普遍性の高い事柄については淡水ひいては陸上生物にも及びます.部分群集に触れたp.124では,近年の事例から幾つかの論文を例として引いており,海岸の生物群集が研究者によってどのように切り取られて料理されてきたかを伺うことができ,バイブスが上がります.
末尾に13冊程度の参考図書が挙げられているばかりでなく,本文中に引用されている文献のアクセサビリティもまあまあ高く,授業の教科書としてだけでなく自学ツールとしても優れています.p.217–218 では採集調査に関わる注意点なども言い添えられており,痒い所に手が届くというか何というか.
海岸生物の相互作用,特に多様なファクターを内包した潮間帯という環境に適応した生物たちの性質は,大学でも叩きこまれたし,フィールドで得た肌感覚として持っている自覚がありました.しかし,その特殊性や普遍性についての学際的な解説にじっくり触れたのは初めてかもしれません.
A5版ペーパーバックで250P程度というこの教科書の装丁は,とても取り回し易い!かわいいイラストと平易な文章により構成され,図や字が大きく見やすい!しかし,通底に流れる思想は極めてサイエンティフィックかつドライです.あの名曲「ベントス学会30周年記念本のテーマ~なぜ、今「海岸動物の生態学入門」を買わなければならないのか?~」の中で「表紙かわゆく 中身はタフだ」と紹介されている所以でしょう.例えばこのような表現があります.
性別は,生物の個体群に見られる最も一般的な二型 (p.53: L8)
「食べる」ことは,餌に含まれる物質やエネルギーを獲得するための営み(中略)生物を「物質やエネルギーの運び屋」として捉え(後略)(p.145: L7–9)
このように,生物という事象に対する科学者特有の遠慮深さとストイックさを,その言い回しの端々から感じることができます.
また,個体群構造や種分化の解説に際して(生態学の入門書であるにも関わらず)本質的かつ鋭い分類学的見識が披露されているように感じます.
さて私たちは,とある動物2個体を見たとき,その交配可能性をどのように認識しうるだろう。多数の個体の組み合わせについて,野外あるいは実験室内で交配を観察し,子どもができるか,またその子どもの子孫に繁殖能力があるかを確認するのは,たいへん難しい。そこで私たちは多くの場合,間接的な証拠を積み上げることで種を認識しようとする。(p.22: L3–7)
こういった背景説明は非常にわかりやすく,海洋生態学を志す学生でなくとも,生物に興味がある全ての人にお勧めしたいです.
脱線しましたが,ともあれこの教科書は膨大かつタイムリーでハードな実践的情報を,とっつきやすい入門書にまとめ上げています.
毎年出版される論文の面白さや知見の深まりは,ヨコエビもひけは取りません.しかし,海産底生無脊椎動物に典型的な各種の事柄について代表的といえる事例はあまり多くないように思えます.これは,種分類の作業が未だに絶賛進行中であり,生態学などの研究を組み立てる前の「地ならし」が済んでいないことも一因かもしれません.また,そもそもヨコエビは同じ環境に繰り返し侵入したり狭い地域で種分化したりと,似通ったボディプランや生態特性を持ちながら種多様性を増している傾向があります.また,沿岸性のヨコエビは概してライフサイクルの全ステージにおいて小型の自由生活者で,常に魚類の捕食圧に晒され,それに対して身体の隠匿あるいは高い回転率・生産性でカバーしている部分があると言えます.そういった理由で,ベントス全体の多様な形態・生態と比較して戦略が単調で,持ちネタに限りがあることも考えられます.
なお,端脚目の生理・生態学的知見については Bellan-Santini (2015) で網羅的に取り上げられていますが,あくまで目の性質を記述した性質のもので,海岸生態系における立ち位置を明確にするものではありません.
そもそも目だし
当ブログは「この世はすべからくヨコエビで溢れている」というスタンスを貫いていますが,実際のところその種数は世界で1万程度です.この教科書に引かれている数値を借りれば海洋生物の種数は20~23万程度なので(生活様式の検討など諸々こまかい話は抜きにして)強気に見ても構成種の割合は5%程度に過ぎません.
また,いわゆる「ヨコエビ」は目レベルの分類単位です.前述の巻貝やゴカイは一つ上の綱レベルなので,その多様性は比較対象になりません.なお,エビ・カニ等が含まれる十脚目とは張り合ってもよいですが(?),構成員の種数が1.5倍程度なのに対して,そのボディプランや生態の多様性では十脚類に軍配が上がるのは言うまでもありません.なので,このくらいがちょうどよいかと.
というわけで,書籍紹介をしたかっただけのようにも見えますが,ここにきて改めてヨコエビの生態学的研究ひいてはその基礎となる分類学的知見の蓄積の重要性が白日の下に晒されたわけです.そして,高校生くらいの年代までにヨコエビの教育を浸透させる必要性も非常に高い.いろいろと仕掛けをせねばなりませぬな.
<参考文献>
— 日本ベントス学会 (ed.) 2020. 『ベントスの多様性に学ぶ海岸動物の生態学入門』. 皆文堂, 東京. 248 pp.
— 小原ヨシツグ 2019. 第12話 ヨコエビはエビじゃない!! その②. In:『ガタガールsp. 阿比留中生物部活動レポート(2)』. 講談社, 東京. 184 pp. (電子書籍)
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