2021年1月26日火曜日

ポストコロナ:高濃度エタノール製品の使用について(1月度活動報告)

 

 液浸標本の作製においてエタノールによる固定・保存が一般的だと過去のブログで書きましたが、世界的な疫学的問題の影響でエタノールを使いにくくなったと感じる方は多いのではないでしょうか。

 日本ではアルコール需要の急増を受け、以下のような厚生労働省事務連絡が出ていました。

 

  要するに「厚労省が定める一定基準を満たすエタノール製品」(以下、高濃度エタノール製品)であれば、臨時措置として医薬品や医薬部外品に適合しなくとも手指消毒に転用してよいというお墨付きです。当時、3月半ばの時点で既に店頭やネットからスピリタスが消えるという現象も報道されており、こういった背景を踏まえたものと思われます。

 これら事務連絡は日本各地の自治体に落とし込まれ、住民へお知らせが流れました。そして、日本各地の酒造メーカーがこぞってこのカテゴリへ参入し始めました。その成果か、初夏には我らが無水エタノールが一般の市場へ戻り始めましたが、6月末の時点でAmazonでの価格は500mLで2,500円程度、現在でも2,000円程度と、コロナ禍より前の価格には戻っていません。

 だとすれば、無水エタの供給状況に左右されない固定・保存液として、今後も高濃度エタノール製品を選択肢に入れざるを得ないのではないか・・・?というわけで、今回は「ポストコロナ」「新しい生活様式」が叫ばれる昨今の時流を鑑み、高濃度エタノール製品の使用について主に形態保存の観点から検証を試みます。

 予想としては、標本の状態は単純にエタノール濃度に依存し、同濃度の従来品エタノール保存標本と同様の仕上がりになるのでは、と。

※高濃度エタノール製品の価格帯は500mLで1,200~2,500円程度と様々で、無水エタの代用としてコストが見合わない商品もありますが、とりあえず量を確保するという意図です。

※本稿は無水エタの代替として有用な高濃度エタノール製品の選定を目的としていますが、これら製品の安定供給を保証するものではありません。また、製品の特性は購入当時(2020年6月末)のものです。

※個人的には、液浸標本においてエタノールはPG(プロピレングリコール)で代替あるいは上位互換できるものと思っていますが、まだ一般に浸透しておらず標本供託の際等にめんどくさそうなのと、組織を締めて硬く仕上げるなどエタノールならではの特性もあることから、しばらくは併用するつもりです。

 

 

 -----

 

<Materials>

  高濃度エタノール製品の中から、ヨコエビの保存に適するエタノール濃度のものを探索した。既往研究 (石丸 1985; 富川・森野 2009) を参考に、エタノール濃度70%以上の条件を満たす以下の10製品に絞り込んだ。

 

メーカー各位へ:怒らないでください。
 

  1. 70%「アルコール70」(原料用アルコール)菊池酒造株式会社,岡山県倉敷市.
  2. 70%「NEW POT 70」(ウイスキー)木内酒造合資会社,茨城県那珂市.
  3. 73%「NSD73」(スピリッツ)錦灘酒造株式会社,鹿児島県霧島市.
  4. 75%「つくしアルコール75」(原料用アルコール)西吉田酒造株式会社,福岡県筑後市.
  5. 77%「アルコール77」(スピリッツ)菊水酒造株式会社,高知県安芸市.
  6. 77%「笹一アルコール77」(スピリッツ)笹一酒造株式会社,山梨県大月市.
  7. 77%「柳川77」(原料用アルコール)柳川酒造株式会社,福岡県柳川市.
  8. 78%「ALC78%」(泡盛)瑞泉酒造株式会社,沖縄県那覇市.
  9. 82%「アナーキー ノット・サティスファイド」(ウォッカ)Bartex Sp.z o.o.社,パスウェンク(ポーランド).
  10. 96%「SPIRYTUS REKTYFIKOWANY」(ウォッカ)Polmos社,ポーランド.


 また、比較用に以下の従来手法も用意した。

  • 70%エタノール水溶液(健栄製薬「無水エタノール」と昭和製薬「日本薬局方精製水」を体積比7:3で混和したもの)
  • 健栄製薬「無水エタノール」
  • 松葉薬品「プロピレングリコール」

 

 

 

<Method>

I.官能試験

・飲用を制限する但し書きのあるものを除き、高濃度エタノール製品についてはまず官能検査を試みた。

 

II.形態観察

①県内の生息地において、洗い出し法によって フロリダマミズヨコエビ Crangonyx floridanus を採集した。

②採集した個体は保冷して持ち帰った後、 ”ラヴ・プリズン” (小原 2016) した。

③”ラヴ・プリズン” を7時間実施した後、2個体を1セットとして、それぞれ別々の規格瓶に入れ、異なる固定液を注ぎ、栓をして液浸標本とした。※プロピレングリコールのみ20個体以上浸漬した。

④液浸標本を暗所で室温保管し、色調の経時変化を観察した。

⑤2か月保管した標本をグリセリン中で観察し、解剖・同定を行う観点から性状を確認した。

 

 

 

Result

I.Tasting notes

2.ニューポット(熟成なし)とはいえ、ウィスキーなだけあってモルトを感じられる。トワイスアップでやっと35度と規格外の強者だが、加水しても香りと甘みをはっきりと感じる。

3.乙種焼酎にスピリッツを混合していると明記してあるが、焼酎の風味がしっかり残っている。水割りやチューハイとしての活躍が期待される。

5.焼酎の蒸留器を転用しているのであろう、焼酎を彷彿させる風味を感じるが、味わいには乏しい。 

6.刹那的な酸味がある。甘みはずっと残る。恐らくメーカー担当者は飲んでない。

8.香りは泡盛そのもの。お湯割りにすると大味に感じられるが、泡盛の雰囲気を味わえる。しかし、トワイスアップした上で「瑞泉」(アルコール濃度30%)と呑み比べると当然のことながらキレや旨味は遠く及ばず妙な臭みを感じる。

9.唇が著しく脱水されるウォッカ。

10.唇がシパシパになり、口腔と食道が灼ける。噂に違わない暴力的な酒。ストレートではバタートースト必須だが、適当に加水すれば普通に美味しいウォッカ。柑橘と合せて割って飲もう。



 

II.Morphological observation

few sec.

  • 体色は全体的に白色がかった透明、内臓が濃緑色あるいは橙色に透けて見える。
  • 卵は淡橙色~黒色。
  • 複眼は黒色。


10 min.

  • サンプルの色調に変化なし。


7 hr.

  • 無水エタノール:色調に変化なし。
  • PG:全身透明感のある橙色。 複眼は黒色。
  • それ以外:全身白化。複眼は黒色。卵は橙色。


24 hr.

  • 7hr経過時点から変化なし。


3 days

  • 7hr経過時点から変化なし。

 

10 days

  • 無水エタノール:卵と全体に橙色を帯びる。付属肢は白色。
  • 1.菊池酒造「アルコール70」;3.錦灘酒造「NSD73」;4.西吉田酒造「つくしアルコール75」:7hr経過時点から変化なし。
  • その他:卵が白色を帯びる。


2 months

  • 無水エタノール:全体に透明感の無い白色。組織は著しく黄変。
  • PG:全体的に黄色がかり透明感が残る白色。
  • 1.菊池酒造「アルコール70」:7hr経過時点から変化なし。
  • 3.錦灘酒造「NSD73」;4.西吉田酒造「つくしアルコール75」:卵が白色を帯びる。
  • その他:10日経過時点から変化なし。

 

高濃度エタノール製品等で固定したフロマミ。

  1. 菊池酒造「アルコール70」:柔軟。
  2. 木内酒造「NEW POT 70」:収縮あり。やや脆弱。
  3. 錦灘酒造「NSD73」:収縮あり。
  4. 西吉田酒造「つくしアルコール75」:硬直ぎみ。
  5. 菊水酒造「アルコール77」:収縮あり。
  6. 笹一酒造「笹一アルコール77」:柔軟。
  7. 柳川酒造「柳川77」:硬直ぎみ。
  8. 瑞泉酒造「ALC78%」:やや硬直。
  9. Bartex Sp.z o.o.「アナーキー ノット・サティスファイド」:やや硬直。
  10. Polmos「SPIRYTUS REKTYFIKOWANY」:硬直。やや収縮。
  11. 70%エタノール:柔軟。
  12. 99%エタノール:脆弱。
  13. 99% PG:柔軟。



<Discussion>

 新規参入の高濃度エタノール製品の中では、木内酒造「NEW POT 70」のウイスキーとしての価値の高さが示された。国内メーカーの主なニューポットと比較すると半値程度であり、飲用として検討の余地がある。その他の新規参入製品については、普段の蒸留の性質を強く反映するという興味深い傾向がみられたが飲用に供する必然性を見いだすことはできなかった。

 菊池酒造「アルコール70」のみ、卵の色彩が2か月以上保持された。卵の発達度合い等、保存液の性状と関係がない可能性もあるものの、本製品に浸漬した標本は2か月後の形態観察において75%未満の製品群の中では異例の良好なコンディションが認められている。

 その他の保存液については、概ね半日~2ヵ月程度の間に標本の組織を安定させるものと推測された。しかし、一部の製品では標本の筋肉組織の収縮が観察され、一概に70%以上の濃度での使用がヨコエビの形態観察に適していないとの結果が導かれた。検証の範囲では、77%以上の高濃度エタノール製品についてはその大部分において、ヨコエビの固定に支障は少ないものと判断された。分子解析に関わる保存能についても検証が俟たれる。

 

メーカー各位へ再度お願い:怒らないでください。

 

-----

 

 

 エタノール70~99%以上で無添加であれば固定の具合に差は無いと考えていたので、特にこだわる必要のないところにこだわったネタ的な記事にするつもりでしたが、意外な結果となりました。

 差が出てしまったので本来製品名やメーカー名は伏せるべきでしょうが、飲み比べたり固定したりするうちに個々の製品に愛着が沸いてしまったので秘するには忍びなく、とりあえずこのまま公開します。

 木内酒造のニューポットについてはツイッターでも美味しいという前評判を聞いていましたが、実際に飲んでみるとさすがの風味でした。

 個人的には古いウイスキーが好みであまりニューポットは買ってなかったのですが、もう少し銘柄を集めて飲み比べなどしてみたくなりました。

 

 形態保存の評価については —nが少ない上に室温等の保存条件は一定せず、状態の記述も完全に主観ですが— アルコール80%付近は必要ということだと思います。

 また、従来方式の経時変化を細かく追ったことはなかったので、これについても今後の参考になる気がします。

 ただ、99%エタノールがだいぶくたびれていたのはかなり驚きました。今回は入手しやすさからフロマミを使いましたが、これまでマミズヨコエビ科を固定したことがほとんどなかったため、これが異常なのかはわかりません。これまで99%でうまくいっていたように思われる海産のグループとは事情が違う気がしています。別のグループで同じ検証をすると、また違った結果になるかもしれません。とはいえ、70%エタノールとPGは相変わらず良好な保存能を見せつけています。

 まだ2か月が経過した段階ではありますが、標本の状態が従来方式の70%と大差ない製品については、このまま保存液として使えると思います。

 メンテフリーで10年やそこらの保管は可能な気がしますが、あくまで感覚なので、より長期保管した場合の変化も継続して観察していきます。

 

 なお、市場には消毒用途としてIPなどを添加した低濃度アルコール製品やジェル製品も出回っており、酒税がかからないので低価格で買えます。しかし、過去の検証の通りヨコエビの固定・保存には不向きです。その点だけ強調しておきます。

 

-----


補遺 30-vi-2023

 高濃度エタノール製品の転用を認める特例は、2024年6月30日をもって廃止されるそうです。現在も店頭で見ることはほぼありませんが、普通のエタノール製剤に代わるような供給はこれで決定的に望めなくなりました。

-----

補遺2 15-VIII-2024
・一部書式設定変更。

-----

 

 <参考文献>

石丸 信一 1985. ヨコエビ類の研究法. 生物教材, 19,20: 91–105.

富川 光・森野 浩 2009. ヨコエビ類の描画方法. 広島大学大学院教育学研究科紀要17: 179–183.

小原ヨシツグ 2016. 第6話 標本! In:『ガタガール①』. 講談社, 東京. 174p.

 

0 件のコメント:

コメントを投稿