ヨコエビ界の巨人・Lowry の遺稿となる論文 (Lowry and Myers 2022) が出版されました。
ハマトビムシの亜科や属をいじったマニアックな論文ですが、日本の生き物界隈には大変な事件といえるでしょう。なぜなら、本邦で最も有名なヨコエビといえる「ヒメハマトビムシ」が、複数種どころか複数属に分かれてしまったのです。
これがいわゆる「ヒメハマトビムシ」です. |
掲載誌は有料ですし、これを読みこなさないと「ヒメハマトビムシ」を語れないというのもだいぶ酷だと思うので、こちらで要点をまとめておきます。
ヒメハマトビムシの歴史
Lowry and Myers (2022) を読む前に、日本における「ヒメハマトビムシ」の歴史を軽く振り返っておきます。
「ヒメハマトビムシ」の分類といえば、ガタガールsp.のヨコエビ回(以下、小原2016)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
忘れもしない2018年、冒険ありアクションありホラーあり恋愛ありギャグありで知られる、良い子のための無料漫画アプリマガジンポケットにて、突然ガチのヨコエビ分類談義が繰り広げられ、業界は一時騒然となりました(『ガタガールsp. 阿比留中生物部活動レポート』)。
小原 (2016) では Demaorchestia joi (以下、ジョイ)なのか Platorchestia pacifica (以下、パシフィカ)なのかが端的に紹介されていました。2016年までの「ヒメハマトビムシ」にまつわる年表はこちらに載っていますが、当時すでに「沼」でした。
日本にいる小さめのハマトビムシ類「ヒメハマトビムシ」は、長いこと Orchestia platensis(以下、プラテンシス)1種と考えられてきました。この「プラテンシス」というのは厳密には北大西洋の種なのですが、初めて日本の個体群に当てはめたのは Iwasa (1938) であろうと思います。
大正時代には Orchestia属に「はまとびむし」という和名が対応されたこともありましたが (飯島 1918)、Iwasa (1938) によって詳細に形態が記述されて学名と対応されたことで、日本の浜辺やら湿地やらでピョンピョンしてるやつはプラテンシスで間違いない、という見解が広まったのであろうと思います。ただ、このプラテンシスは形態や生態の幅がかなりあることから、モリノオカトビムシ属なども内包されていた可能性があります。
戦後、永田 (1965) はプラテンシスに対応する和名として「ひめはまとびむし」を挙げています。この頃もまだギリギリの感じでオカトビムシ類が混同されている雰囲気がありますが、影響力の大きい北隆館の図鑑に掲載されたせいか、この和名と学名のコンビネーションは、かなり多くの場面で採用されることになります。
手続き上の問題
Bousfield の研究により、Orchestia 属が Platorchestia 属として分離独立すると、Orchestia platensis という学名は、Platorchestia platensis という学名になります (Bousfield 1982)。この処遇は平山 (1995) でも紹介され、その後20年ほどにわたって有効なものとして扱われ続けました。
アジアの激震
プラテンシスは台湾にもいると考えられてきました。しかし、調査の結果、これは本当のプラテンシスではなく別種だと分かりました。台湾の「ヒメハマトビムシ」には、Platorchestia pacifica という名前がつきました (Miyamoto and Morino 2004)。この研究では「アジアに真のプラテンシスはいない」との見解が示され、日本の「ヒメハマトビムシ」も本当はプラテンシスじゃないはず、という疑いが生まれます。
実は、台湾からパシフィカが記載される20年ほど前、韓国の研究者が「韓国の"プラテンシス"は別種の Platorchestia crassicornis である」と発表していました。この Platorchestia crassicornis はかつて Talorchestia属 としてロシアで発見されましたが、あまり注目されてきませんでした。論文の記載図 (Державин 1937) がかなりラフで、なんとも扱いにくいものだったのが一因と思われます。その後、Гурьянова (1951) で再報告され、更に韓国でも見つかって詳細な図が載った (Jo 1988) ことから、研究が進められるようになりました。そして、日本の”ヒメハマトビムシ”=ジョイであるとされ (Jo 1988) 、Ishimaru (1994) もこれを受けて「ヒメハマトビムシ=Platorchestia crassicornis」として日本産「ヒメハマトビムシ」に対応する学名を改訂していたのですが、その後の研究ではどういうわけかほとんどスルーされていました。そんな折、Platorchestia crassicornis は実は Bousfield (1982) によって Talorchestia属から移動されたものと、Orchestia属から移動されたものの、2つの別種に適用されていることがわかり、ロシアで記載された方は別種として新しい名前が与えられる記載されるに至りました。
これがジョイです。
一方、Miyamoto and Morino (2004)
の知見をもとに、日本の「ヒメハマトビムシ」にパシフィカの特徴を当てはめてみると、かなり一致しました。これまでのやり方で調べるとプラテンシスという結果になっていた標本が実はパシフィカだった、というケースが相次いだのです。笹子
(2011) や小川 (2011) でその旨が指摘されています。
Lowry and Myers (2022) を読む
Lowry and Myers (2022)の主な内容は以下の通りです。
- 新亜科の設立
- 新属の設立
- 新種記載
- 新亜科に含まれる既知属のレビュー
- 属の検索表
詳細は省きますが、色々あって、本邦産属や種に変更があります。
というわけで、以下、ハマトビムシ上科の本邦産種一覧です。
Brevitalitridae科
- Bousfieldia omoto Morino, 2014 ヤエヤマオカトビムシ /森林/石垣島,西表島(森野 2015)
- Mizuhorchestia urospina Morino, 2014 トゲオカトビムシ /海岸林~森林/本州,四国,九州(森野 2015)
- Talitroides alluaudi (Chevreux, 1896) ミジンツメオカトビムシ /宮古島 (Takahashi et al. 2021a), 奄美大島 (Takahashi et al. 2021b)
- Talitroides topitotum (Burt, 1934) ツメオカトビムシ /草地性 (Lowry and Myers 2019),林床/沖縄県・国頭郡 (森野 2015)
ハマトビムシ科 Talitridae
Talitrinae亜科
- Aokinorchestia jajima Morino, 2020 ミナミオカトビムシ /海岸林/本州日本海岸,四国,九州,トカラ(森野 2015)
- Bulychevia ochotensis (Brandt, 1851) オオハマトビムシ /礫浜/北海道東部 (森野・向井 2016)
- Ditmorchestia ditmari (Derzhavin, 1923) ホッカイハマトビムシ /海岸性 (Lowry and Myers 2019),海岸林/北海道東部 (森野・向井 2016)
- Ezotinorchestia solifuga (Iwasa, 1939) キタオカトビムシ /草地性 (Lowry and Myers 2019),海岸林/北海道東部,福井(森野 2015)
- Kokuborchestia kokuboi (Uéno, 1929) コクボオカトビムシ /草地性 (Lowry and Myers 2019),海岸林~森林;北海道南西部,東北北部 (森野 2015)
- Leptorchestia biseta Morino, 2020 ホソオカトビムシ /林床 落葉下/小笠原諸島 (Morino 2020)
- Lowryella wadai Morino & Miyamoto, 2016 ヨシハラハマトビムシ /湿地性 (Lowry and Myers 2019),ヨシ原/宮崎県,愛媛県 (Morino and Miyamoto 2016b)
- Pyatakovestia boninensis Morino and Miyamoto, 2015 オガサワラホソハマトビムシ /海岸~森林/母島 (森野 2015)
- Pyatakovestia iwasai Morino and Miyamoto, 2015 ミナミホソハマトビムシ / 海岸林 (森野 2015),礫浜/台湾,沖縄,本州関東以南太平洋岸,福井以南日本海岸 (Morino and Miyamoto 2015b)
- Pyatakovestia pyatakovi (Derzhavin, 1937) ホソハマトビムシ /海岸林 (森野 2015),礫浜/ロシア,韓国,北海道,本州日本海岸,伊豆半島以北太平洋岸(Morino and Miyamoto 2015b)
- Sinorchestia nipponensis (Morino, 1972) ニホンスナハマトビムシ /砂浜性 潮上帯上部 漂着物/茨城以南~四国,九州 (森野・向井 2016)
- Sinorchestia sinensis (Chilton, 1925) タイリクスナハマトビムシ /砂浜性 潮上帯上部 漂着物/台湾,沖縄,西表,四国,紀伊半島 (森野・向井 2016)
- Trinorchestia longiramus Jo, 1988(和名未提唱)/韓国,日本(笹子 2011)
- Trinorchestia trinitatis (Derzhavin, 1937) ヒゲナガハマトビムシ /砂浜性/韓国,北海道~九州 (森野・向井 2016)
- Minamitalitrus zoltani White et al., 2013 ダイトウイワヤトビムシ /洞窟性/南大東島 星野洞 (森野 2015)
Platorchestinae亜科
- Demaorchestia hatakejima Lowry and Myers, 2022(和名未提唱) /海岸/和歌山県・畠島 (Morino 1975)
- Demaorchestia joi (Stock and Biernbaum, 1994) ヒメハマトビムシ /内湾的砂浜/日本各地 (森野・向井 2016);ロシア極東部,韓国 (Jo 1988)
- Demaorchestia mie Lowry and Myers, 2022(和名未提唱) /海岸/三重県・志摩半島南側? (Stephensen 1945)
- Miyamotoia daitoensis Morino, 2020 ダイトウオカトビムシ /海岸草地~海岸林?/南大東島,北大東島 (Morino 2020)
- Miyamotoia spinolabrum Morino, 2020 クチトゲオカトビムシ /砂浜~森林/小笠原諸島 (Morino 2020)
- Morinoia chichijimaensis Morino, 2020 チチジマオカトビムシ /河岸性/父島 (Morino 2020)
- Morinoia humicola (Martens, 1868) オカトビムシ /森林/本州 (森野 2015);台湾 (Miyamoto and Morino 2004)
- Morinoia japonica (Tattersall, 1922) ニホンオカトビムシ /湖岸,森林/北海道~沖縄 (森野 2015);台湾 (Miyamoto and Morino 2004)
- Nipponorchestia curvatus Morino and Miyamoto, 2015 ヒメオカトビムシ / 海岸~海岸林/近畿,伊豆,四国,九州,対馬 (Morino and Miyamoto 2015a)
- Platorchestia pachypus (Derzharvin, 1937) ニホンヒメハマトビムシ /外湾的砂浜,砂利浜 (笹子 2011)/潮間帯~潮上帯/北海道~九州 (森野・向井 2016);韓国 (Jo 1988)
- Platorchestia pacifica Miyamoto and Morino, 2004 (和名未提唱)/内湾的砂浜,砂利浜,岩礁上部 (笹子 2011);礫浜 (小川 未発表)/台湾 (Miyamoto and Morino 2004);日本各地,韓国 (笹子 2011)
- Yamatorchestia nudiramus (Morino and Miyamoto, 2015) トゲナシオカトビムシ /海岸林~森林/近畿,東海 (Morino and Miyamoto 2015a)
※ハマトビムシ上科の成立についてはこちらで、2019年の大改編についてはこちらで解説しています。
※ヒゲナガハマトビムシ属の2種については、それぞれの原記載を含めた既往研究で記述されている形態的特徴に不審があるものの、種の適格性がないものと結論するには至っていないため、従来の記録をそのまま掲載しています
さて、上記の内、まあまあの数の種が過去に「ヒメハマトビムシ(あるいはプラテンシス)」として報告された経緯があったりしますが、現在はそれぞれ別の学名・和名が与えられています。国内で記録がありつつ和名が確立していないという意味で現在進行形で「ヒメハマトビムシ」に含まれうる種は、4種です。
中でも特に鬼門なのは、Lowry and Myers (2022) において新属新種かつそれぞれ単一の文献記録に基づいた armchair taxonomy(安楽椅子分類学:自ら標本を収集・検討して分類に必要な一次情報を得ることはせず、出版済の文献およびそれに付随した私信を拠り所として行われる分類学研究:たった今思いついた言葉です)によって記載されている D. mie と D. hatakejima の2種なわけですが、どちらについてもタイプ産地から30km圏内で得られた標本が偶然手元にあったので、軽く見てみます。ちなみに、いずれもオス第2咬脚前節下縁の棘状剛毛列が無いことと、第7胸脚腕節が太いこと等によって、パシフィカと同定していました。
Lowry and Myers (2022) によると、D. mie は各腹節板の後縁が鋸歯状になるとのことです。
鋸歯状となる腹側板後縁(松坂市産オス). |
まあ確かに腹側板がギザギザ尖ってはいますね…。第6底節板後葉前縁下方は、微かに歯状突起を具えるものの基本的に直角のようです。
また、Lowry and Myers (2022) によると、D. hatakejima は第6胸脚底節板前縁下方に突出部を欠き、丸みを帯びることで同属他種と識別可能なようです。「第6胸脚底節板前縁下方」が具体的にどこを指すのかよく分かりませんが、図を見る限りは前後で2葉に分かれる底節板の、後葉の部分に適用するもののようです。
第6底節板後葉前縁下方および第2腹側板後縁(白浜産オス). 右側は生時の色彩. |
まあ確かに第6底節板後葉前縁下方の角が丸いですね…。あと、腹側板も心なしか鋸歯が尖らず丸みを帯びて波打っている感じがしますね。言語化を試みるとすれば、第2腹側板において、D. hatakejima は「後縁に連なる鋸歯×2≧後角の歯状突起」なのに対して、D. mie は「後縁に連なる鋸歯×2<後角の歯状突起」というサイズ感です。
いちおう他の産地の標本も見てみましょう。
腹側板後縁の鋸歯は発達しない; 第6底節板後葉前縁下部は直角で歯状突起を具える(岡山県産オス). |
タイプ産地の標本ではないですが、第6底節板後葉前縁下方に突起があり、腹側板後縁のギザギザは穏やかに見え、Jo (1988) に記述された韓国産個体の特徴とよく一致します。
腹側板後縁の鋸歯は発達しない; 第6底節板後葉前縁下部は直角で下方へやや膨らむ(三番瀬産オス). |
これもタイプ産地の標本ではありませんが、腹側板の鋸歯は心なしか穏やかで、第6底節板後葉前縁下方は直角です。ただ、台湾産個体の原記載 (Miyamoto and Morino 2004) では鋸歯は全くないように見え、第6底節板後縁に歯状突起があるという点では気になります。
これらをまとめるとこうなります。
「ヒメハマトビムシ」4種の形態的特徴. オス第1咬脚指節上縁:段差のみ/突起あり. 第6底節板後葉前縁下方:歯状突起を具える/丸みを帯びる/尖る. 腹側板後縁の鋸歯:小さい/明瞭. |
D. hatakejima と D. mie は、記載に既往研究の線画のみを使用し、種を分ける根拠となる形態形質は定量性に欠け、分子的裏付けも皆無ではありますが、いちおう現場で得られる個体群の形態的特徴とは矛盾しません。たまたま手元にあった標本を見ただけなので個体差は分かりませんが、少なくとも過去の図の書き間違いやその時しかいなかった個体として簡単に片づけられる代物ではないと思います。したがって、これら2種がまさしく種として独立しているかの判断には至らなかったものの、「それぞれのタイプ産地に健在な個体群」という前提で調査する価値はあると思います。
個人的に気になるのは、岡山でジョイを得た時に体表の質感や模様がだいぶパシフィカと違って見えたものの、和歌山で cf. D. hatakejima を採った時には体表の様子はパシフィカと全く違わないように見えた点です。これらは別属となっていますから、 D. hatakejima がジョイよりパシフィカに似てるのは道理に反しているように思えます。もちろん、ぱっと見の模様で同定できるほどヨコエビは甘くありませんが、正直なところ特定の形態形質を属の違いとして推してくる根拠について、論文から読み取ることが難しいです。分子でも流して距離を測るのが一番良い気がします。
<参考文献>
— Bousfield, E. L. 1982. The amphipod superfamily Talitroidea in the northeastern Pacific region. 1. Family Talitridae; systematics and distributional ecology. National Museum of Canada, Publications in Biological Oceanography, 11: i–vii, 1–72.
— Державин, А. Н. 1937. Talitridae Советского побережья Яапонского моря. Исследования морей СССР, 23: 87–99.
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— 飯島魁 1918. 『動物学提要』. 大日本図書, 東京.
— Ishimaru S. 1994. A catalogue of gammaridean and ingolfiellidean Amphipoda recorded from the vicinity of Japan. Report of the Sado Marine Biological Station, Niigata University, 24: 29–86.
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— 森野浩 1991. ヨコエビ目. In: 青木淳一(ed.) 『日本産土壌動物検索図説』. fig.203–219. 東海大学出版会, 東京. [ISBN: 978-4-486-01156-9]
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— 小原ヨシツグ 2016. 『ガタガール①』. 講談社. 174p.
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— Stephensen, K. 1945. Some Japanese amphipods. Videnskabelige Meddelelser fra Dansk Naturhistorisk Forening I Kobenhavn, 108: 25–88, 33 figs.
— Takahashi T.; Sawada N.; Nakano T. 2021b. Occurrence of the terrestrial amphipod Talitroides alluaudi (Crustacea: Amphipoda: Brevitalitridae) on Amami- oshima Island, Japan. Edaphologia, 109: 33–34.
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【補遺】27-II-2022
- ジョイの顛末に関する記述を適切な表記に修正
- Державин (1937) の引用漏れを修正
- Takahashi et al. (2020) の文献情報および知見を追加
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【補遺2】10-IV-2022
- 新亜科名のスペルミスを修正
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- 一部書式設定変更。