2020年7月29日水曜日

ROAD TO DESCRIPTION Ⅶ(7月度活動報告その3)



 ヨコエビの記載に向けた活動をちまちまと垂れ流していくこの企画.前回から実に1年半以上ご無沙汰してしまいましたが,今回は論文の一角をなす「スケッチ」について取り上げます(肝心の原稿はアクセプトされていませんが,図だけは全員のレビュアーとエディターにお褒め頂きました)
 当の私も過去の経緯の記憶が怪しくなってきましたが,これまでの流れは以下の通りです.

I(立志篇)
II(救済篇)
III(解剖篇)
IV(研鑽篇)
V(調布篇)
Ⅵ(散財篇)



なぜ記載にスケッチを添えるのか

Stay with texts



 スケッチというものが,記載において一定の仕事量を占めることはある程度認識しておりました.しかし実際にやってみると,かかる時間と手間の大きさを改めて痛感しました.
 「その昔,絵心のない人は分類学者になれなかった」的な話を聞いたことがあります.
 今日のヨコエビ界隈では,画像技術の発達や表現手法の蓄積,描画装置などツールの成熟などいろいろと恵まれた世の中になり,何なら形態はあてにせず遺伝的な差異で種を記載することもあり得ます(Delić et al. 2017).しかし,今のところ「画を描く作業」が完全に排除されたわけではなく,特に種の記載においては重要な工程の一つであり続けています.

 19世紀のヨコエビの記載は往々にして図がないか,あっても数点の形質を断片的に示すに留まり,あくまで「文章が主役,図は脇役」というスタンスが多い印象です.また,どの国の研究者も判別文はラテン語で書いており,これが記載の要となっている印象を受けます.思うに彼らは生物学を,神の創造物たる自然の事物から秩序を発見する作業として考えていたのではないでしょうか.そして,形而下の世界から脱却して本質のみを抽出し,格式ある言語で記述することが,理想とされていたのではと思います.
 しかし,今は21世紀.当時の枠組みをある程度継承しつつ,分類学のスタイルは大きく変わっています. 特にタイプに対する考えは全く変わっていて,学名は唯一無二の holotype 標本に与えられるという原則もその1つです.つまり,種名は特定の標本につけられ,その標本がもつ情報をいかに共有するかが重視されます.図の果たす役割は,著者が発見した形態的特徴を伝達する際の補助にとどまらず,著者が注目していない holotype の特徴をも内包した holotype の分身へと変遷してきました.
 その最たる例かもしれませんが,現行の『国際動物命名規約』(以下,規約)では,標本を参照できない種について,描画そのものを holotype と同等に扱うとの規定(条73.1.4.;条74.4.)すらあります.研究技術が向上した今日においても,人間が描く画が果たす役割は依然として大きく,場面によってはむしろはるかに重いのです.



(参考)動物のいろいろなタイプ標本

※規約の記述に基づいています.


Holotype(ホロタイプ:完模式標本/正基準標本)

 いわゆる真のタイプ標本で,唯一絶対的な存在です.(何をもって1個体とするか難しい場合は別途議論する必要がありますが原則として)1個体のみを指定し,後世の研究者が参照できるよう保存・管理する必要があります.最良の個体(欠損がない,発達が進んでいる等)を指定しなければダメというわけではありませんが,その後の研究において唯一無二の物的証拠となるため,後の混乱を招かないために種の特徴が明確にわかる個体を選びます.


Paratype(パラタイプ:副模式標本/副基準標本/従基準標本)

 記載論文に使用したタイプ標本のうち,holotype ではないもの全てを指します.複数指定することができます.


Allotype(アロタイプ:異性基準標本)

 Paratype のうち,holotype と異なる性別の1個体をこう呼ぶことがあります.あくまで規約における paratype なので,仮に holotype と番をなしていた個体でも,holotype と allotype が同等に扱われることはなく,担名タイプとはなりえません.



Syntypes(シンタイプ:等価基準標本/共基準標本)

 過去の記載論文において,複数の標本が記載に用いられ,単一の holotype を特定できないことがあります.こうした場合,後述する hapantotype でないものに限り,包括して syntype と呼称します.Holotype の扱いが現在のように厳密でなかった頃の記載には,このような事例が多々あります.
 

Hapantotype(ハパントタイプ) 

 原生動物において認められているタイプ標本で,成長段階の異なる複数個体をひとまとまりにしたものです.



Lectotype(レクトタイプ:後模式/後基準標本/選定基準標本)

 Syntype の中から1個体を選び,学名を担う唯一無二の標本と定めた場合の呼称です.Lectotype が定まると同時に,残りの syntype は自動的に paralectotype となります.Lectotype (および paralectotype)が確定されれば,syntype は不可逆的に一つ残らず消滅します.



Neotype(ネオタイプ:新模式標本/新基準標本)

 Holotype が消失した場合,新たに別の標本を指定することが許されています.そういった事情のもとで,holotype と同等のものとして新たに指定された標本が neotype です.Paratype の中から選ばれたり,後述する topotype を用いて指定し直すことも有り得ます.

Topotype(トポタイプ:同地基準標本)

 Holotype と同じ場所から得られた標本を指します.同じ時に採れたかどうかは関係ありません.規約で規定されたタイプ標本の種類ではなく,あくまで neotype の指定などの場面で,特定の holotype を念頭に置いて用いられる便宜的な呼称です.


Cotype(コタイプ)

 現在は使用されない用語です.現在 syntype や paratype として扱われる標本のことを,かつては cotype と呼称していたようです.





何を描くのか

illustration

 記載における描画のゴールは,言い換えると近縁種のスケッチと同じような画を作成する,という点に尽きるかもしれません.
 例えば,昆虫の主要群の記載論文では,ピンポイントの図しかないものやそもそも図の無いものも多いと伺っております.近年の記載でも,スケッチが高度に模式化されているものを目にしますe.g. Evenhuis 2002; Mattingly and Rageau 1958; Naveen et al. 2012).昆虫の種分類は突き詰めると交尾器の嵌合性に帰着するため,特定の部分の差異を効果的に伝達することにこだわった結果こうなったものと思われます.しかし,そういった分類群に慣れた専門家からは,全身の線画を必要とするヨコエビのようなグループは異質なものとして捉えられるようです.
 しかし,ヨコエビは昆虫のようにシンプルな記載図では収まりません.とりあえず文字ではなくビジュアルとして欲しい情報は,
  • 全身のプロポーション
  • 各付属肢の付き方(全付属肢)
  • 剛毛の種類と生え方(各付属肢と各節)
 などでしょうか.
 同定形質が交尾器などに集約されないため, 重なり合った足を取り外した上で,全体をくまなく描画するのが慣例です.

  節数毛の本数などは言葉で記述することが可能ですが,節の形状そして毛の位置向きについては言葉だけで伝えるのは非常に難しいです.というか文才に自信があってもやるべきとは思えません.図1枚で済むのであれば,冗長な記載文に価値などないはずです.

 以下,記載文への付属を推奨する図(①~⑩)について述べます.


 新種記載においては,最初に①全身を側面(あるいは背面)から描いた引きの図を載せるのが慣例となっています.やはり記載しようとする生物の概要を示すのは重要です.しかし,各付属肢は観察しやすいように好きなだけバラバラにしますが,解剖前の全身は光が透過しないなどの理由で非常に見にくく,あまり実用的な図にならないこともあります.中には,解剖前の描画を簡素化し,ほぼ輪郭だけを描いている例もあります (Krapp-Schickel 2011)
 付属肢は歩脚だけでも基本的に7対あり,そこに触角および口器,腹肢と尾肢,尾節板を加えて,描画します.
 触角および③口(上唇,大顎,小顎,下唇,顎脚)は,頭部に付属した状態と,取り外した状態の二通りの記述が求められる場合があります.また,④頭頂および⑤複眼についても重要な同定形質となる場合があります.
 ⑥胸脚のうち,特に咬脚には性的二形を生じることがあるため,だいたいのグループにおいて雌雄ともに描画します(それ以外の胸脚は,覆卵葉以外にこれといった性的二形がない場合は描画しなくとも怒られないと思います).第3胸脚第4胸脚の形状は互いに似ており,過去の文献ではどちらかの描画を省略していることもありますが,近年はだいたい両方書くことが多いです.
 ⑦尾肢および⑧尾節板は,上位の分類を大きく左右し,かつ種の識別に有用な安定した形質を具えます.省略することはまず有り得ません. なお,胸脚と尾肢は基本的に左右対称ですが,極めて稀に咬脚が左右非対称となったりします.そういった場合は左右を記述する必要があります.胸節から尾節にかけての体節は記述されないことも多いですが,種によって表面が隆起したり,毛のようなものを生じることもあります.腹節や尾節の背面後縁の鋸歯や剛毛配列が種の識別に用いられることもあるため,グループによっては背面からの図も要求されます.
 一方、⑨腹肢・腹節は影が薄い部位です.特に腹肢は3対ともどれも似通っており,第1腹肢のみを掲載し,第2腹肢,第3腹肢の描画を省略する論文が多いなど軽視されてきた節があり,私が今回扱う分類群においてもそうでした(が,この度,既知種群との明瞭な識別点となりうる形質を尾肢に見出してしまったため,かなり真面目に検討する必要性が出てきました).種によっては腹肢に性的二形が表れるなど特殊な構造を生じることもあり,そういった形質は詳細に記録する必要があります.腹節はしばしば側部が板状になりますが,その後縁端部の形状はグループによって種の識別に極めて有効であるため,うまく描画する必要があります.
 近年では,⑩解剖前標本の落射視野写真を掲載する記載論文が多い印象があります.技術の進歩によって論文に写真を載せる敷居が下がったのでしょうか.できれば生時の状態が伝わるものが望ましいですが,固定後の写真を載せている論文もあります. 分類形質にが用いられることも少なくないので,スケッチをするにあたり描画装置を用いる意義も理解すべきでしょう. そういった中で道しるべになるのは,繰り返しとなりますが,やはり近縁のグループを扱った先行研究に他なりません.



良い線画を描くには

Ink in Black

 生物のスケッチは,意図をもった省略置換を伴う模式図といえるかもしれません(Di Rossi et al. 2020 などはかなりいい感じに模式化されています).私自身,これを認識はしていたものの,先人の記載図を漫然と見るだけでスケッチを知った気になっていた節があり,本来の在り方が抜けていた気がします.

 ちなみに当方の来歴としては,
1.幼少期,ペイントに親しみビットマップ芸を身につける
2.高校時代に生物スケッチの初歩を学び,つけペンで点描画をたしなむ
3.スケッチ技術のアップデートを行わないまま大学生活に突入
4.独学でオートシェイプ芸を身につけ昆虫図鑑を作る
5.臨海実習でイカスミを用いてイカをスケッチして呆れ果てられる
6.卒論では顕微鏡を見ながらフリーハンドでのスケッチと写真からベクタ的な線画を作成することに至る
7.イラレ・フォトショを知らぬまま卒業
 といった感じです.



 イラレを使った Coleman method (Coleman 2003, 2005) は別として,論文に求められるスケッチはオートシェイプ芸とは異なるルールが存在します.
  採集法などは(まともな標本さえ採れれば)いくらでもオリジナリティが発揮されるかと思いますが,標本の処理,描画,記述などの方法論は,他の研究者が共有しているフレームワークに乗らないと,後の研究に利用されないおそれもあります.

 修行中の身で偉そうなことは言えませんが,形態分類に使える線画を作るエッセンス,即ちヨコエビの構造を正確に記録伝達するための心がけとして,以下のような要点が挙げられます.この際,19世紀のスケッチは忘れてください

  • 外形を描く(近年の記載図で殻の厚みを表現したものには Drumn 2018 などがありますが、普通は厚みを無視します)
  • 比や位置関係を正確に描く
  • 節と膜の関係を理解して描く
  • 剛毛など付属物は類別を重視して描く
  • 輪郭の線は繋げて描く


 私は剛毛の描き分けや節の境界の見極めがウイークポイントでした.

 剛毛の種類を知ることは重要です.
 Oshel and Steele (1988) は16種類くらいに分類していますが,その一部をご紹介します.




(参考)先行研究のいろいろな図


 近年の記載論文におけるスタンダードな図は,さきほど示した①~⑩の要素からなります.他に,透過視野の写真や,SEM(電子顕微鏡)画像を載せることもあります.以下に例を示します.


Myers (2004) 

 線画を使わず付属肢の生物顕微鏡透過視野写真のみで形態を示して記載された種があります.現状入手できる白黒コピーの図を見ると,筋肉組織が透過してしまい節の様子や剛毛の重なりなどが非常に見えにくく,あまり良い方法ではないと思います.



Krapp-Schickel (2011)

 外骨格の厚みや,骨格内の組織の構造と思われる丸い模様まで書き込んでいます.一部の種について,落射視野の標本写真と線画を両方掲載しています.




Marin and Sinelnikov (2018)

 付属肢のスケッチは,外骨格の厚みが表現されていたり,基節に被さった底節板の影が点描として描かれていて,面白い仕上がりになっています.また,それに加えて,カラー生態写真を掲載しています.



d’Udekem d’Acoz and Verheye (2017)

 南極から大量のヨロイヨコエビ類を記載したこの論文では,やはりスケッチは1点も掲載されていませんが,落射視野写真を用い,さらに必要に応じて画像に補助線を書き入れるなどしています.外形の立体的な構造に特徴が表れるヨロイヨコエビ類ならではの方法といえるでしょう.



Kim et al. (2013) 

 こちらの論文では,解剖済の各付属肢を落射視野写真で示すという手法を用いつつ,普通の線画も並べて載せられています.




Lörz et al. (2018)

 落射視野のカラー写真,線画,SEM画像を全て載せています.




Fišer et al. (2013)

 付属肢など全体的に線画をベースとして,細かい部分についてはSEM画像を用いて情報を補っています.Kodama et al. (2016) もこのタイプで,スケッチなどでは表現が難しい rostrum と pseudorostrum の関係を示すため,効果的に使用しています.



Serejo and Lowry (2008) 

 SEM画像をベースとしながらも,腹肢,覆卵葉,底節鰓などについては線画で表現しています.



Lowry and Baldanzi (2016) 

 腹肢や覆卵葉の記載はなく,付属肢の図を全てSEMで仕上げています.同定形質として重要でないにせよ,腹肢や覆卵葉の図を全く載せないのはまずいと思います.



 線画にSEMを併用した記載はよく見かけますが,卓上電顕でも500万くらいした気がするので,やはりパンピーが手を出しにくい方法といえるでしょう.また,SEMだけの記載は年に1本あるかどうかの少数派で,今のところ線画が記載図のベースになっています.



 個人的にネ申スケッチだと思うのは,ニューカレドニアのツツヨコエビとワレカラが描かれた Hirayama (1990) です.ぜひチェックしてみてください.

 また,通常は外形の線画のみとなりますが,Lowry and Berents (2005) では,ホソツツムシが入っていた巣を精緻に描画するとともに、巣の主についても模様を点描で表現していて,息を呑む美しさです.


描きはじめよう

STARTING, MY DRAWING!

 オーソドックスな線画に必要なのは以下のものです.


・お絵描き用紙

「トレス」か「直書き」かによって用意するものが違います.

 次工程(墨入れ)でトレーシングペーパーに写す場合,下絵を描く紙は何でもよいとのこと.というわけで,A3のコピー用紙で充分でしょう.これは500枚で千円しないとか,そういう価格ですね.
 トレーシングペーパーにも厚みなどいろいろあるようです.私はホムセンで入手した40g/平米のものを使っていますが,特に不具合はありません.100枚で1,500円とかそのくらいです.海外では,透明なフィルムに書き写すという手法もあるようです.世の中にはインクジェット対応のPETフィルムなどがあり,利用できそうですが,今回は試していません.

 毛の多い部位は書き込みが細かくなるため,普通のコピー用紙ではきめが粗く,うまくいかないこともあります.また,消しゴムで消したりという耐久性も求められます.なので,下絵に直に墨入れする場合,ケント紙が推奨です.A3のケント紙は100枚で2,000円くらいです.



 スケッチを描く時は,ジャーナルに掲載されるサイズより大きくします.大きくし過ぎると線が細くなりすぎますが,その点だけご注意ください.
 なぜ大きく描くかといえば,初めから同じサイズで描くより,大きめに書いて縮小した方が精密で綺麗な図が作成できるからです.
 書き損じが多くなければ,ケント紙やトレーシングペーパーは1種あたり20枚くらいの使用となるイメージですので,100枚程度のロットで購入しても在庫過多にはならないでしょう.



・鉛筆

 Hがオススメとのこと.
 よく尖らせることが重要なのでシャープナーは必需品です.
 シャープペンシルを使う場合,細いほうがよく書き込める気がします.


(左から)ダイソー,ぺんてる「graph gear」,「Staedtler 925」,「pilot 500」.


 巷に溢れる筆記具を見ると,学用品やオフィス用品など「字をたくさん書く」方向にステータスを全振りしたものが目立ちます.これらをスケッチに転用した場合の使い勝手に不安があるそこのあなた!製図関係の文房具メーカーにドイツのステッドラー社があります.

 私が使用しているのは「Staedtler 925」という製品です.~500円の価格帯で探ってみた限り,他社品と比べてフィット感が優れていると感じます.同社製品には,シャープペンシルサインペン製図ペンなど幅広いラインナップがあるのでチェックしてみてください.

 このフィット感というのは,タングステン針の柄にも共通していて,「優れた下書き用シャープペンシル」は「優れたタングステンニードルホルダー」でもあります.私はタングステン用に回してしまいましたが,ぺんてるのグラフギアシリーズはグリップに重みがあり描画用としてもなかなか良さげです.

 製図用のシャープペンには数千円するものもあります.そのへんはまあお好みで・・・



メンディングテープ,消しゴム,筆記用シャープペンシル,描画用シャープペンシル,シャープペンシルの芯.



・メンディングテープ

 紙がズレないように押さえます.これがないと口にするのも恐ろしい大変なことが必ず数秒で起こります.100均で買えます.



・墨入れ用ペン

 製図ペンと呼ばれるもの.私の場合,0.05mmで剛毛を描き,0.1mmで外骨格を描きました.
 墨入れには「つけペン」も用いられますが,太さが均一にならないので熟練を要します.まず剛毛用に細いものを使い,先端が摩耗して線が太くなると,外骨格用にジョブチェンジさせるのが一般的なようです.

(左から)「Staedtler 01」,サクラクレパス「Pigma 005」,パイロット「Drawing pen 005」.

 市販されている極細フェルトペンや製図ペンをいろいろ使ってみた感じでは,サクラクレパスの「pigma」が最も黒の発色が鮮やかな印象で,ステッドラーとパイロットがそれに続きます.価格は200円しないくらいです.
 なお,富川・森野 (2009) ではカートリッジ式の「マルスマチック」というステッドラー社製図ペンがオススメされていますが,使い捨てのものとの違いは検証できていません.本体に重量があって書きやすいはず・・・と勝手に推測しています.価格は2000円以上するようです.





 道具を揃えたら,さっそく描き始めます.
 スケッチの要領については,基本的に富川・森野 (2009) に全てが記されており,追加すべき情報は特に無いのですが,生物顕微鏡下での観察に関して個人的に思ったところを述べます.

 ヨコエビをはじめとして小型甲殻類の線画には幾通りかパターンがあり,特に剛毛の表現などは人によって微妙に異なります.

 コペの某先生はペン画の教室に通ったとのことで,個人のスキルによる部分が大きいのでしょう.とはいえ,1つの仕事の中ではルールを統一すべきです.


(左)デジタル描画;(右)手書き.
 右端は剛毛の透過を表現しない例.

 このように外骨格と剛毛は線の太さを変えて混同しないようにします.線が交わった時に奥側の線を遠慮させる(右端)表現もあります.

 また,デジタル描画(デジタルインキング)において,特に太い剛毛をグレーに塗って他の毛と識別する手法もあります (Krapp-Schickel 2011)
 


 デジタル描画は,毛のパーツなどはコピペで対応する場合もあるようです.Colemanいわく「きれいな図が短時間で描ける」とのことですが,Coleman method に忠実に実施する場合,標本を脱脂・タンパク融解して外骨格を得た後,染色して撮影する工程が必要です.このノウハウが確立していないのと,デジタルでは線の端が四角になって「いかにも」な感じが醸されるため,実施は見送りました.

 手書きにせよデジタルにせよ,基本的に見たままを描けばよいのですが,剛毛のタッチにはそれなりにバリエーションがあるようです.

 
さまざまな剛毛の描き方.”Strongly fringed” は,
縁取りがある剛毛とそうでないものを区別するために用います.
右は途中で切れている場合の表現.


 剛毛が生えている根元部分は,何らかの装飾により強調すべきと教わりました.また,特に強く縁どられている根元部分は他と区別して描画するよう心がけました.
 途中で切れているのが見て分かる剛毛(あるいは外骨格の欠損部)については, 点線や「~」マークで本来の状態ではないことを示すのが慣例です.



 描画には,直に描く方法と,トレースする方法があるといいました.
 わざわざ別の紙にトレースするのは,墨入れを書き損じた時の保険と,下書きを後から参照できるため,とのことです.確かに下書きには顕微鏡で見えたものを更に模式化してメモしたりと,単に線画を作成する以上の情報を付加できます.



(上)墨入れ.(下)下書き.


 製図ペンは必ず,このように垂直に立てて使います.




 さもないと



 こうなります




ペン先が斜めになっている不調法者の証.



 ちなみに,スケッチには一枚ごとに,ミクロメーターで正しいスケールを入れておいて下さい.後で詰みます.
 最初に顕微鏡を買ったとき,ミクロメーターを発注し忘れていたので,スケッチにあたっては業者へレンズを送って組み込みをお願いしました.接眼ミクロメーターは数千円で,これにアタッチメントや工賃がそれぞれ数千円ずつかかります.せっかくなので今回は正規の対物ミクロメーターも購入しました.合計で15,000~20,000円程度です.対物ミクロメーターは最初しか使わないので,誰かから借りたりしてもよいでしょう.

 スケッチは,端からうまくレイアウトできると考えなくてよいです過去の文献ではLincoln (1979) のように描いてる途中で付属肢が被ってしまったスケッチもありますが— .後からレイアウトする前提で,1つ1つのバランスは考えず,A3の用紙いっぱいになるべく倍率を上げて書き込むことをお勧めします.

 スケッチが蓄積してくると枚数が増えてかさばるようになります.とりあえず私は上部に足の名前を書き込んでいます.

スケッチの管理例.記載論文の投稿に伴ってどこかしらに標本を供託/寄贈するにせよ,
それまでは,自分の標本管理番号を振って紐づけしておいたほうがよいです.




取り込もう



 さて,スケッチが描けたら,電子データとして取り込まねばなりません.

 拙宅のスキャナーはA4が限界です.縮小して掲載されることを想定してA3の紙に書いたスケッチを,コンビニのコピー機で70%コピーしてから,A4の図としてスキャンし,はじめて線画のデータが得られます.かかる費用は10円×12枚=120円くらいです.


 最初に,PC内で画像のレイアウトを試みました.
 イラレやフォトショなしの縛りプレイを貫いて参りたい所存でしたが,今回は線画の取り込みデータが指定解像度(1200bpi)で4~7MB程度になり,無事死亡のはこびと相成りました.パワポやエクセルに貼り付けてレイアウトしようと試みましたが,自動でサイズダウンされるようで,画質が著しく落ちるのです.

 オートシェイプでトレースしてベクタ化すれば,解像度の制約なく容量が落とせるはずですが,非常にめんどくさいのと,パワポやエクセルで作成したオートシェイプの線は端が四角になっていて,細い剛毛や毛の根元の凹みなど,繊細な表現には向いていないことから,墨入れしたものをスキャンして使いたいところです.


筆者の数少ない特技「オートシェイプ芸」
一般的には何が起こっているのか理解されにくい特殊な芸能の一つで、
国の重要無形文化財に指定されていません。

 そこで,幼少の砌に覚えたもう一つの特技「ビットマップ芸」を駆使することになったのですが,1200bpi の画像ファイルをペイントでこねくり回すのはゲロ重です.しかもなぜかペイントで編集したJPEGを再度ペイントで開こうとすると,エラーになります.


 ということで,どのようなデジタル環境であっても快適に線画をレイアウトするにはどうすればいいか,それはズバリ

アナログ

 ではないでしょうか.

 要するに,スキャンする前にレイアウトを完成させておくわけです.
 子供のころの工作を思い出します.線画を切り取って,紙に貼り付けていきます.紙の段差が影になるので,メンディングテープで埋めます.そしてありがたいことに,メンディングテープはコピーした時に綺麗に向こうが透けるので,被りを気にせず貼りまくることができます.



 しかし,その画像をスキャンしてから,またゲロ重との戦いが始まります.
 とりあえずペイントでゴミを消したりしてましたが,そうやってできあがった画像ファイルの重いこと重いこと.

 投稿規定には「本文と画像を合わせて5MB」とあるのに,画像1枚が既に200MBを超え,泣きそうでした.普通に白黒変換したり拡張子を書き換えるだけでは到底規定を守れそうにありません.


 そこで編集委員に泣きのメールを入れてみたところ,ファイル形式の変更についてかなり細かいアドバイスをもらうことができました.そして「GNU Image Manipulation Program(GIMP)」というフリーソフトを入れてみました.


 このソフト,さすがヌープロジェクトなだけあって,無料なのに非常に高性能.だいたいのファイル形式には対応しており,基本的にどんな画像も自由自在に出し入れできます.PDFをPNGに換えたりなんてこともできます.
 ただ,どうやら「圧縮なしtif(カラー)」→「圧縮tif(白黒)」の変換を苦手としているらしく,何度もエラーを吐いて発狂しそうになりました.一度別の形式を挟んで白黒画像を生成して,例えば「圧縮なしtif(カラー)」→「png(白黒)」→「圧縮tif(白黒)」の順で変換すると上手くいきます.
 最初にビットマップで編集した画像は,圧縮なしのtifでどうやっても 200~10MB くらいでした.しかし,GIMPを使って生成した圧縮tifでは 100~300KB の驚きの軽さ!しかもまたペイントに戻すこともできます.
 
※ちなみに,科学論文に使う写真をフォトショで編集する方法は Bevilaqua (2020) なども参考になりそうです.


 こうして線画を自由自在に操る術を身につけた(?)私は,文章の仕上げに入っていきます.



(次回予告)

線画を仕上げたヨコエビおじさんの目の前に,無数の横棒が現れる!形態分類厨に突き付けられた挑戦か?神の気まぐれか?Unicodeが微笑む時,新しい朝が訪れる.

 次回,ROAD TO DESCRIPTION 「作文」篇

 お楽しみに.





(参考文献)
Bevilaqua, M. 2020. Guide to image editing and production of figures for scientific publications with an emphasis on taxonomy Image editing for scientific publications. Zoosystematics and Evolution, 96(1): 139158.
— Coleman, C. O. 2003. “Digital inking”: how to make perfect line drawings on computers. Organisms Diversity & Evolution, 3(4): 303–304.
Coleman, C. O. 2005. Speeding up scientific illustrations. A method to avoid time consuming pencil drawingsparticularly in arthropods. NDLTD Union Catalog.
Di Rossi, C.; Sciberras, M.; Bulnes, V. N. 2020. Description of Ptilohyale corinne sp. nov. (Amphipoda: Hyalidae) from the Bahía Blanca estuary, Argentina, including a key to all valid Ptilohyale species. Zootaxa, 4763(1): 125–137. 
 動物命名法国際審議会 2000.国際動物命名規約第4版日本語版.xviii +  133  pp.日本動物分類学関連学会連合,札幌.
Drumn, D. T. 2018. Two new species of Cerapus (Crustacea: Amphipoda: Ischyroceridae) from the Northwest Atlantic and Gulf of Mexico. Zootaxa, 4441(3): 495–510.
Delić, T.; Trontelj, P.; Rendoš, M.; Fišer, C. 2017. The importance of naming cryptic species and the conservation of endemic subterranean amphipods. Scientific Reports, 7(3391).
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Evenhuis, N. L. 2002. Pieza, a new genus of microbombyliids from the New World (Diptera: Mythicomyiidae). Zootaxa, 36: 1–28.
Fišer, C.; Zagmajster, M.; Ferreira, R. L. 2013. Two new amphipod families recorded in South America shed light on an old biogeographical enigma. Systematics and Biodiversity, 11(2): 117-139.
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Kim, M.-S.; Jung, J.-H.; Min, G.-S. 2013. A new beach-hopper, Platorchestia parapacifica n. sp. (Amphipoda: Talitridae), from South Korea, with molecular phylogeny of the genus Platorchestia. Journal of Crustacean Biology, 33(6): 828–842.
Kodama, M.; Ohtsuchi, N.; Kon, K. 2016. A new species of the genus Rhinoecetes Just, 1983 (Crustacea: Amphipoda: Ischyroceridae) from Japan. Zootaxa, 4169(1): 133–144.
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補遺 (16-VIII-2024)
  • 一部誤字の修正。
  • 書式設定変更。

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