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2025年8月23日土曜日

甲殻WONDER(8月度活動報告)

 

 7月末、地方の博物館で「ヨコエビ」をテーマとした展示をやるという情報が駆け巡り、衝撃を受けました。

 場所は北の大地。

 数年来、東農大オホキャン近辺で新しいヨコエビストが爆誕した霊圧を感じてはいたのですが、それと関係はあるのでしょうか。


 8月1日から開始の特別企画展「甲殻WONDER・網走のヨコエビ展」。子供の夏休みに合わせた企画展ならなぜ7月からやらないのか疑問に思われるかもしれませんが、網走市内の公立小学校の夏休みは7月25日~8月21日みたいな感じで本州とはだいぶ趣が違うんですよね。しかしまぁ、言ってもしょうがないですが、どのみち夏休み開始には間に合ってないですね。


 網走で特にヨコエビ研究が盛んという話は訊かないので、行ってみるまではどういう方向から攻めてくるのかまったくわかりません。しかも主催は地域の郷土博物館です。完全ノーマークでした。恐らく標本とパネルを用いた地域ファウナの紹介を軸として、基礎情報や親しみかたなんかを扱うのではないかと思われました。フクロエビ上目が前に出てるのは、このへんで十脚の多様性がそれほど高くないためでしょうか?

 ダンゴムシの観察イベントの実績がある施設のようですが、ほとんどの沿岸性ヨコエビはダンゴムシよりだいぶ小さい気がします。体長で勝てるのはニッポンモバヨコエビとヒゲナガハマトビムシ属,オオエゾヨコエビ属くらいなのでは。なお、本州からしてみると「今更ダンゴムシなんて」と思われるかもしれませんが、北海道では四半世紀前までオカダンゴムシはUMAみたいな存在で、今もそれほどありふれた虫ではないので、このへんの温度感の違いというのも、フクロエビ上目への眼差しと関係があるかもしれません。


 茨城栃木でも潮間帯ベントスや甲殻類をテーマとした企画展でヨコエビが展示されていましたが、分類がされてなかったり或いは怪しかったり、タイトルからハブられてたり、扱いが悪いのはデフォだった想い出(正直網走の展示ポスターも驚くほど主役のヨコエビが目立たないデザインなのですが)。科博で謎の講座が行われたことはありましたが、それ並みの、あるいはそれ以上のイレギュラーに思えます。道東で一体何が起きているのか…



〈網走市某所〉

 せっかくなので自力の採集を計画しました。

 節理が目立つ火山岩地質の自然海岸で、崖がオーバーハングしています。付近に真新しい落石はないようですが、崖下に長居するのは危ない気がします。


 磯環境は洗濯板のような一枚岩で、転石は少ないようです。表面は小さなフジツボで被覆され、これといって大型藻類は見えません。とても限られた範囲にタイドプールがありました。

 砂浜は潮上帯から潮間帯上部にかけて泥シルトは少なく、山砂が卓越します。

 漂着物はスゲアマモを主体とし各種褐藻が混じるようです。

 ヘラムシやコツブムシが多いですね。本州ならアゴナガヨコエビ科とかたくさん出るはず。


ヘッピリモクズ属Allorchestes
実物は初めて見ましたが、どのへんが「へっぴり」なのかわかりません。

キタヨコエビ科Anisogammaridaeの2属。
キタヨコエビ属Anisogammarusは初めて見ました。

 河口に流れ込んで腐朽した褐藻にもトゲオヨコエビ属がついています。


 洗濯板の片隅に典型的なタイドプールがあり、こちらを見上げている奴と目が合いました。



たぶんモクズヨコエビApohyale cf. punctata。これが元祖ですか。

ドロクダ。数は採れず。

 潮上決戦といきますか。

ヒメハマトビムシ種群。

 ヒゲナガハマトビムシもいるはずですが、昼間に採るのはやはり難しいですね。



〈網走市立郷土博物館〉

 考古がメインかと思いましたが、どうやら1階が自然史、2階が人文といった構成になっているようです。建物自体が戦前の建築物で、和洋折衷と北海道の大自然やアイヌ文化の文脈を参照しようと試みた、「時代の建築」といった趣です。空調は当然後付けですが、建築家が自らデザインしたという調度品やステンドグラスといった細かいものもそのまま使われていたりして、見応えがあります。



 「甲殻WONDER」は、一部常設展や他館から展示物を借りつつ、大きく「網走における甲殻類の利用」「甲殻類の化石」「非カニ下目・ヤドカリ下目十脚類」「カニ下目」「ヤドカリ下目」「口脚目―アナジャコ下目―エビジャコ上科/オキアミ目―アミ目/カブトガニ」「六幼生綱/等脚目」「端脚目」「汎甲殻類」といったテーマごとにまとめられています。



 会期は8月末までで今日はギャラリートークの日なのですが、これからパネルや標本はもう少し増やす予定とのことでした。



 気になる企画の趣旨ですが、昨年にテーマとしていた「ダンゴムシ」から派生してその親戚という位置づけでヨコエビをターゲットに据えたそうです。1年間サンプルを蓄積し準備してきたものの、分類に苦戦して種名の確定に至ったのはごく一部、とのこと。確かに難物のドロクダムシ科やヒゲナガハマトビムシ属といった標本が散見され、現状種分類が不可能ともいえる側面が見えつつ、キタナミノリソコエビなど比較的落ちやすいグループもいました。道東では厚岸周辺での研究進捗が比較的有名ですが、網走の潮間帯においてまとまった研究はないように思えるので、先立つものがない不便さは大きいと思います。また、展示担当学芸員の方は地下水性種にも興味があるそうで、洒落にならない展開が待っている可能性もありそうです。こわい。


 ギャラリートークに参加されていたのは概ね近郊にお住まいと思われる方々で、この博物館のイベント常連といった雰囲気でした。定員20名に対して当日飛び込み含めて参加者は8名ほど。ヨコエビに対してこれといったアツさを持って帰って頂けたのかわかりませんが、色彩の多様性はリアクションが良かったような気がします。

 確かに日本の温帯~寒帯において潮間帯をガサガサした時に見られる端脚類の色や形は、同所的に獲れる他の甲殻類と比べて、目単位で見るとより多様な気がします。



 個人的に「甲殻WONDER」の白眉はなんといっても日本に2つしかないオニノコギリヨコエビ Megaceradocus gigas の化石標本のうち1つが展示されていることです。これを生で見れることは他の施設ではまずありません。


 また、端脚類の標本や写真はどれも美麗で、多くの深海展などで見られる白く褪色してフォルマリン瓶の向こうにいる、みたいなヨコエビ像より目に楽しいのは印象的でした。ダイダラボッチはもともと白いので仕方ないですが。アクアマリンふくしまでヒロメオキソコエビを液浸にせず特殊な薬品によって柔軟性を保ったまま展示するといった試みが昨年学会発表されていましたが、やはり褪色する液浸より乾燥標本とかのほうが、短期間では間違いなく見栄えがするといえるでしょう。


ヒゲナガハマトビムシ属の主張が強い。

 タイトルにある「網走のヨコエビ」については、分類や生態の掘り下げは十分でなく、例えば地場の端脚類相を勉強したいという方にはあまり有用ではないかもしれません。ただ、富川(2023)でも採り上げられた、ホッチャレ(放精・産卵を終えた鮭の遺骸)を分解するという部分や、またその鮭の餌資源になっている話などが、魚の剥製や写真を交えて紹介されており、網走の重要な漁業資源を支えている一面にリアルな感覚をもって触れることができるでしょう。

 甲殻類全体としては、入れ子構造を示す複雑な分類の概念や、似て非なるものにややこしい呼び名がついていることに対して、果敢に説明を試みている点に好感がもてます。


 「甲殻WONDER」はほぼ個人的研究の賜物らしく、残念ながら今後機材などを揃えてヨコエビをフィーチャーしていく予定はないとのことですが、まぁ、企画展でヨコエビを扱うこと即ち端脚沼に骨を埋める覚悟、というのも相当不健全に思えますので、改めて、研究基盤のない拠点でもヨコエビに光を当てた展示を積極的にやってほしいという気持ちです。

 

 ちなみに、網走市立郷土博物館の人文パートは縄文から昭和までを網羅していますが、網走に特有かつ北海道考古学において重要な発見とされているオホーツク文化の展示は、分館のモヨロ貝塚館でより掘り下げられています。



<参考文献>

2025年7月20日日曜日

書籍紹介『海のちいさないきもの図鑑』(7月度活動報告)

 

 博ふぇすに行ってまいりました。

 今までありそうでなかったワレカラのトートバッグをはじめ、クジラジラミのブローチなど端脚類グッズは年々充実してきています。


 そして端脚類が載った書籍がまた出たそうなので購入しました。




 むせきつい屋さん(著) ・ 広瀬雅人(監修) 2025.『海のちいさないきもの図鑑』.西東社,東京.176pp. (以下、むせきつい屋さん,2025)です。

 箔押しの装丁が豪華です。本邦海産無脊椎動物学もとうとうここまできました。


むせきつい屋さん(2025)を読む

 所謂「子供むけ生物学の本」カテゴリのものと思います。

 ただだいぶ内容はしっかりしていて、水生生物の生態区分やウミエラの骨片の類型、軟体動物の系統関係やウミウシの近似種まで、大学の研究室レベルの知見がてんこ盛りされています。それも単なる豆知識というより、それぞれの生き物の有り様を理解するためのアプローチとして、生物学の文脈の中に位置づけられている味わいを感じます。かわいくない参考文献群からも、著者が堅実に研究をされていたことが伺えます。悪く言えば教科書的かもしれませんが、ホホベニモウミウシの盗葉緑体やプラニザ幼生の体色決定などここ数年の間に学会発表されてコンセンサスになりつあるような、教科書の水準を上回るアツアツの話題が惜しげも無く投入されており、それにも関わらず、首尾一貫したポップな絵柄と平易な文体によって「分かり易さ」を諦めている部分がどこにもないのは驚くばかりです。

 独立の項としてコケムシが入ってないところから、良好な師弟関係が伺えますね。詳しい裏話はわかりませんが、こういう場面で教え子に寄り添って一肌脱いでくれる恩師というのは本当にありがたいものです。


 さて、項が設けられている端脚類は次の通りです。

  • カイコウオオソコエビ
  • オオタルマワシ
  • ワレカラ


 カイコウオオソコエビについて、示されている食性が植物に偏ってますが腐肉もかなり貪食するものと考えてよいでしょう (Jamieson and Weston. 2023)。また、体組織に脂質を多く含む理由を飢餓への耐性としていますが、個人的には、恐らくこれと同じくらい重要なのは浮力の確保だと思います。脂質を蓄える深海性ヨコエビにおいて意義は一律でなく、個別の種において意味合いは違うのかもしれませんが。

 オオタルマワシの和名の由来はあっさりとしています。和名を提唱した入江 (1960)に示されているような(いないような)理由に、忠実な記述だと思います。エイリアンというニックネームについてもあっさりしていて、世の中の議論はもうこのくらいふわっとした認識でよい気がします。それっぽい理由を捻り出すとたぶんドツボに嵌まります。というか、ネット上には話を作っている人が多くて辟易してしまいます。


 このような細部は全体の構成に影響を与えませんが、並べてみると、項ごとに濃度や厚みが違う気がします。特にウミクワガタは情報量こそ定型に収めてありますが、生活環やその特性について厳選して詰め込んだ感じがします。

 著者は北里大の卒業生で、主に三陸海岸など浅海のベントスに直に触れてきた来歴の持ち主なので、その時に得た豊富な知識や経験が作品に反映されていると思います。過去に書籍紹介したこの本も、その研究の成果の一つです。むせきつい屋さん(2025)の出版にあたり様々な意向が働いたような気がしますが、生き物との付き合いの長さの違いがムラに繋がっているように見えます。

 とはいえ、むせきつい屋さん(2025)は150ページ超フルカラーというハイボリュームをたった一人で、テンションを落とさず、たぶんそれほど時間をかけずに仕上げた、恐るべき書物といえると思います。熊坂長範からウルトラマン、タコ焼きから茶釜狸、ゾエアからオエー鳥まで縦横無尽に描けるイラストレーターでありつつ、生物学研究の最先端を子供むけにサマライズできるのは、控えめに言っても働きすぎです。

 個人的に白眉と思ったのは、各生物の体サイズ比較。名前や生態にちなんだり、あるいはひねったり、単にサイズが近いモノを選んだり、心地良く軽妙に題材を選んでいるのが最高ですね。


 小学生以上から余裕で理解できる構成です。子供向けとして読んでもよいですが、生物学の知識を得る本として大人も驚きをもって読むことができるのは間違いないです。元々アクセサリーやイラストボードといったグッズを提供するブランドだったこともあり、色使いが絶妙なイラスト本としても楽しめると思います。



<参考文献>

— 入江春彦 1960.In:内田清之助 等(著)『原色動物大圖鑑Ⅳ』.北隆館,東京.

むせきつい屋さん(著) ・ 広瀬雅人(監修) 2025.『海のちいさないきもの図鑑』.西東社,東京.176pp. ISBN:9784791634453

Jamieson, A. J.; Weston, J. N. J. 2023. Amphipoda from depths exceeding 6,000 meters revisited 60 years on. Journal of Crustacean Biology, 43: 1–28.


2024年4月8日月曜日

ヨコエビがいない(4月度活動報告その2)

 

 科博に行ってきました。


企画展「知られざる海生無脊椎動物の世界」


 3月半ばから開催されているこの展示、チラシからも口コミからも端脚類の噂は聞こえてこない。海産無脊椎マイナー分類群の権化・ヨコエビがまさかハブられているというのか?(権化なのか?)行ってみないとわからないので、現場を確認してみたわけです。


…おや、いません。
 
絶妙なバランス感覚の上に成立しているこの解説。
たしかに”脚”は1節あたり一対だが、”肢”は二対ある。






フクロエビ上目の親戚を表敬訪問。



ヨコエビいました。




 どうやら寄生虫の話題の中の挿絵として登場する以上の役割はないらしいです。ヨコエビ上科っぽい。おそらく鉤頭虫の生活環を意識しているのでしょう。



最後に真理が書かれていた。



 今回一番の目玉は、やはりこのアリアケカワゴカイのシンタイプでしょう。1個体のみの展示ではありますが、十分すぎる。ラベルは本物か、あるいは本物を忠実に複製したもののようです。それにしてもすごい。
 児島湾というのは、埋め立てにより土地を獲得してきた岡山市の成り立ちを端的に表している場所です。湾奥は完全に底質が死んでいて、塩分なんかも昔とはだいぶ違っているのだろうなと思います。現地を訪れた時のことを思い出しながら展示を見ていました。



この冊子、展示内容がぎゅっとまとまってるのに無料です。
正気とは思えないぜ(誉め言葉)。


 展示の中にもありましたが、門の数でいうとむしろ「非海産」「脊椎動物」という動物のカテゴリのほうがマイナーで、「海産無脊椎動物」のほうが遥かに多様で基盤的なんですよね。そういった生物の見方を提案する、ありそうでなかった展示だと思います。
 膨大な数の門を扱う関係で、節足動物門のごく一角を成すに過ぎない我らが端脚目の存在感が薄まっているのは必然といえましょう。ちょっと残念な気持ちもありましたが。


 さて、件のヨコエビ(が含まれる)イラストの右下に注目してほしいのですが、提供は目黒寄生虫館の倉持館長ですよね。ということは、目黒寄生虫館に元図があるってコト…?


ざっと15年ぶりですかね。


 2012年頃に2階の大リニューアルをしたみたいですね。その後も展示内容はこまめに更新されていて、昔訪れた時とはだいぶ違うようです。
 子細に覚えていたわけではないけど、確かに目新しい感じが。

 あの図は、ありませんね。
 昔はあったのかもしれませんが、何しろ当時はヨコエビに従事する前なので、気づくことはなかったでしょう。


クジラジラミを表敬訪問。


 相変わらず無料でやってるとのことで、展示室に人が溢れているというのに売店からスタッフがすぐ居なくなったり、管理の手がちゃんと回っていないようです。あまりにひどいと思ったので、つい感情的になり、募金箱に1000円を突っ込んでしまいました。
 

 まぁ、こういう時もあります。
 

2024年1月21日日曜日

原画展(1月度活動報告)

  広島大学でヨコエビの展示があるとの情報を掴み、日帰りで突撃してみました。


広島大学です。

 その道では知らぬ者のいないヨコエビのメッカで、毎年何本も記載論文が出ています。


広島大学中央図書館です。


地域・国際交流プラザです。

 この「ヨコエビの系統分類学的研究とその成果の書籍化」は、去年出版された『ヨコエビはなぜ横になるのか』に関連する展示で、著者の富川先生が担当されているそうです。


 基本的には、書籍やネット記事や一般向け講演の内容がコンパクトにまとめられ、ポスター化されていますが、「書籍化による研究内容の周知の意義」といった新しい切り口です。

 学生さん手作りと思われる世界地図にヨコエビの写真が貼り付けられているのはなかなかかわいかったです。

 標本はジンベエドロノミPodocerus jinbe,オオエゾヨコエビJesogammarus jesoensis,アケボノツノアゲソコエビAnonyx eous,ヒゲナガハマトビムシTrinorchestia trinitatis,ヒロメオキソコエビEurythenes aequilatusの5種で、うち2種が富川先生が関わって記載されたものになります(Narahara-Nakano, Nakano, & Tomikawa, 2017; Tomikawa, Yanagisawa, Higashiji, Yano, & Vader 2019)。ヒロメオキソコエビのインパクトは抜群。


ヒゲナガハマトビムシは…よくわかりませんでした。
trinitatis/longiramus問題についてはこちら

 また、シツコヨコエビJesogammarus acalceolusParonesimoides calceolus,アカツカメクラヨコエビPseudocrangonyx akatsukaiの直筆原画と原記載論文(Tomikawa & Nakano 2018; Tomikawa & Kimura 2021; Tomikawa, Watanabe Kayama, Tanaka, & Ohara 2022)、そして”例のパンダメリタ”の直筆原画の展示。ほとんどホワイトを入れず一気に全身図を描ききる技が工芸品や絵画の職人そのものです。

 

 「原画展」というとマンガでは一般的でしょうか。一方、分類に携わる人間として、記載論文に使われたスケッチの実物を見られるというのは、その実物の貴重さのみならず、テクニックの一端を見られるという実利があります。私は記憶の限り一発で線画の墨入れをできたためしがないのですが、手直しするには余計な時間がかかるので、一発で仕上げるというのは芸術的なスキルだけでなく、効率的な記載図の生産という部分を考えずにはいられませんでした。


 展示は1月いっぱいまでとのこと。無料で誰でも見れます。



<参考文献>

Narahara-Nakano Y.; Nakano T.; Tomikawa K. 2018. Deep-sea amphipod genus Eurythenes from Japan, with a description of a new Eurythenes species from off Hokkaido (Crustacea: Amphipoda: Lysianassoidea). Marine Biodiversity, 48(1): 603–620.

富川光 2023. 『ヨコエビはなぜ「横」になるのか』. 広島大学出版会, 東広島. 198pp. ISBN:978-4-903068-59-6

Tomikawa K.; Kimura N. 2021. On the Brink of Extinction: A new freshwater amphipod Jesogammarus acalceolus (Anisogammaridae) from Japan. Zookeys, 1065: 81–100.

Tomikawa K.; Nakano T. 2018. Two new subterranean species of Pseudocrangonyx Akatsuka & Komai, 1922 (Amphipoda: Crangonyctoidea: Pseudocrangonyctidae), with an insight into groundwater faunal relationships in western Japan. Journal of Crustacean Biology, ruy031.

Tomikawa K.; Watanabe Kayama H.; Tanaka K.; Ohara Y. 2022. Discovery of a new species of Paronesimoides (Crustacea: Amphipoda: Tryphosidae) from a cold seep of Mariana Trench. Journal of Natural History, 56(5–8): 463–474.

Tomikawa K.; Yanagisawa M.; Higashiji T.; Yano N.; Vader, W. 2019. A new species of Podocerus (Crustacea: Amphipoda: Podoceridae) associated with the Whale Shark Rhincodon typus. Species Diversity, 24: 209–216. 

2023年12月11日月曜日

バルサムとユーパラルとホイヤーと(12月度活動報告)


 ヨコエビの形態分類に供する標本は、ほとんどの場合、液浸標本とした後にスライドグラスへ封入して観察する必要があります。 

 過去にはこのようにあるいはこのように、プレパラートに封入する手順をご案内しました。では、何に封入すればよいのでしょうか?



グリセリン Glycerin

 付属肢を本体から取り外した後、グリセリンに仮封入するとスケッチがはかどります。解剖からスムーズに移行でき、圧倒的に透明度が高く視界がクリアだからです。当然ながら流動的なので、持ち運んだり長期保管したりできません。1年もすれば空気が入って、じきに乾いてペカペカになります。あと、どこからともなくケナガコナダニがやってきます。
 流動的なプレパラートは、例えば折れる寸前まで尖らせた極細のタングステンニードルを横から差し込んだりすれば、カバーガラスの下の付属肢の向きを変えられます。よって、スケッチを行うときはグリセリンプレパラートが最良です。
 解剖をグリセリンアルコール中で行う場合、封入時にグリセリンを使うと馴染みやすいという利点もあります。目的を果たしたら、適当なタイミングでしっかりした封入剤に移し替えます。
  グリセリンは流動的といいましたが、他の「永久」プレパラート封入剤の硬化前の粘度と比較してもだいぶ緩いので、カバーガラスをかける時にパーツを定位置に留まらせるのは大変難しく、よく踊ります。次に挙げる「ホイヤー液」をグリセリンに添加するとアラビアゴムのおかげで粘度が上がりますが、無水エタノールとの相性が悪くなるため注意が必要です。



ホイヤー液 Hoyer

(ガムクロラール Gum-chloral)
 グリセリンベースの半永久プレパラート封入剤で、ホイヤー液というのは数あるガムクロラール系レシピの最古参とのことです。ヨコエビのプレパラート作成において王道の手法で(石丸1985;富川・森野2009)、近年の論文のマテメソを読んでもそれをうかがうことができます。
 どうやらガムクロラール系というのは本来自作するものらしく、目的によってアレンジを重ねたりするものらしいのですが、「ホイヤー液」は出来合いのものを買うことができます。
 液体は黄色を帯びています。液の成分上、グリセリン解剖・仮封入してからの移行が容易です。無水アルコールには馴染みません。硬化にはわりと時間がかかり、一週間やそこらではまだねばつきます。硬化したホイヤー液はグリセリンを触れさせると容易に緩みます。お湯でも軟化が可能なようです。
 ホイヤー液を用いたプレパラートの寿命はなんとものの数年(!?)と言われており、実際のところは数十年は維持できるとの話も聞きますが、寿命を迎えるとひび割れてくるらしいです。このまま使い続けてよいものか…



カナダバルサム Canada balsam

 既知の封入剤ではトップクラスの耐久性を誇り、これに敵うものは無いとも囁かれます。何にせよ歴史の長さがありますので、新参者が土俵に乗れない側面はあるでしょう。
 バルサムモミ Abies balsamea という針葉樹の樹液を、キシレンやトルエンに溶解させて使用するレジン系封入剤です。強い粘性のある黄色の液体です。いわば琥珀に封じ込めるような感じでしょうか。ただ、硬化の過程でトルエンがアウトガスとなるため、条件によってはヒビ割れが生じるようです。
 バルサムを使ったプレパラートの寿命は私の寿命を遥かに上回っており、今さら自分でプレパラートをこさえて検証する術はありません。しかし、バルサムの屈折率はヨコエビの外骨格と非常に近く、普通の生物顕微鏡の透過光では、見えづらく感じます。また、水と馴染まないため、封入前には無水エタノールに浸けて充分に脱水する必要があります(この工程をミスると白濁します)。
 価格:25g(溶解前の結晶)で1,600円程度。



ユーパラル(ユパラル)Euparal


 ケミカルな香りが立ち上る、褐色を帯びた粘性のある液体。その実体はバルサムと同じレジン系封入剤で、Callitris quadrivalvis というヒノキ科針葉樹の樹液を原料とし、溶剤などを加えて封入剤としての特性を持たせたとのことです。原料となる樹脂は接着剤等の用途で100年以上の歴史があるようです。基本的にはカナダバルサムと同等の性質と考えて良いのではないでしょうか。
 色味はホイヤー液より透明に近く、屈折率はヨコエビの外骨格とは違っているようで見にくさは感じません。ヨコエビの記載でも何例か使用事例があります(Hughes & Lörz 2019, 2023; Kodama & Kawamura 2021)。ただ、実際に使ってみると、肉厚のパーツは著しく萎縮し、皺が寄って観察しにくくなるようです。
 カナダバルサムと同様に、封入するパーツは無水エタノールで脱水する必要があります。ただし、脱水から包埋までの間にモタモタしてエタノールが飛ぶと、パーツ内に空気が入り込んでプレパラートのクオリティが極端に低下するため、そのへんも考慮しなければなりません。
  これを防ぐには、やはりグリセリン添加した無水エタノール中への浸漬が必要となります。しかし、ユーパラル中に入って一見無色の粒となったグリセリンは、透過光で観察すると気泡と同じくどす黒い影になります。完全に詰みます。 外骨格内をグリセリンで満たして水分の蒸発を防ぎつつ、外骨格表面は無水エタノールでドライに仕上げることが、ユーパラル封入成功のカギのようです。
  ユーパラルの粘つきは相当しつこいですが、アセトンできれいに落ちます。ただし、それだけ敏感にアセトンを吸収するようで、封入済プレパラートの縁を拭いたりすると一旦硬化した部分が緩んでカバーガラスがズレたりします。
 専門家の見解についてはこちらで確認できます。
 価格:50mLで5,000円程度。 



 これらをまとめるとこうなります。

  


 


 その他:有機溶媒系

 ユーパラルやオイキットは一般人には非常に敷居が高く、ネットで個人に卸してくれるようなサイトを血眼になって探していた時に、偶然見つけました。

「マウントクイック」

 何のひねりもないネーミングですね。

 成分表示を見ると「キシレン60%」とあり、何かをキシレンに溶かし込んでいる様子がうかがえます。正体を知りたかったのですが、メーカーのサイトでいくら調べてもそれらしい成分名が出てこない。問い合わせフォームに打ち込んで送信ボタンを押す寸前、「成分が分かったから何やねん」という天の声が聞こえて思いとどまりました。まあ、そういうモンがあるというだけで十分でしょう。とりあえず。

 ユーパラルよりも有機溶媒系の臭いが強いです。液の粘性というか糸を引く感じも他の封入剤とは一線を画しており、まさに接着剤といった感じ。あと、完全に無色です。ホイヤー液をはじめヨコエビ界隈の封入剤は黄色と相場が決まっていますが(?)、これは新鮮ですね。

 そして何より、固まるのが速い。速すぎる。その名に恥じぬ速さです。

 パーツをササッと1個入れる分には良いですが、ヨコエビは基本的に15対の付属肢・6個の口器部品・1個の尾節板をプレパラートにするので、合計22個の細片をシャーレからスライドガラス上に移動させることになります。後半から完全にマウントクイックの縁が固まってるのがわかります。

 ホイヤー液やユーパラルのタックフリータイムは1週間やそこらで済みませんが、マウントクイックは1日やそこらで硬化するのでそれは便利です。 

 しかし、ホイヤー液やユーパラルは圧力をかけても体積が変化しないのに対して、マウントクイックは相当柔らかく、硬化前も硬化後もそれ自体が凹んだり伸びたりします。何が起こるかというと、封入後にカバーガラスに圧力がかかった場合、そこだけがピンポイントに凹んで簡単にガラスが割れてしまうのです(ホイヤー液やユーパラルは伸縮しないので圧力は基本的にカバーガラス全体に分散されます)。速攻で硬化する性質から気泡が入りやすいのに、カバーガラスを押しながらそれを追い出すことはできません。

 というわけで、プレパラート1つあたりのパーツ点数が少ない時など、利用可能な場面が限られてくるように思われます。

 



その他:親水系

ゼラチン Gelatin

 植物生理や病理分野でスライドガラスの作成過程に「寒天」を含むメソッドがあるようです。さすがに包埋材として用いることはないようですが、とりあえずやってみますか。

 どう考えても腐るので、アズレン(アズレンスルホン酸ナトリウム水溶液)を添加することにいたします。

 顆粒状の寒天をスーパーで購入、ゼリーの要領で80~90℃くらいのお湯に溶かします。固まらないうちに付属肢を包埋してみると…

 白濁するね?

 当然といえば当然ですが、他のいかなる封入剤でも見たことのない状態になりました。透過性が非常に悪い。アドホックなプレパラートにしても使い勝手は悪そうです。


 2カ月後…


 ダメです。



水飴 Starch syrup

 屈折率が優れていて観察能が極めて高く、藻類の研究分野では常連という話も聞きますが、タイプ標本など重要な標本の長期保存にはさすがに限界がありそうです(カビ,ヒビ割れ等)。これもやってみますか。

 こちらもどう考えても腐るので、アズレンを添加します。世の中では酢酸とかイソジン(ポピドンヨード)を使うレシピが出回っているようです。酢酸はpHを下げて甲殻類の外骨格を破壊することが懸念され、またヨードは視界に影響を与えそうなので、アズレンを選択しました。

 封入直後の視界は極めて良好です。グリセリンと同じか、それ以上によく見えます。


 そして2カ月後…



 意外と良好です。

 常温常湿で放置していましたが、水飴自体はまだ粘っこい感じを保っています。これが完全に乾燥すると、ヒビ割れを招くような気がします。また、恐らく標本に麦芽糖がまとわりつくので、レジン系プレパラートへの移行には適さないものと考えられます。

 ガムクロラールのような親水性封入剤への移行ありきで、一時的な観察用プレパラートを作成するのには適している気がします。


 


 なお、こちらのサイトにはこれ以外のプレパラート封入剤の比較がいろいろ載っています。今は入手できないものもありそうですが。

 以下、使ったことは無いですが、聞いた話です。

その他:樹脂・蝋

オイキット(ユーキット)Eukitt

 キシレン溶媒系ですが、キシレンフリーやUV硬化バージョンもあるそうです。

 実に70年の歴史がありますが、主に病理分野の研究用途において長期保管用封入剤として著名なようです。自然科学系で悪い噂というのはありませんが、そもそもほとんど情報ありません。

 価格:100mLで5,000~10,000円程度。


パーマウント Permount

 日本では病理分野の研究用途で使用されているようですが、欧州の一部の博物館では自然科学系分野で主流のようです。55%もトルエンを含有するため、経時劣化に伴ってアウトガスを生じ、ヒビ割れは避けられないとのこと。真の永久プレパラートたりえないと考えられます。

 価格:100mLで22,000円。



Shandon Synthetic Mountant

 後述するカンファレンスで、米国スミソニアン国立自然史博物館が長期の耐久性を認めていた封入剤です。過去に別名で流通していた経緯があったり、呼び名は複数あるようです。現在、Paraloid B-48N, Acryloid B-48N などと呼ばれているものも同じ成分との由。日本では専ら病理分野での使用とみられます。

 メタクリル酸メチルを主成分とし、要するにアクリル樹脂のようです。トルエンベース,キシレンベースなど様々なバリエーションがあるようですが、どれが最良かまでは明言されていませんでした。メチルエチルケトンやアセトンにも溶解するようですが、そういったオリジナルレシピも世の中に流通しているのかもしれません。レシピによっては、スミソニアンがお墨付きを与えたような効果は得られないかもしれず、続報が俟たれます。

 価格:500mLで20,000円程度。



パラフィン Paraffin

 後述するカンファレンスによると、少なくとも動物標本用の長期封入剤としては最悪の部類に入るようです。ヒトの遺体・臓器を保存するために包埋するとは聞きますが、形態分類学の用途での半永久保存には向いていないと考えた方がよさそうです。

 



封入剤の特性と封入手順

 過去の記事は主にホイヤー液を念頭に書いていましたが、ユーパラル(レジン系)を使う場合はだいぶ注意しないとプレパラートが台無しになることがわかりました。前述の通り、ユーパラルはエタノールともグリセリンとも相性が悪く、標本の表面に黒い玉とか雲のような影がまとわりついてとても観察できる代物ではなくなるのです。

 この悲劇を防ぐため、ユーパラルの封入手順はホイヤー液とは変わってきます。まとめるとこうなります。

 

解剖から封入に至るまで、グリセリンとエタノールの割合が異なる液体をいくつか行き来する必要があります。ちょっとめんどくさいですね。


 しかも、種の記載といった重要な局面に供する線画を得る場合、工程はさらに複雑化します。付属肢はプレパラート化されてからが本番ですが、解剖が終わって残ったボディは往々にしてくたびれており、スケッチに耐えない場合が多いです。というわけで、以下のように適当なタイミングで描画工程を挟むことになります。 

 

※ちなみに、生物顕微鏡下で全身を観察する場合、個体の大きさによってはホールスライドガラスを導入したほうがよいでしょう。ホールスライドは凹みなしに比べてガラス全体の厚みが増して鏡筒のクリアランスにはハンデになりますが、低倍率で全身をスケッチするぶんには問題ないかと思います。

  

  解剖の精度を上げるため、あるいは美しい線画を得るためには、各節の輪郭が明瞭に見えることが重要です。ライトを強化してもよいのですが、それ以外には、染色するという方法は広く用いられています。過去に検証したとおり、一般人に過ぎないヨコエビおじさんが現実的に入手できる染色剤には限界があり、かつヘタな液を選ぶと標本を損傷するおそれがあります。


 


食紅の再検討

 過去の検証から、食紅を無水エタノールに溶解して標本に使うと、付属肢が外れたり、ダメージを与えるようです。また、粉をそのまま標本に触れさせたりすると、体表に赤いスライムが付着します。観察してみたところ、どうやらこれは食紅の賦形剤として添加されている「デキストリン」のようです。デキストリンより色素(ニューコクシン)のほうが早く溶けるようなので、デキストリンを沈殿させておいて上澄みを使えばイケるのでは…?

 

 というわけで、そういう構造を作りました。

 

 内側の器の中に食紅を入れ、グリセリンを滴下する。
オーバーフローした液を外側の器に溜め、スポイト等で吸い出して使う。


  液体の粘度が低いとデキストリンの粒が舞ったりするのと、解剖に使うグリセリンエタノール中での扱いの良さなどを考慮して、食紅を溶解する液はグリセリンに変更しました。

  染色液は視野が悪すぎて解剖や観察には使えないため、染色後の標本はグリセリンエタノール中に少し置いておき、余分な液を落とすようにします。グリセリンに浸し過ぎると組織が緩むため、必要に応じて無水エタノールに浸して身を引き締めてから解剖するようにします。このような方法にしてから、デキストリンの影響を少なくできているのか、標本が傷むことはなくなりました。






プレパラート管理のトレンド:フンボルト博物館のカンファレンスより

 9月19日~21日、ドイツにあるフンボルト博物館が、プレパラート管理に関するハイブリッド形式の特別会議を催していました。

 いちおう最初に「ここにいない人にも教えてあげてね(大意)」というアナウンスがあったので、豆知識として紹介したいと思います。ただし、個々の発表内容について要旨をそのまま転載といった権限はないですし、あくまで話題の共有と考えて下さい。また、カンファレンスは全体が英語かつ口頭のみ触れられた内容もあったので、聞き間違いや誤訳の可能性もあることを付記しておきます。

  • プレパラート標本の封入剤は極めて多様:国や分類群によっても違うし、同じ研究者でも時代によってレシピが変わったりする
  • プレパラート封入剤の劣化パターン:変色(黒化),結晶化,ヒビ割れ
  • プレパラートを劣化させる要因①封入剤そのもの:アウトガスによるヒビ割れ
  • プレパラートを劣化させる要因②縁部のシール:化学反応により封入剤の変色あるいは結晶化を誘発するが、シールしなければ酸素などの空気中の化学物質との接触が起こりやはり劣化の原因となる
  • プレパラートを劣化させる要因③標本:固定液(フォルマリン)や、透明化に使用した薬剤(クローブ油,フェノール,テルピン油)が残留、あるいは外皮の成分そのものが封入剤と反応する
  • プレパラートを劣化させる要因④環境:光,振動,高温,湿度,化学物質(木製キャビネットの防腐剤等あるいは金属キャビネットのエナメル塗料から放出されるVOCs)
  • プレパラートの加齢を再現する試験方法は確立されておらず、よって前もって封入剤の耐久性について確証を得ることは不可能な状態
  • ホイヤーは一般論として長期保存に向かない
  • ガムクロラールにアセトンを入れるレシピは最悪
  • ラベルが剥離あるいは虫害で破損することでも標本の価値は失われる
  • プレパラートは縦保存より横保存への切り替えが進んでいる(それはそう)
  • 病理分野ではプレパラートのスキャン技術が既に確立しており、転用による自然科学標本のデジタル化促進が期待されている
  • ラベルの読み取りなどプレパラート標本の目録化そのものが進んでおらず、プレパラートのデジタル化はまずメタデータの構築と、個々の標本を画像で記録しアーカイブ化するという、2つの異なる階層で進められている 

 
 


まとめ

  このたび、どうしてもユーパラル中で付属肢が収縮してしまうヨコエビがおり、結局永久プレパラートは作らずにダーラム管中に保存してホロタイプとすることに決めました。プレパラート化しておけば、後で観察したい時に余計な手間をかけずにすぐ検鏡できるメリットはありますが、封入剤との相性によって標本が劣化したり、プレパラート化できないボディと別に管理されることで迷子になるリスクがあります。ただ、プレパラート化しないことで、検鏡のたびにパーツを破損あるいは紛失しうるという大変大きなデメリットがあります。

 数あるプレパラート関係論文の中で決定版とされる論文 (Neuhaus et al. 2017) によると、博物館に収蔵する前提のプレパラートに適した封入剤としてバルサムやユーパラルなどのレジン系が挙げられています。理由は「琥珀が何万年や何億年も形状を維持できるならそれと同じような効果があるはずだ」というもので、シンプルな文脈においてこれには同意します。

 親水性・疎水性という面では、封入後の耐久性と生体組織との馴染みやすさがトレードオフになっている感はあります。耐久性は簡単に上げられないと思いますので、やはりレジン系封入剤とサンプルとをいかに馴染ませるかが極めて重要と思われます。

 ただ、屈折率や標本との馴染みの良さなど、作ったばかりの標本の出来栄えばかりに重きを置き、長期保存という使命に対して雑な憶測で臨んできたこれまでの一世紀以上の在り方を、そろそろ見直すべき時期のような気がします。たとえば、何億年と生物組織を保存し続けている琥珀の性質そのものに疑いの余地はありませんが、それをプレパラートに適用するためのアレンジとして「溶解の工程」が不可欠なことを軽視しすぎている感はあります。この有機溶媒は前述の通り、標本との化学反応やアウトガスの原因となり、プレパラートの劣化を引き起こします。つまり、いくら琥珀に倣っているとはいえ、レジン系プレパラートにおいて本来の琥珀の性質が発揮されているわけではないのです。

 カンファレンスを聴いたり文献を読んだりしても、封入剤について決定的な結論は出ませんでした。とりあえず、前述の通り、明確に劣化を誘発する事柄(透明化処理薬品の残留やトルエン含有の有機溶媒系包埋材)については、気づき次第速やかに排除するべきでしょう。また、本稿でも食紅を紹介しましたが、染色剤についても何かしら反応を起こすリスクを踏まえて、全ての標本を染色に供さないことや、染色した標本は包埋せず液浸して保存するなどの工夫は必要かもしれません。

 ちなみに最近『文化財と標本の劣化図鑑』(岩﨑ほか 2023) という良書が刊行されましたが、プレパラート標本に関する情報はありませんでした。液浸標本に関しては充実してますので、機会があれば内容を紹介したいと思います。





 (おまけ)スライドガラスの輸送方法

  そんなプレパラート標本ですが、割れたりズレたりと輸送には大変気を遣います。専用のケースも市販されていますが、容量が大きかったり、一般人に手が届きにくかったり、縦置きだったりして、ちょっと使い勝手が気になります。

 そんな中で見つけたのがこれです。



 ダイソーの名刺入れです。

 何十年と保管すると恐らく封入剤やシール材がPPと癒合したり反応したりして台無しになると思われますが、1・2年やそこらは平気なようです。持ち運び・輸送用として使うべきでしょう。

 なお、スライドガラスの幅に比べてかなり深さがあるため、手前にズレないようスポンジのようなものを入れるとよいです。


 


<参考文献>

— Hughes, L. E.; Lörz, A.-N. 2019. Boring Amphipods from Tasmania, Australia (Eophliantidae: Amphipoda: Crustacea). Evolutionary Systematics, 3(1): 41-52. 

— Hughes, L. E.; Lörz, A.-N. 2023. Unciolidae of Deep-Sea Iceland (Amphipoda, Crustacea). Diversity, 15(4): 546. 

— 石丸 信一 1985. ヨコエビ類の研究法. 生物教材, 19,20: 91–105.

— 岩﨑 奈緒子・佐藤 崇・中川 千種・横山 操 (編) / 京都大学総合博物館(協力) 2023. 『文化財と標本の劣化図鑑』. 136 pp., 朝倉書店, 東京. ISBN:978-4-254-10301-4 

Kodama M.; Kawamura T. 2021. Review of the subfamily Cleonardopsinae Lowry, 2006 (Crustacea: Amphipoda: Amathillopsidae) with description of a new genus and species from Japan. Journal of the Marine Biological Association of the United Kingdom, 101(2): 359–369.

— Neuhaus, B.; Schmid, T.; Riedel, J. 2017. Collection management and study of microscope slides: Storage, profiling, deterioration, restoration procedures, and general recommendations. Zootaxa4322(1).

— 富川 光・森野 浩 2009. ヨコエビ類の描画方法. 広島大学大学院教育学研究科紀要17: 179–183.


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補遺 (15-VIII-2024)
・一部書式設定変更。

2023年11月18日土曜日

文化端脚類学 in 博クリ(11月度活動報告その3)

 

 来年で10年になるという、博物学ひいては蒐集趣味をテーマとした物販交流イベント「博物ふぇすてぃばる」。だいたい夏にやってるらしいのですが、冬には「博物クリスマス」という冬季版が例年開かれているらしく、そこにヨコエビにまつわる品を扱うブースがあると聞きつけ、出かけていきました。


 観光客でごった返す浅草。

 6階で小型動物の即売会があるみたいで、ハシゴする人もいるんだろうなと思いつつ、7階の会場へ向かいます。


 先週のデザフェスと比べてしまうと、だいぶこぢんまりとした会場で、端から端まで全部見れるので見落とし感がないのは嬉しいですね。デザフェス会場で見かけたのと同じ出展者さんのブースも4,5つありました。


 まずお目当てのヨコエビです。

 メンダコのベルの分銅として、ヨコエビがあしらわれているとのこと。メンダコの餌としてはやはりヨコエビがメジャーですね。




 いやもうデザインもそうだけど、音がめちゃくちゃいい。特に気に入った真鍮の大きめサイズを購入しました。

 華やかかつ軽やかで、良いレストランに入ったようなワクワク感を鳴らすたびに味わえる感じ。



 博物画(実物)を扱っているブースを発見。何せよ必要な資料はPDFで手に入る世の中で、已むに已まれず古い原書を取り寄せたこともありつつ、ロマン的なものも感じてきました。前から興味はあったのですが、検索できないのが不便でなかなか手が出ませんでした。今回は商品のボリュームがちょうどよく、また分類群ごとにまとめてくれていたので、わりとスムーズに探せました。

 本命の博物画の中に端脚類はありませんでしたが…

 脇に「タバコのトレーディングカード」という箱が。

 その時まですっかり忘れていたのですが、実に95年前のイギリスでタバコのオマケとして実際に流通してた「トレーディングカード」に、フクロエビ上目があしらわれたものがあったような。

 ソーティングする時なみの集中力で探します。


 おいおい。


 ワレカラさんだ!ほんとにあった!


 第2咬脚と背中に剛毛が多いですね。

 簡単に調べてみたくなりました。ここはどこのご家庭にもある「イギリスの磯生物のハンドブック」でも開いて確認してみましょうかね。



 形態が完全に一致するものは載ってませんが、この中では何となく、Caprella acanthifera がモデルになってる気がしますね。


 端脚類に関してはこんな感じです。

 新旧の文化端脚類的産物を同時に味わえる貴重な場でした。ぜひ今後もアンテナを張っていきたいと思います。



<参考文献>

— Hayward, P. J. 2022. 『Rock pools』. Naturalists' Handbooks 35. Pelagic Publishing, London. ISBN978-1-78427-359-0

2023年11月11日土曜日

文化端脚類学 in デザフェス(11月度活動報告その2)

 

 今やアジア最大級のアートイベントになったという「デザインフェスタ(デザフェス)」に、端脚類モチーフの作品を出展するブースがあると嗅ぎつけ、偵察に出かけました。


いつぶりかの国際展示場

 開場からやや遅らせて到着しましたが、すごい人手です。これだけの人の目に端脚類が触れる可能性があるかと思うと、滾りますね(?)。


 予め目星のブースを選定して移動コースを想定していましたが、実際に会場へ足を踏み入れると人の流れが凄まじく、マークしてなかったブースに魅力的な品があったり、公式HPに記載されていない作家さんの出展を見つけたり、やはり計画通りにはいきませんでした。


捕獲結果(ごく一部)。


 端脚類をモチーフにした品を扱うブースはやはり当初の見立て通りでしたが、等脚類など他の甲殻類については他のブースでもぽつぽつと見つけました。


「かすみそう」さんの消しゴムはんこ(ワレカラほか)。
印影が美しいのもそうなんですが、
削り跡に迷いがなく活き活きとしていますね。


「むせきつい屋さん」さんのクリアファイル(ヨコエビとワレカラ)。
かなりかわいいですが体制はわりと正確ですね。



 マニアックな生物として扱われている状況は変わっていないようですが、そもそもこういった場に上げられる機会すら今までほとんどなかったわけで、かなりの躍進と思えます。

 これまで、ワレカラの革製キーホルダーアカントガンマルスの革製ポーチとか、ダイダラボッチのネクタイピンとか、雑貨が販売されていた経緯がありますが、安定した流通には至っていないようです。今後も繰り返しモチーフとして使われていくとありがたいですね。

 

2023年8月27日日曜日

ワカモン爆誕(8月度活動報告その2)

 

 岸和田から始まった「チリモン(ちりめんじゃこモンスター)」の公認妹?弟?分の「ワカモン(ワカメモンスター)」が開発されたとのことで、覗いてみました。



 岩手県大船渡市の碁石海岸インフォメーションセンターが現場です。

 

 到着早々、さっそくワカモンをゴッチャ。この地域ではワカメに混じる雑多な甲殻類を「シャムシャラリン」と呼ぶらしく(※小田嶋ほか 2014くらいしか文献が無い)、それがイコール「ワカモン」ということになります。ちりめんじゃこのようにゴッチャゴチャの状態のワカモンを、匙で好みの量だけ掬います。珍種が入っていることを祈りつつ。


端脚界隈には堪らない光景です。


 ワカメモンスターは出来たばかりのプログラムで、これが初回。しかもチリモン系列としては東北初の出店とのことです。しかし地元博物館のスペックの高さ故か、チリモンのノウハウがしっかり活かされているためか、道具や資料は洗練されていて進行はスムーズです。


 オープニングではワカモンの背景の説明。チリモンからワカモンが着想され形になった経緯について、なかなか興味深いお話を聞けました。地域の産業たるワカメが選ばれた理由や、イベントとして成立させる道筋。環境教育プログラムの設計や運営といった観点からもものすごく勉強になります。これが500円ですから実質無料です。

 その後、ほとんど分類群の予備知識の無い状態でまず直感でワカモンを仕分けてみます。ヨコエビおじさんは端脚ソーティング経験者ですが、ワレカラは専門外。事前にワカモンの画像を見て該当しそうな種の分類ができる資料を用意して臨みましたが、肉眼では細かい節の様子などは判別困難。結局雰囲気でソートしていきます。

 支給されたピンセットが重くワカモンを破損しそうだったので、私物のピンセットを使用(このへんから目をつけられるようになります)。

 

 そして種類の解説。

 ところどころ気になる表現はあるものの、最新学説の不安定さに影響されない丁度いい塩梅のラインです。

 ワカモンが優れているところは、体積比でカマキリヨコエビ属九割、ワレカラ九分、残りがその他といった感じで、基本的にワレカラの探索や観察に集中できることです。ワレカラは端脚類の中でも日本における解明度は極めて高く、要点を押さえれば種の同定が可能です。その内訳は、ぱっと見たところマルエラワレカラRタイプが八割、イバラワレカラが一割で、これも絶妙です。イバラのトゲトゲ感はルーペで見ればマルエラからの識別は容易で、絶妙なレアリティは探索意欲を掻き立てます。また、同じ種類でもより大きな個体や完品を探すといった楽しみ方ができるので参加者側のやり込み要素は無限で、逆に構成種が少ないため答え合わせ側の整備がしやすく、恐らく準備次第では腕1本から種の類推も可能と思います。

 カマキリヨコエビに関しては完全に雑魚ですが、thunbed maleの造形や模様など楽しめる部分も多いのではないでしょうか。


 ここから再度時間をかけてソーティング。机間指導を交えたレア種の紹介と、適宜顕微鏡での観察に入っていきます。


 最後は気に入ったワカモンをレジンに封入してお土産を作ってフィニッシュ。時期が時期だけにあまり自由研究にコミットする感じではありませんでしたが、顕微鏡写真を配布したり標本としてまとめる手法が確立すれば、自由研究用の夏の定番メニューになりそうです。


生態の再現をテーマとしました


 概ね予想通り、新しいコンテンツながらチリモンから引き継いだ安定感があります。あっという間に二時間を駆け抜けました。講師の古澤学芸員の専門は地質とのことですが、いきなりこんなマイナー分類群に取り組まれているあたり、只者とは思えません。

 予想外だったのは、端脚類の保存状態の良さ。色こそ変わってますが、体表の刺状剛毛はわりと残っていて種の同定ができそうです(それなのに※Conlan et al. 2021 のキーが流れなかったのでアレの公算大と思われます)。どうやら水揚げ後に釜茹でした時にワカメから外れた屑を干したものらしく、古澤さんいわく茹でることで組織が固定されたのではないか、とのこと。

 ヨコエビを「ヨコエビ」でまとめて細かい分類を回避するスタイルは、この手のイベントではつきものですが、せっかく属が限定されているので、何とは言わなくとも生態特性の情報やワカメやその他の漁業資源との関わりなんかを掘り下げてもいいような気がしました。カマキリヨコエビ属はワカメ葉状部を食べるとの報告もあるので(※桐山ほか 2000)。


 午前午後ともに定員割れのようでヨコエビとかワレカラの弱さに悔しく思う部分もありつつ、これから地域に愛されまた出張するようなイベントになればと思います。徳島とか横浜とかどうでしょう。


※関連する文献の情報は後で追加します



【補遺】<参考文献>

— Conlan, K. E.; Desiderato, A.; Beermann, J. 2021. Jassa (Crustacea: Amphipoda): a new morphological and molecular assessment of the genus. Zootaxa4939(1).

— 桐山隆哉・永谷浩・藤井明彦 2000. 島原半島沿岸の養殖ワカメに発生した魚類の食害が疑われる葉状部欠損減少.Bulletin of Nagasaki Prefectural Institute of Fisheries, 26: 17–22.

— 小田嶋祐希,ほか. 2014. 博物館から海を発信!!~大船渡の生態系を子供たちへ~. 平成26年度Let'sびぎんプロジェクト 活動報告. [web publication]

2023年8月5日土曜日

海(8月度活動報告)

 

 今年の科博の夏休みのやつは「海」とのこと。海といえば当然ヨコエビが関わってくるわけで、覗いてきました。


 なかなかの人手です。


涼しげな看板


 生物の紹介パートに入って、いきなり海洋における線虫の暴力的な多様性が提示されました。もう他の多細胞生物のことがどうでもよくなってしまうレベルです。陸上にそのまま当てはまるものではないですが、いやはや、恐ろしい。


線虫すごいぜ



いました

 これらのヨコエビの画像はネットで散々見ていますが、今回の標本は固定方法なのかライティングなのか、節々の細部までかなり観察しやすく、身体の構造が非常にわかりやすいです。いつも置いてあるだけで御の字だったヨコエビですが、今回は実利として大満足です。それにしても、ダイダラボッチの第2,3尾節背面にある凹みというか2本の強いキールは、一体どんな機能を有しているのでしょう。



ヨコエビの視点(ハイパードルフィン)



ヨコエビの視点(ベイトランダー)


ダイダラボッチの群れ


 とりあえずダイダラボッチを買ってきました。


PN:胸節;PS:腹節;US:尾節;CX:底節板


 全体的に背腹扁平の作りになっていて、あまりヨコエビ感はありません。ぬいぐるみとして側方に平べったいのはちょっと親しみにくい部分もあるので、そういった設計なのではと思います。
 まず体節ですが、頭部のほか胸節7節と腹節3節に加えて、尾節が2節という編成のようです。実際のダイダラボッチは尾節が3節ありますが、互いに被っている部分がありそういったビジュを表現したものと思われます。
 胸脚は7対あり、身体にくっついている底節板と概ね対応しています。これは実際のダイダラボッチと同じですが、第5底節板が異常に大きく、それ以降も、第1~4底節板と同じ深さになっています。また、第6胸節の下に潜り込んだ第7胸節の下から第6・第7底節板が生じており、これは現実のヨコエビの体制からは明らかに逸脱しています。
 二又の付属肢が、第3腹節と第1尾節から1対ずつ生じていますが、実際のヨコエビにおいて腹肢と尾肢は形状が違います。これは恐らく第1尾肢と第2尾肢を表現したもので、この5節になっている尾体部というのは、尾節をオミットしたというより、腹節をオミットしたのかもしれません。その後ろには3対の三角形の棘を有したフリルがありますが、もしかすると尾端にある二又の尾節板と、それに続く二又の第3尾肢を表現しているのかもしれません。
 

 そしてもう一つ、猿田彦珈琲から出ている「超深海ブレンド」。1箱に5袋入っていますがそのうち2つがカイコウオオソコエビとダイダラボッチという、ちょっと正気ではない編成です。6,000m以深に住んでる目に見えるサイズの動物がそんなもんなので、当然の帰着かもしれません。


※深海生物由来の成分は含まれません


5袋中2袋がヨコエビという異常グッズ。


他の3袋はこれ。


 猿田彦といえば天狗のような風貌の国津神ですが、今後はテングヨコエビをモチーフにしたコーヒーなんかを作ってくれないですかね(無理筋)。


 ヨコエビ成分は少なく、また今日は混みまくっていてじっくり見れていない部分もありますが、副題の「生命のみなもと」に内包される多様な意味合いが興味深い構成となっていました。まだの方はぜひ足を運んでみてください。


 

<おまけ>


いつもの。

 Gammarus sp. とありますが、どう見ても Hyalella あたりなんですよね。